終
ビノールは『杜の木漏れ日亭』においてきたルノーガン師匠がリシヴルに弄ばれてるの図を見て呆然となりました。
「ええい! やめんかぁああ!」
「うにゃぁーん、あしょんでにゃのーぉお。リシヴル、モグモグちゃんとあしょびちゃいのおぉ」
他の客達はその様子を楽しそうに見て喝采や好き勝手な野次を飛ばしています。
「あら、おっかえりなさーい。ちいさいさん。朝ご飯はいかが? 昨日一日まともなもの食べました?」
メイヴンの言葉に出かけていた時間が意外と短い事をビノールは知りました。
「もらうべ。お茶は飲んだし木の実は摘まんだだが、腹はすいてるみたいだべ」
ビノールの答えにメイヴンは笑って頷きます。
「はぁい! ちいさいさん、朝ご飯ひとつはいりまぁーす」
元気の良いメイヴンの声にネヴァダの返事が奥の方から返ってきます。
ミミズのすり身を作ってるのはネヴァダなのかもしれません。
ビノールは食堂の隅でルノーガンとリシヴルの騒ぎを眺めながらミルクを飲み、リンゴの薄切りをはさんだ黒パンを食べました。
食べ終わった頃に丁度、マリーが食堂に現れリシヴルを引っ掴んで引き離し、ルノーガンに謝りました。
「申し訳有りませんでした。ノーガンさん。ご迷惑をおかけしまして。リシヴル、謝りなさい」
「うにゃあ、ごめんちゃいにゃのぉ。でも、あしょんでほしーのお」
しゅうんっとしながらも要求を忘れていないリシヴルに周囲から笑いがおこります。
本当のところ、ルノーガンもそれ程リシヴルが嫌いな訳ではないようでした。
ルノーガンの視線は食堂の隅で朝食を終えたばかりのビノールを見つけました。
ビノールは視線が合った事に本能的と言うのでしょうか、びくっと体が得も言えぬ恐怖に緊張するのを感じます。
ビノールはルノーガンの窮地(たぶん?)を救うべきだったんでしょうか?
でも、ビノールだってリシヴルは恐いのです。
勇敢なモグラ族としては身近な危険には近寄りたくありませんでした。
長生きしたいとも、早死にしたいともビノールは考えてないのですから。
「……………ビル……………」
ルノーガンに呼ばれビノールは硬直しました。
ルノーガンがビノールを呼んだ事でリシヴルは不思議そうに目を瞬きました。
二人が知り合いだということを知らなかったのでしょうし、リシヴルはヴィールが苦手なのかも知れないとビノールは思い気にも止めませんでした。
「うにゃん、びるちゃん、ヴィールちゃんはぁ?」
リシヴルはパチパチと瞬きをし、きょろんっとビノールの周囲を見回しました。
そしてヴィールがいない事を確認するとルノーガンを押しのけ(その前にルノーガンはリシヴルの視界に入らないよう逃げてました)、椅子をビノールのテーブルまで引っ張ってきて、その椅子に座り、ビノールをじっと見つめます。
だらだらと汗が背中をつたい落ちるのをビノールは感じます。
やっぱりビノールにはそのきらめく爪と牙が恐いのです。
「びるちゃん、ヴィールちゃんにね、リシヴルがね、ありがとねって言ってたって伝えといてね。エジンドラねえさまがマリーに言ったの。リシヴル、だれにもいわにゃかったから。マリーにもネヴァダねえさまにも怒られなかったの。エジンドラねえさまには怒られたけど」
えへっとリシヴルは舌を出して、照れたように笑うときらんっと目を光らせ、視界の隅に捕獲したらしいルノーガンに飛びつきました。
「あしょんでにゃのー。ノーガンちゃんがよいにょ-らぁ! ノーガンちゃんあしょんでほしいにょおぉ」
「うぎゃあああああっ!」
ルノーガンの悲鳴にビノールは合掌し、最後のミルクを飲みほし、もう一度合掌しました。
「師匠、おら、部屋に戻ってるだよ」
「薄情者おおおおお!」
ビノールはルノーガンの泣き言を聞きながら自分はああいう失態を引き起こさないようにしようと心に誓いました。
そして、これ以上と後でつけたします。
「おら、もうちっと修行せにゃなんねーべなぁ」
そうこぼし、ビノールはヴィールのとった部屋へもぐりこみました。
ヴィールの部屋のベッドはとっても気持ち良いのです。
そして、そこで懐にしまわれてるミミズの衣揚げを食べる事を思うと涎がこぼれそうになって慌てて口元を拭いごまかしました。
ヴィールはどこから現れるかわかりませんし、ちょっと恥ずかしかったのです。
ヴィールが宿に戻ってきたのはその日の昼ごろでした。
部屋に戻ったヴィールは窓から差し込む昼の光の中、安らかに眠るビノールを見て笑い出しました。
何が可笑しかったのかはヴィール自身にもわかりません。
すっかり空っぽになったミミズの衣揚げを入れていた袋?
そんな状況は予想済みでした。
「ヴィール?」
笑い声で目を覚ましたらしいビノールはまだ眠い目を擦りながら顔を上げました。
くすくす笑いをこぼしながら厚手のカーテンをひいてくれるヴィールの事をありがたく思いながらもなぜ笑われているのかがわからなくてビノールは戸惑います。
「ヴィール?」
返事を待って、もう一度ビノールはヴィールに呼び掛けました。
ヴィールもまた戸惑っていました。
頬をつたう水・涙の存在に。
この状況は笑いながら泣いているのか泣きながら笑ってるのか、そして、笑いと泣きのどちらが主なのかわからなくて。
ビノールもヴィールの様子に気がつきました。
同時にヴィールの戸惑いも。
ビノールにはヴィールが戸惑い悲しみ、そんな気持ちがつらく苦しいのだとわかってしまいました。
それを慰めたいと思ってる自分の心も。
「ヴィール」
ビノールは名を呼び、ヴィールの傍へとよりました。
そして一所懸命に心に浮かぶ言葉と気持ちを形にします。
「大丈夫だべ。ヴィール、恐かったんだべ? 安心したんだべ? それだけだべ。ヴィールにはまだ早かったんだべ。急に知ること・理解しなきゃいけない事がたくさん有り過ぎて、背伸びをたっぷりしなきゃなんねかったから、ヴィールの心が少し耐えられなかったんだべなぁ。大丈夫だべ、おら、ずっとヴィールのそばにいるだよ。ヴィールが必要とする限り、命の限り」
不思議そうな眼差しでヴィールはビノールを見下ろしました。
ヴィールにはビノールの言う言葉の正しさを認める事が出来ます。
その言葉を正しく理解します。
でも疑問です。
ビノールが自分の言った言葉の意味を理解して言ってるとしたらヴィールはビノールにドラゴンの力と寿命を分け与えずにはいられません。
強き力を持つ者の傍に居るということはその力の影響を受けるものなのです。
そしてヴィールはビノールに好感を持っています。
そう誰に対してよりも強く。
だいたい二百年生きるモグラ族の中で力ある存在である魔法使いは三百年からそれ以上生きます。
つまりビノールがヴィールのそばに居ると言うのなら、事実居続けるのなら、千年は生きる事になるでしょう。
ビノールがそれを理解しているとしたら、ヴィールにとってその申し出は嬉しくてたまりません。
ビノールは多くの友の、身内の死に直面するでしょう。
それを理解して言っているというのならビノールは確かに勇敢なモグラ族なのだろうとヴィールは思います。
そう真実理解しているのならば、です。
でもヴィールは思います。
ビノールは理解していようがいまいが同じことを言ってくれるんだろうな。と。
「そんな事を言うと二度と手放さないぞ」
くすくす笑いの混じったヴィールの言葉にビノールは嬉しくなって笑いました。
ビノールはヴィールが幸せならいいなぁって思ったのです。
だって、ちょっぴりくらい後悔するかもしれなくても、ビノールはヴィールが好きですし、後悔する事なんて今は考えられなかったのです。
ビノールは後でルノーガンに『杜の木漏れ日亭』の彼女ら『大地の巫女』達がどうしたかを聞きました。
巫女の中で一番年上のマリーはメリクの街の宿『杜の木漏れ日亭』を続け、ネヴァダやメイヴン、リシヴルは緑のドラゴン、グリス姫のそばに仕える巫女の役割を果たすということでした。
その横であくびを洩らしながら話を聞いてるヴィールの仕草は子供っぽく、どうしてかビノールはちょっと嬉しくなります。
そしてヴィールの眼差しが時折ちら、ちらっとビノールを見ている事にビノール本人は気がついていました。
「ビノール」
不意に呼び掛けられビノールはびっくりしました。
ルノーガンの話が終ったすぐ後でした。
びっくりしつつヴィールの方を見たビノールは不吉な予感が細波のように自分を追い詰めるのを感じます。
ヴィールはご機嫌でした。
何かを決めた時のように。
大概それは急激すぎる動きでのんびり温厚なモグラ族がいくら勇敢でもちょっと、かなり、つらいことなのがビノールには理解出来てしまっていました。
それでもビノールはヴィールの言葉を待ちました。
気分は死刑宣告を受ける囚人です。
「『神殿』巡り行くぞ。『地の神殿』は行ったから、あと『火』と『風』と『水』と、………『光』の、な。ルノーガン、その旨、グリス姫に伝えておいてくれ。ビノール、家に帰ろう。少し疲れてしまったし、やる事は数多くある」
優しく微笑まれ、頷いた事をビノールはその後、気分的に何度か後悔しました。
後味は悪くともヴィールにとっての最初の試練は終わり、ビノールの修行時間はまだ半年以上残っています。
ヴィールと共に居るということはいい修行であると、ビノールは自分を納得させてみました。
END




