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クレスの前に騎士がドンと杯を置いた。騎士たちに、飲め飲めと迫られ、負けている。まったく、こんな席、初めて飲むような場所じゃない。酔いつぶれたらどうするんだ。
年齢を暴露するきっかけになった以上、俺も責任を感じ同席している。最近はこういう立場に立たされることが多く、悩ましい。
小さな葡萄酒のグラスをちびちび傾けながら、クレスの様子を盗み見る。
こてんと机に伏した。杯は空になった。騎士たちがやいのやいのとクレスの周りで騒ぐ。
「まつ毛長いな~」
「小さくて、俺まだ十二歳くらいだと思ったぞ」
「男なら、もっとがっしりしているよな。十六だろ」
「成長期がおそいだけじゃね」
「いやあ。俺、剣豪の直弟子じゃなかったら、この雰囲気は男でもいけるかも」
酒が入る言動が始まったところで、俺は立ち上がった。
クレスが寝入っている机をドンと叩く。牽制と威嚇を込めた。
「こいつ、連れてきます」
睨むと、騎士たちははっと我に返る。
「子どもなんで、お手柔らかに」
クレスの肩を担いで、店を後にした。事前に店先に待機させていた馬車に乗せた。
「うぅん」
椅子に座らせると、すぐに横にずれて、馬車の壁にこてんと頭をつける。相当酔っていることだけは明白だ。
「帰るぞ」
「はぁぁい」
寝ぼけ笑いを浮かべる。のんきなものだ。
「家はどこだ」
頬をパンパンと叩く。
「いえぇ?」
「そうだ」
「パン屋ですぅ」
とろんとした目をうっすらあける。
「いらしゃいませ」
腕を前に差し出す。もたれてきたところを抱き留めた。
「おい……」
見上げて、ふわっとほほ笑むと、クレスは髪を結んでいた紐に手をかけた。
「わからないですか」
わけも分からず、俺は混乱する。
身を持ち直すと、クレスはすうっと紐を引き抜いた。ぱさりと音もなく髪が落ちる。胸元よりも長く、差し込む月明かりに照らされ艶やかに光る。
「……見てて、ライアン」
手櫛で髪をすく。片方の肩に髪をまとめながら、柔らかい指先で編んでいく。
俺は瞠目する。男じゃない……のか。
剣を握っていたから気づかなかった。切っ先や刃、眼光、足取りばかり見てて、指先まで見ていなかったから気づかなかったんだ。
編み終わった髪の先をひもで結ぶ。座面に片手をつけ、身をしならせ、もう片方の手で前髪をあげた。
「ねぇ、ライアン。覚えてるでしょ」
パン屋の娘がそこにいた。クレスとあの娘が、同じ人物か。俺は声を失った。
剣豪の直弟子は十二歳の少年に見えた。もう一人は、同い年ぐらいの少女だと思っていた。
ふっと笑いが漏れた。すっかり騙されたと思うと、声をあげて笑いたくなる。
「わかった。パン屋まで送ろう」
俺は御者に行き先を指示した。
クレスは眠り呆けている。パン屋の娘の名前は知らない。
初日に十人以上男をのしたから誤解されたんだな。剣豪にそうとう嘘を信じ込まされていたとおじも言っていた。よほど田舎の世間知らずだったのだろう。
「……世間知らずねえ……」
もう一人思い当たる人間がいる。こちらはもっと俺の頭痛の種だ。
せっかくいろんなことが下火になり、やっと落ち着いて学院生活をおくれると思っていた。最大の被害者は、王太子でも公爵令嬢でもない。男爵令嬢だろう。しょうもない落とし穴に落ちて抜け出せなくて困っていると評した方が正しいか。
クレスがこてんと肩によりかかる。ふわっと髪が寄れば、女の子の香りが立ち上った。馬車の壁に肘をつく。片方の腕で、肩を抱いた。転んでけがしても可哀そうだ。
剣豪に鍛えられてきただけあって強い。手は抜けなかった。でも、もう無理だ。
「二度と剣をあわせたくないな……」
女だろと迫って、騎士の間でばれても面倒だ。どうして俺は、厄介ごとばかり抱え込むことになるのか。
程なくパン屋の前についた。閑静な通りで、人気もない。
「おい、ついたぞ。部屋はどこだ」
「はぁい。パン屋の裏ですぅ。階段上ってすぐの部屋……」
そう言うと、むくっと伸びて、胸元に手を入れる。俺がぎょっとしている間もなく、するすると紐で結ばれた鍵を出した。するっと首から抜く。髪がふぁさっと踊り、結んでいた紐が落ちる。長い髪の少女がほほ笑んでいた。
「……ごめんなさい。これであけて……」
鍵を手に握らされる。またふうぅっと眠りに入り、俺の胸に落ちてきた。鍵を受け取りながら、肩を支える。
「おい……、男に鍵を早々渡すな。不用心だろ……」
慌てる俺の声など、聞いちゃいない。
クレスを抱いて、馬車をおりる。パン屋の裏手にまわると、階段があった。そこをのぼる。御者にもついてきてもらい、部屋の鍵を開けてもらった。
御者がそのカギを俺に渡そうとしたところで、俺は止まった。
「……この鍵を、複製して来い。一、二時間で戻れ」
御者は黙って礼をして、鍵を持ち、階段を下りた。
質素な部屋だった。机とベッド、棚が一つ。クローゼットもない。
「こんな部屋で暮らしていたのか」
剣豪の直弟子と名乗るからには、それ相応の家の者かと思っていた。
「平民だったか」
その可能性は十分ある。彼は名前しか名乗っていなかった。家名がない。剣豪の名さえあれば、そんなことはどうでもいい。それぐらい剣豪の名は轟いている。
俺はベッドに運び、寝かせた。腰に下げている剣も抜いてやった。
顔に髪がかかっているので、指でよけてやる。頬に触れて、くすぐったそうに身をよじった。無防備すぎだ。俺に鍵を複製されるとも思っていないのだろう。
ベッドの傍らに座る。玄関を眺めると、ふと横の壁にかかっている服に目がいった。学院の制服。俺はばっとクレスを見つめた。
すうすうと寝息を立てて寝続けている。俺は立ち上がった。周囲を見回す。机の上に目を奪われた。
大きな眼鏡。三角巾。俺が貸したハンカチ。手にしていた、剣を机に並べた。
「パン屋の娘、クレス、クリスティン。全員、同一人物か……」
俺は拳を口元へ寄せた。クレスが来た時期と、クリスティンが来た時期は一致する。住まう場所は二人とも不明確だった。クレスが分からないのは騎士団に伝えてないからだが、クリスティンの登録住所は実家の方だった。
「市民に紛れていたから、秘密にしていたのか」
厄介ごとが全部一つにまとまった。そして、俺の中にもう一つ厄介ごとが増えた。
俺は眠るクリスティンの傍らに座った。彼女の様子をじっと見つめる。
ぐるんと寝返りを打つ。
「んぅ、くるしぃ」
手が衣類を探る。首元に手をかけ、ボタンをはずす。
「はあぁぁ」
深く息を吐き、満足そうに口元をほころばす。
もぞもぞと上着の裾から手を入れて、体の内部をまさぐっている。
「ふぅ」
服から手を出すと、はだけた胸元に手を入れる。胸に布地を巻いていた。その隙間に指を差し込み、ぐっと力をいれる。するすると胸元から細長い布地を引っ張り出した。投げ捨てられた細長い布をするするとたたみ、机の上に投げた。
クリスティンの前髪を払う。頬を撫でた。耳元に口を寄せる。
「クレス……クレス……、起きろ」
「はぁい」
返事がして身を起こした。
「あれ、らいあんだぁぁ」
「家に帰ってきたぞ」
「あっ、ほんとだぁ」
周囲を見て、安心した表情を見せる。
「騎士団は楽しいか」
「はぁい。いい人ですぅ、みなさん」
「そうか」
「パン屋は好きか」
「はい、お仕事もすきぃ、やさしぃ」
「そうだな」
「……クリスティン。学院は、どうだ」
今まで笑みを浮かべていた表情が曇る。今にも泣くのではないかと思い、俺は狼狽する。クリスティンは目を閉じた。
「すこぉし、つらぁい……」
「ごめんな」
閉じていた目から、涙がすうぅと落ちた。
「らいあん」
腕が伸びてきた。身をかがめると、首に抱きついてきた。思うままにだかせてやる。彼女の身が少し浮いたところで、頬に寄せていた腕を頭部に回し、もう片方の腕を背に回した。
抱き合ったまま、ぽすんと彼女のベッドに落ちる。
片肘を立てて、顔を覗き込む、肘を立てた手で頬に触れる。
くすぐったそうに、微笑する。親指で下唇を撫でると、ふっと彼女の息が漏れた。
その唇に吸い込まれそうになって、寸前で止まる。
「これじゃあ、殿下と変わらないな」
キスはやめて、もう一度だけ、抱きしめた。




