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ほんの少し前に戻ります。
ビノールとエジンドラはエダス王の指し示すがままに隣室に入りました。
その部屋は淡い色合いの優しい部屋でした。
濃い緑の絨毯。白いレースの掛かっているテーブル。
温かそうなお茶がテーブルにはのっています。
大きな白い楽器の前に彼女・エレファーガはいました。
「まあ。お客様? 今、お茶をいれますわ。腰掛けてごゆっくりなさってね」
ふんわりと笑うとまぶしい金の髪がさらりと揺れます。
白く長い衣装を揺らし、エレファーガは本当に嬉しそうにエジンドラとビノールにお茶をいれます。
「わたしはエレファーガというの。貴方たちのお名前もよろしければ教えて下さらないかしら?」
無邪気に微笑むエレファーガにビノールとエジンドラはつい微笑をこぼしました。
エレファーガはついそんな気分にさせる何かを持っているのです。
「おら、ビノールっちゅうだ。おひいさん」
「ビノールさん? かわいいお名前」
くすくす笑うとエレファーガはビノールの前にお茶を差し出しました。
そして、エジンドラの方を見て軽く首を傾げます。
「あの、お尋ねしてもかまわないかしら。お名前」
ふわんっと微笑むエレファーガにエジンドラはフードを後ろに外しました。
「エジンドラ。そう呼んで下さればかまわないわ。お茶をありがとう」
ビノールはここで初めてエジンドラの淡雪のような綿毛のようなやわらかそうな白っぽい髪を見ました。
そして髪の合間からぴょこんと出ている猫の耳も。
「どういたしまして。エジンドラさん。喜んでいただけるのならわたしも嬉しいです」
本当に嬉しそうに両の手を胸元で組み合わせたエレファーガを見ているとビノールはここが『死のイバラ城』だということを忘れそうになりました。
何しろお茶は美味しく、優しいエレファーガが出してくれた木の実は少しぴりっとくる味がしましたが慣れれば美味しかったのです。
エレファーガはビノールとエジンドラの話す話を喜んで聞き、二人にエレファーガの楽器演奏を披露しこそしてくれました。
ビノールは本当にその時間、あんまり楽しくて今、この時にヴィールがどういう状況に置かれているかをすっかり忘れていたのです。
本当に隣の部屋にいるヴィールとエダス王の会話はビノール達のいる部屋には漏れてはこなかったのです。
ヴィールの声が同じようにくつろいでいたはずのエジンドラに届き、エジンドラがビノールに異変を伝えるその時まで。
「エジンドラ 支えろ」と。
ヴィールの力がエダス王を襲いました。
黒く色のついた風がエダス王の肌を切り裂きます。
喉を、顔を、目を、手足を、総てを切り裂きます。
いくら二千年にわたり生き長らえた力ある魔導士といえど人間である限りドラゴンの魔力には抵抗しきれるはずもなく、その無防備にして虚弱な肉体は脆く崩れ去っていきます。
切り刻んで殺して、ヴィールは自分の中にも流れる人間の血を知りました。
ポッカリ開いた空間。さざ波のように押し寄せてくる虚しさと悲しさ。生っ粋のドラゴンなら感じないであろう喪失の感覚。
たかだか一人の『人間』の命を散らしただけです。
しかも彼は自分の力を掠め盗る寄生虫にも等しき者でした。
彼は別にドラゴン達に利益を与えた訳でも、全幅の信頼をおいていた訳でもなく、今は亡き『闇の龍皇姫』に愛され、結果その愛情を利用し、裏切った小悪党。
たかだかそれだけの『人間』です。
それでも、父親でした。母の愛した『生涯の伴侶』でした。
足元に水滴が落ちました。
頬をつたう水の感触にヴィールは空を仰ぎます。
雨漏りもなにも水の気配は有りません。
足元から聞こえてきた声が事実をそっと教えてくれるまで、ヴィールは気がつかなかったのです。
「ヴィール、ヴィール。泣いてる場合じゃねぇべ、エジンドラが城を支えてられるのは後ちょっとだっちゅうことだべぇ。早く、出るだよ」
心持ちいつもより優しい声にヴィールはビノールを見下ろしました。
「ああ、そうだな」
(泣いてる? 俺が? どうして?)
「おとうさま?」
ぼんやりとした声。
「おとうさまぁ!」
続いて悲鳴がヴィールに届きました。
(だれ?)
目を向けた先、波打ち、白い衣服に流れる金の髪。
ほっそりとした純白の肌。
無残に切り刻まれた男の死体にすがりつき泣き崩れている娘。
美しい光りの結晶のような姿に血の赤が混じっています。
「エレファーガ」
ヴィールの口がその娘の名を刻みました。
その娘はエレファーガ。ヴィールの姉であり、エダス王の娘。
そして、光の龍皇の選ばれし巫女です。
「……ひとごろし。貴方も同じ罰を受ければいいのよ。お父様は貴方に会うのを楽しみになされてたのに。ひとごろし。なににも劣る親殺し。どうして、どうして、お父様を殺したのよ!」
小さく頼りない口調から次第にしっかりとした口調でエレファーガはヴィールを責めたてました。
責められることはドラゴンとしてのヴィールには理解することができないながらもエレファーガが自分を憎んでいることは理解できました。
ドラゴンはよく不当(時には正当)に責められるものなのです。
強大なる力と遥かに超越した寿命を持つ種であるがゆえに。
でもビノールは信じられませんでした。
優しくてやわらかい微笑みをくれてお茶を入れてくれたエレファーガがそんな言葉を他人に向けるだなんて。
「おひいさん、ヴィールを責めてる場合じゃねーべ。お城は後ちょっとばかしで壊れちまうだよ。早く逃げねばならねべ」
ビノールは状況の緊迫をぶち壊すようにエレファーガの腕をとりました。
「放して!」
エレファーガに突き放されてビノールはころころっと床を転がります。
転がったおかげでビノールの体に血のついていない所を探すのが大変そうです。
ヴィールはそのことにむっとしましたが、すべき事を始めました。
軽く空を見上げ、手に持つ剣を軽く握り締め、呼吸と心を静かに整えました。
「彼方光の神殿に居し方、光の龍皇様、貴方の巫女を在るべき下より闇の龍皇たる我が支配下内に永く捉えし事を謝罪し、御君の御傍に御返し致します。どうか御迎え下さりますよう切に願います。闇の龍皇として至らぬとは思いますが、どうかご指導願います」
言い終わると何もない空間に対し一礼し、ヴィールはエレファーガにその指先を向けました。
「なにも、何も心配はありませんよ『光の巫女』、『光の龍皇』様は貴女を歓迎して下さるでしょう。そこが貴女の在るべき場所なのですから」
ヴィールはにこやかに穏やかにまるで憎まれていることなどわからないかのように振る舞います。
そして降りくる光にエレファーガを軽く押し出しました。
蜜のように濃厚な、そして穏やかな金の光にヴィールは目を細めます。
エレファーガは自分が本来属する存在である光にうっとりと目を向けました。
今この瞬間、エレファーガが不安も恐怖も憎悪も忘れ、光に見惚れ魅入られている様はヴィールに手に取るようにわかりました。
『巫女』はその属性・『光』なら『光』、その強き存在に支配される存在です。
『光の巫女』である『姉』は『光の龍皇』に支配される存在。
『巫女』が支配される事に安心を見出す事をヴィールは『闇の龍皇』として知っているのです。
ビノールは両手で目を覆い、不安そうに丸まっています。
『幼き闇の龍皇。確かに我が巫女を我が神殿に招き入れましょう。どうかその優しき心のあるがままにお進み下さい。いずれ、お会い出来るようお待ちしております』
穏やかで優しい声で光の龍皇はヴィールにそう告げると、エレファーガをその場より連れ去ったのです。
淡く優しい光は失せ、急激に周囲が暗くなりました。
ビノールはパチパチと瞬きし、心地好い闇に目を慣らしました。
目の奥にまだ光の残像が残ってる気がしてくらくらします。
「エジンドラ、もう、いい。後は俺が支える。こっちに来るといい。移動する」
ビノールの耳にどこか妙な感じのするヴィールの声が届きます。
どこが、何がなんてビノールにはわかりません。
でも、ヴィールの雰囲気はやっぱりおかしいように思うのです。
エジンドラはフードからこぼれた淡雪のようなほわんっとした綿毛の髪をフードに押し込み、頷きました。
「エダス王は滅しましたの? ヴィール殿」
エジンドラの問いにヴィールは静かに頷きます。
「そうだ。エダスの町は滅ぶ。その王と共に。死者の町は死者の町に相応しく沈黙の暗闇の底へ。静かなる安息の街となるが為に」
(ちちうえ。……そして母上、どうか心安らかに……)
ヴィールは意識の隅で心配のし過ぎで明らかに挙動不審人物(ならぬ挙動不審モグラ)になっているビノールを認め、沈んではいられなくなってきました。
父の死、姉からの拒絶、重なりあった幼い心を傷つけ翻弄する出来事にヴィールは自分が感傷的になり、沈んでいたことを自覚しました。
そう、自分が思ったより傷ついているらしいと。
それにヴィールはビノールにそこまで心配してもらって嬉しくもあり、気恥ずかしくもありました。
「エジンドラ、君達メリクの娘達に会いたいとおっしゃられている方がいる。まずはエジンドラ、お前が行ってお会いする気はないか? その方が喜ばれるだろうし、な」
エジンドラはヴィールの言葉に首を傾げました。
『自分達に会いたがってる方』で『ヴィールの知り合い』でもある相手がまるっきり想像出来なかったのです。
「何の事をおっしゃられているのかわかりませんが、我ら『メリクの娘』と呼ばれる者のつとめは終りました。エダス王が在るべき姿に、死者として眠るのなら我らはもう見守る必要も有りませんもの。お役にたてるのでしたら喜んで」




