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PHASE.4 ハートブレイク・リス・ベガス

「まさかピン札がこん中に隠れていようとはな」

ダドのごつい手が、栃尾揚げを引き裂いた。その中に、麻薬のパケのように厳重にビニールで梱包されているのは、百万ドルの札束だ。

「毎日出荷する商品の中に、こいつが忍び込ませてあったんだ。水に濡れてもふやけたり破れたりしないように、ご丁寧に特殊加工までしてな。上手くやったもんだ。表社会に出られない札が入ったこの特大の揚げに工場と店で架空の発注をでっち上げ、密かに工場に戻す。残った現金は、在庫の揚げとして保管され冷蔵庫で、『本当の出荷のとき』を待つ。考えたな、ジャッジス。さすがは元・知能犯だ」

毎朝ルートを通る配送車を、リス・ベガス市警の車が阻んでいる。もはやどこにも逃げ場はない。責任者として呼ばれたジャッジスは、偽のIDで役員に成りすましていたこともばれてしまい、顔が引き攣っていた。

「私はこんな…現金のことは知らない。弁護士を呼んでくれ」

「ニャーヨークから、呼んだ方がいいんじゃないか?」

私は、言ってやった。

奴の金融犯罪での裁判は、これで急展開を見るだろう。久々にハードで大きいヤマだった。私の頬袋も緩みっぱなしだった。

そしてまだ、ハードボイルドな仕事は終わってはいなかった。

「本当に後は、任せていいのかスクワーロウ?」

「ああ、うちはうちで事情があってね。私こそ、いざってときの方はよろしく頼むよ」


「用ってなんだい、クレア」

例の車で現れたアルに、クレアは容赦なく、逮捕状があることを告げた。ダドが州検事が請求した正式な逮捕状を提示する。

「あなたはカイル・オーウェンね、アル。アルフレッド・ジーンズは三年前、この街で買い物中に行方不明になっている」

「くっ、クレア!これは…そのっ」

「この車は、フレデリック・バーンズが父親のところから持ち出した、型遅れの小型車だな。現場で発見されたキングス・レイドの銃の薬莢と、フレデリックの遺体に当たった弾丸の数が合わなかった。一発はこの車のドアを貫通していた。この車を、念入りに調べさせてもらえば、分かるこった」

ダドの容赦ない追及に、アル、いや、カイルはついに落ちた。


「奴は俺にも、一枚噛ませろと言ったんだ」

カイルは訥々と自白した。偽造IDの調達係に過ぎなかったキングスだが、狙いはジャッジスの途方もない大金だと知り、態度を急変させたのだと言う。

「仲間に入れなければ、話は警察にバラすって脅かして来たんだ」


「落ち着けよ」

さんざん銃で撃って脅かした後、キングスは言った。

「今ので分かるだろ。お前たち素人に、この仕事は無理だ」

「ふっ、ふざけやがってっ!」

フレデリックは銃を抜いたが、撃つ気はなかったはずだ。動揺しきっていた彼は、安全装置を外すのさえ、忘れていたからだ。そこをすかさず、キングスが射殺した。

「くそがっ、撃とうとしやがって!ど素人の分際でっ!」

「うわっ」

殺される。カイルはそう思った瞬間、拳銃を抜いていた。キングスは所詮、素人二人と油断していたのだろう。二メートル以内の至近距離だ。


「…あえなく、キングスは射殺された。だが、カイルも素人だった。撃たれたフレデリックを見たカイルはパニックになって一度、自分が犯罪者であることを忘れて通報(コール)しちまったんだ。九一一(日本で言う一一○番)に」

自白するカイルをビルの谷間の路地でみていたその男はそれで、私の方を振り返った。彼は銃を持っていた。

「通報を、市警のコールセンターは受け付けている。付近の車両に連絡もしていた。だが車両は無線を切った。担当者は、異常はなかったと報告をしている」

私はついに口にした。ダドが言っていた、『気になる』話を。

「リック、君がその担当者だ」

私は銃を持った男の名を呼んだ。かつて私の後輩だった男を。

「現場にはタイヤ痕が三種類あった。現場に遺棄されたキングスの車、そしてカイルが使っていたフレデリックの車、あと一種は警察車両の車種と一致した。あの日、君は現場にいた。警官としてではなく、現金強奪の首謀者としてね。キングスに偽造IDを用意させて、カイルとフレデリックを実行犯に雇ったのは君だろうリック?」

「さすがはスクワーロウさん、少しも腕は衰えてないみたいだな」

「ハードボイルドが衰えていないなと言ってくれ、リック」

裏社会と堅気、両方に通じているのは刑事の特権だ。リックは早くからID偽造の剣については捜査を進めていて、ジャッジスのマネーロンダリングがこの犯罪の真の目的と気づいた時点で、法の執行者から犯罪者へ立場を変えたと言うわけだ。

「金が必要だったんだ。やっと二人目の子供が生まれるってのに、カミさんは仕事をクビになった。その生まれる娘も先天的に、難病を抱えているが産みますか、と言われたんだ!出世したって追いつけないっ!今すぐに、金が、必要だったッ!」

「君も聞いてきたはずだ、リック。同じような、君の犯罪者の独白を。なんのためだろうがこれは、はっきりしている。君も何百人もの犯罪者に、こう告げたはずだ。リック、君は自分のためだけに他人の人生を、犠牲にしたんだ」

「うるさいッ!黙れスクワーロウ!いいから後ろを向けッ!」

私はくるりと後ろを向いた。銃を向けながらリックが、目を剥いて近づいてくる。

「あんたの得意技は、頬袋ナッツを撃つことだったよな。悪いけど、後ろから撃たせてもらうぜ。あんたを殺しておれは逃げる。もう、何もかも嫌になった」

「一人で逃げる気か?家族を救うため、バッジを血に染めたのに?」

「うるさいっ、黙れッ!」

リックが引き金を絞ろうとした瞬間だった。真上を向いた私の頬袋から射出された特製ピスタチオが、天井の配水管をぶち抜いた。勢いよく吹きだした水でリックは銃を取り落した。

「教えたはずだ、ハードボイルドに背中を向けさせるな、ってな」

間髪入れず私の渾身のストレートが、リックのあごを撃ち抜いた。

「私もダドも期待してたんだ、リック。後できちんと、彼と話をするんだな」


こうして私は旧い後輩を、ダドは引き継ぐべき優秀な部下を喪い、事件は終結した。

「悪かったな、ダド」

「なあに、元々はおれが気づいたことさ」

ダドは言ったが、顔は寂しそうだった。私は知っていた。この古株のチーフは勤続四十年近くになるが、その間に多くの仲間を喪った。事件で事故で病気で、あるいは不正で。私もその中の一人だ。孤独なダドに、同情して余りある。

「落ち込んじゃいられねえ、まだまだ隠退できねえってこった。しかし今回、ヴェルデは災難だったな」

まったくだ。ヴェルデの自社工場は司直の手が入り、彼自身も逮捕されたが、ジャッジスの裁判再開でマローネとロッソファミリーとの共謀が明らかになるにつれて、罪は免れるだろう。


『かみさんが死んで三年や!分かるかスクワーロウ!分かるか!?マローネ姐さん!モテたと思うたのに!モテたと思うたのに!』

憐れな狸だ。失恋と下心までは、弁護士には相談できない。だから私に掛けてきたのだろうが、私だって老いらくの失恋の相手をするほど暇じゃない。

「仕事中だ。そろそろ切るぞ」

従業員のケアが先だ。カイルを自ら投獄したクレアは、やっぱりそれから数日、元気がなかった。仕事にも心なしか、身が入らないようだ。

「今日はもういいよ、クレア」

昼休みの終わり、手持無沙汰にしている彼女に、私は声をかけた。

「えっ、でもスクワーロウさん、まだ昼過ぎですよ?」

「うちはその辺の会社じゃない。個人事務所だ。仕事がないときは、リラックスするに限る」

「でも、スクワーロウさん…」

口ごもるクレアに、私はチケットを放り出した。

「君は野球は嫌いかい?」

クレアは表情を変えて飛びついた。

「大好きです!」

よくネットでマイナーリーグの試合を観ているのを、私は知っていた。リス・ベガスのダウンタウンでは有名なマイナー・チームが人気なのだ。


「君はまだまだこの街を知らない、クレア」

私は言った。

「君がほんの少し、この街を嫌いになったとしても、まだまだこの街には、君が好きになれるかもしれない魅力があるんだ」


野球好きたちが、特大のビール片手に集まっている。スタジャンを着たクレアの手に引かれて、私はスタジアムへ付き合った。夕暮れの街に、明かりが灯っている。誰かがカーステレオでかけている大音量のオールディーズ・ロックは、私たちの若い頃、よく流れていたものだ。

「…『ハートブレイク・リス・ベガス』か」


人恋しい秋を逃してたって、この街なら大丈夫だ。

何しろリス・ベガスは、冬眠のない街。

目を開けてさえいれば、誰もが冷たい冬でもまだまだ新しい出会いは、飛び込んでくるのだ。

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