7,
お酒が入った翌日はつらい。朝の店番も休んでしまった。
「騎士団の夜のお誘いは、これから全部断ろう……」
頭痛を抱えた頭をさすりながら、決意した。
「昨日、どうやって帰ったのかな~」
記憶がない。店で寝てしまったような気がする……。
誰か送ってくれたとも思えないから、なんとか自分で帰ったんだろうか。
「なぞだ……」
そんなことを気にしているうちに、学院についてしまった。
一日始まるけど、今日はさすがにつらいわ~。医務室で寝させてもらうかな。
学院の建物に入り、ホールに入る。ざわめきが、ずきんずきんと痛む頭と呼応する。眉間にしわが寄ってしまう。これでは授業もまともに受けれない。
医務室直行しようかしら。二日酔いで医務室は格好悪いし、学院生としてどうなんでしょうか。不良みたいだわ。
二階へ続く大階段がある。そこから二股に分かれて、それぞれの教室へ向かう。階段をのぼる足取りが重い。フラフラしながら、手すりにつかまって、一足一足確かめながら登る。
踊り場で、手すりに手をかけて、ふうっと息を吐く。
あと半分と思って重い足をおして頑張った。最後の一段を登り切る。やったあ。安堵した。これで、教室に行くことも、医務室に行くこともできる。午前中は寝て、午後から授業でもいいかもしれない。こんな姿では、人前に出れないわ。
「失礼」
背後から肩がぶつかった。顔をばっと上げる。
目の前にいたのは、公爵令嬢のマージェリーだ。彼女がぶつかって通り過ぎた、
お酒が入っていて、体もふわふわして、頭も痛い私は、盛大によろめいた。
普段ならこんな階段難なくのぼれるし、誰かに背後を取られたり、ぶつかったりするへまはしないのに、今日ばかりはダメだ。
よろめく私に、背後からもう一人ぶつかった。公爵令嬢の取り巻きだ。
「邪魔よ」
ガンともう一回、ぶつかってよろめく。前を向くと、目の前にずいっと公爵令嬢の嫉妬渦巻く赤い双眸。やばい、睨まれた。
「あなた、目障りなの」
扇の先端が私の肩にグイっと突き刺さる。
いつもなら、よけてて、扇もつかんで、やり返すのに……。ううん、そもそも、女の子にこんな所業をさせる隙なんか与えないのに……。
情けない。私は、彼女のか弱い力に、肩一点を押されて、よろめき、足元もおぼつかないまま、階段の端に足をすべらせた。
マージェリーがいる。背後には取り巻きが控えている。周囲を固唾を呑んで見守る生徒たちがいた。視界にうつる世界が急にゆっくりになる。
落ちる。手を伸ばした。空を指先がかいても、差し伸べられる手はない。
マージェリーの目が見開かれる。赤い瞳が驚愕の色を帯び、表情が蒼白に染まる。感情の変化を察し、気持ちを押し込め、冷淡に口元を結んだ。
感情を押し殺している。宙に身を躍らせながら、マージェリーの表情の変化を私は見逃せなかった。
マージェリーは苦しんでいる。閃いたイメージに囚われて、動きがおくれる。
階段を背に転んでいる。このままでは背中を打ってしまう。身をよじる。背面から階段に落ちるより、肩から落ちた方がましだ。顎を引いて、頭部の衝撃にも備えた。
打ち付けられたはずの衝撃が柔らかかった。両足がこてんと地面につく。寝転がることなく、私は立っていた。
「大丈夫か」
上から降ってきた声に、目を見張る。恐る恐る見上げると、ライアンがいた。
背と頭を守ってせめて落ちようとしていた私の肩を彼の腕が支えている。もう片方の、手が手すりをつかんでいた。肩を抱いた腕に力がこもり、頭のなかが真っ白になるなか、彼の胸に頬がぶつかっていた。
呆けている暇はない、私ははっとして、階段上方を見上げる。
マージェリーの目が憎々し気に輝いていた。
違う、あれが彼女の本心ではない。表に出せないもっと奥深くで、彼女は苦しんでいる。
「マージェリー、何をしている」
ぐっとマージェリーの目元に力がこもる。手にしていた扇を開き、口元へ寄せた。感情を気取られないように隠したんだ。
「公衆の面前で、人を害するなど、言語道断だ」
お前が言うな。公衆の面前で、婚約者がいて告白するあほんだらあに言われたくない。内心の叫びは声に出せない。
「あなたこそ、正式な婚約者がいて、公衆の面前で告白などなさって外聞というものがないのではなくて」
身をひるがえし、公爵令嬢は立ち去ろうとする。いたたまれなくなったのかもしれない。
「マージェリー。
君が今までしてきた行動を、僕が把握していないと思っているのか」
「殿下。
私も、あなたのしてきたことはすべて記憶しております」
面をちらりと見せて、マージェリーは気持ちを押し殺した冷徹な視線を投げる。
「君のそういう態度がいちいち癇にさわる。僕をないがしろにしているのは、君も同じだ。君がそういう態度をとるなら、僕にだとて考えがあるぞ」
マージェリーは最後まで聞かずに去って行った。
ライアンの腕の中に押し込まれたまま動けない私は、茫然と二人の喧嘩を見つめていた。
女の子が安心できない、嫉妬してどうしようもなくて苦しい気持ちになっている。ほっといているのが悪いって気づいてないんだ。
マージェリーがやっていることは悪いことだし、褒められたことじゃないけど、女の子が自分の感情を持て余しているのに、まったく気付いてないなんて……。思いやりがない。それだって十分ひどいじゃないか。
見上げたら、ライアンが嘆息していた。いつものことなのだろうか。これが二人の通常仕様なの。
「歩けるか」
「わかりません」
答える間もなく、抱き上げられる。
「酒臭い」
言われて私は、両手で口を押さえた。
「教室に行ける状態じゃないだろう」
私はそのまま医務室に運ばれた。
午後は授業に出る間もなく、王太子の執務室に呼ばれた。生徒の身の上で部屋を一つ持っているのだから、身分は恐ろしいわ。王太子も公爵家もかかわりあいたくない。平民であれば、まったく接点を持たないからわからないけど、身分の低い貴族は直に彼らの断罪を受けることがある。
触らないで、健やかに生きたいと思うのは、平民以上に切なる希望だ。
「来週の学院主催の夜の園遊会で、僕はマージェリーに婚約破棄を言い渡すぞ」
私が青ざめて、突っ立っていたことは言うまでもない。
公爵家から押し寄せる男爵家への圧力におののく。この王太子はそんなことも分からないの。自分の色恋一つで、どれだけの人に影響を及ぼすのか。
愕然としている私に、王太子は向き直る。
「君も出席するんだ」
「私も……」
「そうだ、彼女を廃し、君を推す」
絶句した。
見えていないんだ。その後のいざこざで何が起こるか。
家名を愚弄され体面を傷つけられた公爵家の刃が、平穏な男爵家にもたらす被害なんて見えていない。田舎者の私もおかしいけど、王都の王宮しか知らない子どもってこんなものなの。自分の一言の波紋に恐怖する者がいることが見えないんだ。
かごの鳥だからだ。彼もまた、王家のというかごの中しか見えていない。
逃げたい。隠れたい。でも、もう遅い。逃げても、追ってくる。それでも、私はあがいてしまった。
「私には、園遊会に参加するドレスがありません」
おずおずと言った私に、王太子は、そんなことと笑い飛ばす。
「ドレスの一着ぐらい僕が用意しよう。ライアン、来週までに間に合わせてくれ」
「かしこまりました。私が、お針子を呼び寄せ、彼女に似合う一着を用意いたします」
ライアンの丁寧な主君に対する忠誠に、私は一人絶望していた。
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