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 リンゴをくりぬいた器にたぷんっと入っている葡萄の蜜漬け酒にルノーガンは喜びました。

 ビノールも始めて食べるドングリの薄焼きをお腹いっぱい詰め込みました。

 薄焼きにはミミズの味が付いています。

 多分、干しミミズを砕いたものが混じっているのでしょう。

 ビノールはルノーガンにミーミールのことを訊ねました。

「おっ師匠様、おら、今日おっきい人に会いましただ」

「おっきいひと?」

 ビノールがミーミールの説明をするとルノーガンは蜜酒に薄焼きを浸し、ビノールを上から下まで眺めます。

「知識の主精霊ウロボロスの眷属、ミーミルズ。図書館の守護精霊の一人だろう。わしも昔ミルズと名乗ったミーミルズに会ったことがある」

 二人は夜更けまで図書館の精霊について話し合いました。

 ビノールはルノーガンと喋るよりこのことをヴィールに教えてあげたいという思いが込み上げてきます。

 その夜ビノールは宿の裏にある井戸の側で空を見上げていました。

 ルノーガンはもう寝ています。

 空には無限の星が煌めき、星読み達に未来を示し続けています。

 幾度目のため息をこぼしたでしょうか、ビノールはしげみからがさごそと音が洩れてくるのに気がつきました。

 しげみから出てきたのはビノールと同じくらいの大きさの猫の匂いのする少女。

「うにゃん?」

 少女の洩らした声は少し驚きが含まれています。

 星明りに照らし出された少女はビノールを見て小さく首を傾げます。

「びっくりにゃの。君はだぁれ?」

 ふろんっと尻尾が軽く揺れ、ビノールはびっくりします。

 ビノールにとって恐いことに、ふわふわの毛に覆われた手の先に爪が光っています。

「おらぁ、おらぁ、あやしいもんじゃねーべ」

 爪がキラキラ口を開ける度に見える牙もキラキラ。

 無防備に微笑む少女。

 それでもビノールは爪と牙が恐いと思います。

「ウチのお客しゃま?」

 ちらりと少女の目が宿を映します。

 びくびくと頷くビノールに少女はぴょんっと飛び跳ねました。

「うにゃーい。ごめんにゃさーい。あにょね、メイヴンおねーちゃまには内緒ね。怒られちゃう。リシヴルねー、いっつも怒られるのー。でも怒られんの嫌いにゃの」

 少女はおねだりするように首を傾げ、ビノールをじっと見つめます。

「でも怒られるっと」

 気楽な聞き覚えのある声がビノールの耳に届きました。

 闇の化身、小さな友達、闇の龍皇ヴィールです。

「うにゃっ!?」

 少女は驚いた声をあげ、周囲を見回しました。

「よぉ、メリクの末娘」

 ビノールは月明りに照らし出されたヴィールと思わしき人物の姿に数度、目を瞬かせます。

 人に化けたビノールと同じくらいの大きさだったはずのヴィールはおらず、そこに立っているのは漆黒の髪を無造作に流した人の青年。

 月の光を浴び、闇色の装束からこぼれる仄皓い煌めき。

 夜の闇より闇色の人。

 少女の瞳にはどの様に映ったのか、少女は青年を見上げます。

「リシヴル、あにゃた知らにゃい」

 青年は小さく笑いました。

「でも俺は知ってる。でも俺が会いたいお前達の長姉エジンドラに会わせてくれたらごまかしてやるぞ」

 ビノールはこの物言いにこの青年がヴィールであることをようやく認めることが出来ました。

 ビノールの視線に気がついたのか、ヴィールがビノールを見下ろします。

「よぉ、ビル、何を疑ってるんだ? 俺様は俺様だぞ」

 偉そうな言い方にビノールは苦笑を噛み殺し、頷いてから気がつきました。

 ビノールとルノーガンの秘密の約束事を何故かヴィールは知ってるようです。

 ビノールが複雑な表情でもしていたのか、ヴィールはくすくす笑いをしました。

「ビル、後でな。でメリクの末娘、素直に怒られてから塔に案内するか、怒られる事なく塔に案内するか、どっちを選ぶ?」

 少女はただ黙ってヴィールを見上げていましたが、やがて口を開きました。

「ネヴァダおねーちゃまに聞いて。リシヴルわかんにゃい」

 リシヴルの赤茶色のふわふわふさふさの髪が可愛らしく揺れます。

 ただ黙って見ていたビノールはヴィールの表情に妙な色を見出しました。

 とっても意地の悪そうな色です。

「では言いつけることになるな」

 ヴィールは実にしかたなさそうに言い、リシヴルににっこりと微笑んで見せました。

 リシヴルはヴィールのその言葉に泣きそうになりました。

 もちろん、ヴィールにはリシヴルが怒られるように采配を揮う気はこれっぽっちも、塵の欠片ほどもありませんでした。

 リシヴルが断ってもヴィールのしようとしていることには何の支障もありませんでしたから。

 と、言うよりも断ってくれた方がヴィールは嬉しいと思っていました。

 ビノールにはなんとなくヴィールが何かの企み、考えにとり憑かれているような気がして妙に気になります。

 そう、何か苛々しているように感じられるのです。




 ヴィールは自分がとった部屋へビノールを招き、ひとつの袋を投げて寄越しました。

 握り締めた袋はカサコソと乾いた音を発てます。

 袋をそっと解くとビノールは口の中に唾が涌くのを感じました。

 ミミズです。

 太っちょミミズの衣揚げが袋の中にたっぷりと詰め込まれているのです。

 感動を隠せないビノールの様にヴィールは小さく笑いました。

「そう喜ぶな。ほら、涎がこぼれとる」

 指さし、布を投げて寄越す様子はビノールが知ってたはずのヴィールの様子とは何かが違います。

 もっと、ヴィールにはあどけない幼さがあったはずなのです。

 もちろん、彼はヴィールです。

 否定する気はありません。

 でもビノールが知っていたヴィールとは違うのです。

 ヴィールはビノールの疑問を察し、心のうちで溜息を吐き、肩を竦めました。

 ヴィールにとってグリス姫と交わした会話は成長のために必要なものでした。

 それによって、ドラゴンはいつまでも子供ではいられません。

 成体になるまで100年以上の年月がかかるとはいえ、周囲に甘えられない、甘えてはいけない立場。

 ヴィールは『皇』なのです。

 『皇』は世界の調和、安定のために存在し、それが存在意義。

 『闇』もまた、『光』『水』『地』に『風』や『炎』と同じくなくてはならないものです。

 『光』『闇』『水』『地』『風』『炎』それぞれに『龍皇』と『龍皇姫』が存在するのです。

 『闇の龍皇』であることをヴィールは否定する気はありませんでした。

 誇りすら感じます。

 ヴィールは甘えていいことと甘えてはいけないことを早く見分けれるように経験を積まなくてはいけません。

 今、ヴィール自身のすべきことはヴィール自身が見つけなければ意味はないのです。

 ヴィールの立場はそれ以前、自分の立場を明確にすることから始めなくてはいけない状況をグリスに説明され、ヴィールは確かに焦っている自分を知っていました。

 それでも、その焦りをヴィール自身には消せなかったのです。

 『どう行動するか』

 ヴィール自身にもわからない未知の行路。

 そして、その闇の渦中に喜びを感じぜずにはいられない自分。

 焦りと同時にヴィールは酷く強い満足を覚えます。

 苛ついているのも確かです。

 でも、それよりも確かに自分の存在を強く感じるのです。

 そして、ヴィールは人が多く集まるこの街、いえ、街というものが気に入りました。







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