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『黒の迷宮』に訪れたヴィールはすぐ横に当たり前のように、まだ眠いのか、目を擦りつつモグラの化けた小人、ビノールがちょこちょこついています。
薄暗い迷宮。
同じように入ってきた者達が明りをつけ、慎重に周囲を見回す中、ヴィールは黙々と足を進めます。
「ビノール、引き返すのなら今だぞ。魔物は寄付きはしまいが、迷宮を抜ければどの様なものが待ってるともわからんかも知れん。ルノーガンと共に修業の旅をし、見聞を深めるのもお前達にとってはひとつの道になるだろうからな」
進むにつれ、かけられている松明はなくなり、燃え尽き、落ちたらしい松明、尖った武器か爪が削ったらしい壁の傷、古い黴びた空気の匂いに混じる腐臭と血臭。
ビノールは馴れない匂いに気分が少し悪くなります。
でもビノールに引き返す気はこれっぽっちもありません。
もちろん、ヴィールが忠告して引き返す事を薦めてくれたのは嬉しかったんです。
気のせいだったとしても、それだけ大事にされてる気がしましたから。
「ヴィール、無駄だ、おら、友達があぶねば事、しよっつってんのに見捨てれるほど薄情じゃねぇだ。おら恐くなったら逃げっから、そんときゃ勘弁だぁ」
ヴィールは困ったように苦笑を洩らしますが、照れてるのがビノールにはなんとなくわかりました。
迷わず足早に歩くヴィールにビノールがついて行くのは大変でした。
時折ヴィールは足を止め、周囲を見渡し、少し考え込み、ついでにビノールを待ちました。
漆黒の隠し扉。
だが、ビノールやヴィールの目にはくっきりと見え、隠し扉という印象はビノールはもちませんでした。
隠し部屋には剣の突き立った台座が有りました。
台座に深々と突き刺さった闇色の剣。
『黒き永久の剣』
闇色の刀身は人を引き付ける妖しい光を放っていました。
禍々しいとも言える光にビノールは何故かふらりっと引き寄せられます。
「ビノール、戻っておいで」
ヴィールの招きにビノールは剣に触れかけてた手を引きました。
ゆっくり振り返ったビノールの目の前には静かに微笑むヴィールがいました。
ひどく大人びて思慮深げで穏やかな闇の支配者。
でも寂しがり屋で孤独を嫌う我が侭な小さな子供。
ヴィールの眼差しにビノールは彼の不安と、寂しさと、僅かばかりの恐怖を垣間見ました。
ゆっくりとした動作でヴィールは台座に近づき、なお、ゆっくりした動作で黒い剣を台座から引き抜きました。
その剣は魅せられずにはいれない不思議な美しさがあります。
しかし、引き抜かれた瞬間に禍々しくも美しい刀身は霧散し、装飾の施されたつかだけがヴィールの手元に残っています。
ビノールが黙って見ているとヴィールはその長い髪にその柄をあてがい、勢いよく振り上げました。
勢いで起った風で髪が揺れます。
飾り気のない漆黒の刀身は闇色。
ヴィールの手に握られた長い黒髪。
でも、握られているその黒髪は波打っていてヴィールのまっすぐな黒髪とは異なる髪でした。
ヴィールの背を打ち、まっすぐに落ちていた黒髪は消え、雑に切られた髪は肩にまでも届きません。
「ヴィール」
おずおずとした口調でビノールに呼ばれたヴィールは振り返り、小さなモグラを見下ろしました。
「大丈夫、ビノール。これは俺の為さねばならぬこと。俺のための修行。必要なこと」
明らかに自ら言い聞かせている言葉にビノールは急に不安になりました。
ひどくヴィールが不安で不安定な気がするのです。
自分に言い聞かせてそれを無理に納得しようとしているかのようで。です。
そんなヴィールの様子にビノールは説明の出来ない恐怖を感じます。
それに反して闇の漆黒を持つ刀身は清らかで爽やかで安心感をもたらします。
「貴方がヴィール殿?」
闇の中から現れたのは灰色のフード付きマントに身を包んだ女魔法使い。
「マリー伯母様から聞いております。わたくし、キシュラ・エジンドラ・メリクと申します。お伺い致しますが、『死のイバラ城』、どうしても行かれるのですか?」
聞取りにくい嗄れた女の声です。
迷宮前で別れたはずのエジンドラでした。しかし、彼女は初対面のように語りかけてきます。
ヴィールが頷くのを確認した魔女は一度頷き、少し沈黙しました。
「エジンドラ、俺は君の力を期待しない。門はすぐに閉ざしてくれてかまわない。俺はエダス王に問いたいことがある。彼の王が耳を傾けることを願い尋ねること。エジンドラ、魔に束縛されし『緑の巫女』よ。俺が姫に約束せしこと。君達の束縛よりの解放。信じなくてかまわない。希望の光りは何処にもないのだから」
静かに紡がれるヴィールの言葉に魔女エジンドラは小さく頷きました。
ビノールはヴィールの力有る言葉に得体の知れない不安が大きくなるのを感じます。
だから、ヴィールが時折ビノール自身の反応を伺っているのに気がつけたのです。
口を開いていい場面かどうかの判別はその時のビノールには有りませんでした。
ただ、無性に言いたかったのです。
伝えたかったのです。ヴィールに沸き上がってきた自分の気持ちを。
「おら、ついてくだよ。ヴィール、おら、まだ逃げたくなるほど恐くはねぇだ。エダス王はおっかねぇっつう人もおるだけど、おら、エダス王を懐かしく語る人にも会ったべ。だから、そんほど、恐い人じゃねぇと思うだ。理由があるだよ。きっと。おらぁ、いったいなに言ってるんだべ?」
ヴィールを励まそうとビノールは一生懸命言いたいことをもう一度まとめようと頭をひねります。
考えれば考えるほど思いが沸き上がり、言葉がついてゆきません。
あんまりに考えがまとまらなくて涙ぐみそうになりはじめた時、ヴィールに軽く頭を叩かれ、ビノールは顔を上げました。
「ありがとう。ビノール。もういいんだ。十二分にお前が優しいのはわかったから。心配させて悪かったな」
ビノールは妙に優しいヴィールをつい気持ち悪いと思ってしまいました。
そしてそれは顔と態度に出てたらしかったのです。
「……おまえな……」
怒られると思ったビノールは溜息を吐いただけのヴィールの行動に気抜けしました。
「いいよ。ビノール、怒っちゃいない。ついてくるといい。最後まで、なにが待っていても俺のそばにいる限り、俺を信じていれるのなら。俺はお前を守れるから」
「ヴィールぅ、おらぁ、そー言われっと帰るべっかなって思うだよぉ」
「もうよろしいかしら?」
不意に耳に届いた灰色マントの魔女エジンドラの声にビノールは慌てました。
すっかり彼女のことを忘れていたのです。
ビノールはとたんに恥ずかしくなりました。
どれほど自分の愚かさ・情けなさをこの『女魔法使い』に曝したことでしょう。
自分と同じ『魔法使い』という立場にいる存在にです。
「ああ、かまわない。俺はエジンドラ、君の返事を待っているんだが?」
エジンドラは軽く首を傾げました。
「そちらのお連れ様がお喋りだったでしょう? そんな状況でまともに聞いて頂けますのかしら?」
すまして語るエジンドラの言葉にビノールは赤くなりました。
「双方聞くことは容易だ。答えてくれてかまわん」
随分、生意気に聞こえるヴィールの言葉にエジンドラはフードの下で溜息を洩らしました。
ビノールはこれはヴィールなりに庇ってくれてるのか事実を言ってるだけなのかちょっと悩むところです。
「共にまいりますわ。『メリクの娘』の役割・使命を放棄する訳にはいきませんから。門の開閉のみが役割では有りませんもの。門はこちらですわ。ヴィール殿、ですが門を開ければ後戻りは出来ませんのよ。ビノールさん」
ビノールはびくびくと、それでも決意を込めて力一杯頷きました。
「おらぁ、がんばるだぁ」
ヴィールはちらっと決意に燃えるビノールの足が震えているのを確認しましたが、あえて沈黙を守りました。
恐くて当然なのです。
モグラであるビノールがいようがいまいが、どうこう出来る場所に行く訳ではないのですから。
エジンドラが案内したのは『約束の剣』があった隠し部屋からさらに進んだ場所。
緑水晶の呪符にエジンドラが魔力を注ぎ、その扉を開けました。
扉を開けるとぞわりっと流れくる臭気。そして、黒い壁に幾重にも封じの呪具が掛けられ、その隙間から漂う死臭にビノールは気分が悪くなりました。
平然としているヴィールとエジンドラがビノールには理解できないのです。
ヴィールが淡々と『約束の剣』を壁に向かい振り降ろしました。
壁の割れ目から吹き出す死臭・腐臭。
吹き出すその臭気に当てられ、どろどろと壁が腐り落ちてゆきます。
ビノールのその前にヴィールが立っていてくれたからこそ直撃されなかったのです。
「恐くないか? ビノール、今ならまだ引き返すことが出来るぞ」
ビノールはちらりと後ろを見るとすぐに肩をすくめました。
ここまで来れたのはヴィールにくっついて来たからです。
ここで引き返せば道々、見かけた骸と同じ運命でしょう。
ヴィールが言うようにあっさり帰れるとはビノールにはとうてい思えませんでした。
「おら、引き返す方がこえぇだ。おら、ついてくだぁ。それに引き返すっちゅうんは許されちゃおらんのだべ。それがおら達の修業のしきたりだべ。おらは『勇敢』なモグラ族ノルビックの孫の娘の息子の嫁の兄の孫の孫だべ。おらが、その名を汚しちゃいけねーべ。許されるべきじゃーねーべ。だから、おら、ガンバルだ」
「ビノール、言っていいか?」
「何だべ? ヴィール」
「それ、他人って言うんだぞ。そういう言い方したら」
「そーとも言うべ。べも、おんなじ部族の産まれだべ。8代前の爺ちゃんだべ。曾爺ちゃんの曾爺ちゃんの爺ちゃんだべ」




