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 『死のイバラ城』に足を踏み入れたビノールは美しく咲き乱れる色とりどりの花々に目を奪われました。

 だから煩わしげに先を急ぐヴィールに少し置いてけぼりされました。

 慌ててヴィールの後を追ったビノールには実に残念なことに後の風景を見る余裕は有りませんでした。

 ただ、覚えているのは花々の強い匂い。

 エダス王に会うのに不思議と時間はかかりませんでした。

 一番高い塔の一室に彼は居ました。まるで待っていたかのように。

 黒いローブはありとあらゆる色の糸で複雑に刺繍を施されていて重そうです。

 目の覚めるような青い髪を肩で切り揃え、何処か病んでいるような青白い顔には真紅の入れ墨、妙に落ち着いた濃緑色の瞳。

 ビノールには彼が2000年の時を生き、多くの命を弄び滅ぼした『悪の魔導師』とはとても思えません。

 もちろん『良き魔導士』にも見えませんでしたが。

「よく来たな」

 よく通る澄んだ声で彼は言います。

 びくんとエジンドラが怯えたのをビノールは音で知りました。

 ビノールにはエダス王が悪い人にはやっぱり見えませんでした。

 どちらかというと『普通』と称される類の人のような気がするのです。

「我が息子よ」

 ヴィールが息を飲むのが聞取れます。

 ビノールもびっくりしました。

 こんな『普通』そうな『人』の『魔導士』が『普通』とは異なるヴィールの父親だなんて。

 それにビノールにはヴィールの父親がこんな『ただの人』だと言うのも信じられませんでした。

 もしかしたら普通っぽく見えてるだけかな? とビノールは首を傾げたい衝動にかられました。

「はじめまして。父上」

 穏やかな落ち着いた声でヴィールも返します。

「メリクの娘エジンドラ、そしてそこのモグラ、少々席を外しておくれ、隣室を使うといい」

 優しく響いてくるその声にビノールはなんとなく逆らえない気がして示された扉へ向かいます。エジンドラも同じ様でした。

 ヴィールとエダス王はしばらく黙ったまま二人が出て行くのを見送りました。

「会いたかったよ。私の息子」

 ヴィールはエダス王の真実嬉しそうな声に微笑みを浮かべました。

 誰がどう中傷しようとも彼は息子をただ一度でもその目で見、抱き締め呼びかけたかっただけだったのです。

 どんな手段をもとうともです。どう自分が曲がろうともです。

 ヴィールはエダス王、父親のその思いを知っています。

 人間である父親にドラゴンの考え方を押し付けることは出来ないし、人間には理解し難い事である、そのことが彼を苦しめることになるのです。

「お会いできて俺も嬉しいです。でも俺は貴方の死神ですよ?」

(嬉しいだって? 嬉しいさ。会えてね。でも殺さなくっちゃいけない。俺が一人前になるには。どうして、会いたかった。だなんて言うんだろう? 殺されたかったと言うんだろうか?)

「会いたかった。おいで。ヴィアルリューン、それがお前の名前だろう? もっとよく顔を見せておくれ。大きくなって。私は息子が欲しかった。普通の家族が。私と妻、可愛い娘と息子。子供は何人いてもいい。子供の存在は喜びだから」

「だから他人からは奪ってもいい?」

 優しく紡がれる父親の甘い言葉、きっと真実彼の夢で望んだものなんです。

 それをヴィールはよくあること、しかたなき事としては受け入れ難く思います。

 そのために子供を、親をその触れ合いによる喜びを奪う事は許されざる事だと。

 望むなら他者からそれを奪うべきではないとヴィールは思うのです。

「奪う? 私は君に会いたかっただけだよ。なぜ、息子に会うことなく死ななければならない? 生きるための力は必要だよ」

 ヴィールの言うことがわからないというようにエダス王はローブの胸元をピッと引っ張りました。

 優しく微笑む父親の姿にヴィールは力無く溜息をこぼしました。

 『父』に殺された『冒険者』達。

 『親』であり、『子供』である者たち。

 彼らの中には多くいたのです。

 生き別れた『親』を探す『子供』。

 もう時期生まれる『子供』のためにこれから生きていかなくてはならない『子供』のために一攫千金を望んだ『親』。

 そして、細々とでも地道に力強く生きていた人々。

 彼らにも生きる力は必要だったはずでした。

 奪われるべきではなかったのです。

 エダスは『闇の龍皇姫』の夫になるには器が小さかったのです。

 夫となり、得た強い力、なまじっか使いこなす技を持つがゆえに力に振り回されたのだと理解できるヴィールは彼の生き様があまりに惨めで哀れで、溜息がこぼれるだけなのです。

 失われた他者に対する想い。

 華美を好み、力を好み、他者を見ない。

 自分に逆らう者を許容できない小さな哀れな男。

 それでも、

「貴方は死ななくてはならない」

 それは約束。

 エダス王と闇の龍皇姫ヴァイルリュージアとの間に交わされた約束。

 『わたくしとの間に子を持つという事は貴方にとって死を意味します。永久に共に居たいというわたくしの我が侭。死がわたくし達を引き裂くことはないのです。わたくし達ドラゴンの多くはその子に力の大半を譲ります。その子供の器が満ちるまで力を注ぎ譲るのです。エダス、わたくし、別に子供を抱きたいとは思いません。貴方と共に生きてゆけるのなら』

 『ヴァイルリュージア、私の妻よ。私の夢を叶えておくれ、私は父も母も知らぬ、だからかも知れぬが家族に憧れる。愛しい妻と可愛い子供たち。離れることのない家族。それが私の夢。それが叶うなら死ぬことなど恐くはないさ』

 そして一年後、エレファーガが産まれました。

 そして黒い手の平大の玉子が。

 エダス王はそのことを思い出しました。

 忘れたことなど有りはしなかったのですから。

 夢は必ず叶えるべきものなんです。エダス王にとっては。

 そして闇の姫はエダス王の言葉を自分の都合の良いように聞き、自分を騙しました。

 エダスは自分の言いたい事をわかってくれている。とです。

 愚かな息子に向かいエダス王は笑顔を向けました。

 エダス王にとってヴィールは、諭すべき幼く思慮なき愚かな子供としか見えませんでした。

「死ななくてはならない? お前はそうやって存在するではないか。お前はそのことに感謝しないのか? そのことをありがたい事と思い、満足すべきではないのか?」

 エダス王の言葉はひどくヴィールの自尊心を傷つけました。

(あ・り・が・た・く? か・ん・しゃ・し・ろ? 統べし存在が統べられし存在にか? ドラゴンが人間に? 闇の龍皇が、力を掠め取るしか芸のないような寄生虫に等しき魔導師ごときに? 愚かな男。諭す価値もなく自らの欲に溺れた男。渇望した夢を叶えたくば同じ人間かより近しい者を選ぶべきであったのに。正当な判断すら出来ずになにが魔導師だ? 殺す価値もこの男自身にはありはしない。ただ、俺の力を必要以上に引き出されるのを阻止するためにはこの男は死ななくてはならない。この男、決して得た力を手放しはしないだろうから)

 色のない風がエダス王のローブを揺らします。

 風はヴィールから吹いていることがエダス王には解りました。

 でも、ヴィールがなにをしようとしているのかは解りませんでした。

「エジンドラ! 支えろ!」

 ヴィールの命令の声。


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