22 大好きなんだ
レッドを……創造主に……あげる?
あげるも何も、元々ラビニアのものじゃない。
創造主がレッドを愛してくれる? そんなの……
「……もちろんよ。貴女が愛してくれたら、レッドは素敵な顔をもらって幸せになれるもん」
私の答えに、創造主はくすりと笑う。
「彼が幸せに……なれるかしら」
「なれるに決まっているわ。あんなに顔を欲しがっていたのよ? 顔だけじゃなくて、貴女が王妃様になってくれたらきっと……」
哀しい波と切ない痛みがじわじわと押し寄せて、言葉が続けられなくなってしまう。
「リリエンヌ。貴女、さっきからレッドのことばかり言っているけれど、殿下のことはどうなの? 再会しても、ときめいたり惹かれたりしなかった?」
さっき自分が訊いたことを逆に問われる。だけど私は考える間もなく答えた。
「あんなに会いたかったのに……会ったら空っぽになっちゃったの。貴女と見つめ合っている姿を見ても、もう何にも痛くなくて。どうしてかしら……おかしいわね」
「じゃあ、もし私とレッドが愛し合って、殿下があなたとヨリを戻したいって言ったらどうするの?」
「……どうしよう。ヨリを戻したくなくても、殿下の命令には逆らえないわよね? 戻したくない、嫌だなんて言ったら処刑されちゃうかしら。どうしよう」
ぷっと吹き出す創造主。正直に答え過ぎた? とちょっと心配になりながらも、私は続ける。
「レッドの復元の魔力で運命が元に戻ったら、もう一度殿下を好きになれるのかしら。……なんだかそんな気がしなくて。とりあえずレッドが幸せになってくれたら、私はそれでいいわ」
「ふうん……そうなの。じゃあレッドに直接、何が幸せか訊いてみるといいわ。貴女の考えている幸せとは、少し違うかもしれないし」
少し違う?
また可愛く小首を傾げていると、部屋のドアが苛立たしげにドンドンと叩かれた。
「ほら、心配しているわよ、貴女のこと。そろそろお開きにしましょう」
◇
今────
何故か一つのベッドで、レッドと二人横になっている。
床でもソファーでも適当に寝る、洞窟の固い岩の上で散々野宿してきたのだから、どこでも構わないと言うレッド。
折角スイートルームに宿泊しているんだから、こんな時くらい極上の柔らかいベッドで身体を休めないと! と言う私。
寝る時くらい別の部屋で……それは駄目だ、寝ている時に襲われたらどうする……と押し問答になった結果が、今のこの状態だ。
キングサイズのベッドだから十分ゆとりはあるはずなのに、レッドがムキムキな分、思ったよりは広く感じない。
洞窟の岩がベッドに変わっただけ、何てことないわよ……と思えば思う程、シーツや布団を通して伝わる温もりに落ち着かなくなってしまう。
チラリと隣を見れば、布団の中に真っ直ぐ手足を伸ばし、天井へお行儀良く向いているムキムキボディ。
さすが王様。上等な絹のガウンも立派なベッドも似合っちゃうんだから。
ガウン……
茶色の艶々の襟から伸びる、逞しい首。月明かりが照らす立派な喉仏や太い鎖骨が妙に艶かしく、ごくりと息を呑んでしまった。
やだ……今の音、聞こえてたかしら。白薔薇の令嬢のくせに、なんてはしたないの。
天井に素早く視線を戻し、目を固く閉じる。淑女らしく清らかな祈りを神に捧げていると、一本調子の変な声が隣から聞こえた。
「創造主は……何を言いに来たんだ?」
「ええと……謝ってくれたわ。酷いことを言ってごめんなさいって。ラビニアとの同居で、心が色々複雑みたい」
「ふん。謝ればいいってもんじゃないだろ。同居事情なんか知ったことか」
「いいわよ、気にしていないわ。どんなに嫌われても、私は私が大切だし……それにレッドも言ってくれたじゃない。“この世界にたった一つの大切な命だ”って。あれ、とっても嬉しかったの。どうもありがとう」
「いや……」
完全に裏返っちゃってる変な声で呟くと、赤い頭をポリポリと掻き出す。出逢った頃は、殿下の顔に合わなくて違和感のあったこの仕草も、レッドの中身を知った今では可愛らしいと思う。
「他には何を話した?」
「ええと……ローズのことを訊かれて話したわ。魔獣が蝶に変わるのは、創造主が考えたことじゃないみたい」
「ということは……この世界は、全てが創造主によって創られたものではないということか? 運命が入れ替わったことで、創造主も知らない何かが起こっているのかもしれないな」
私と同じ考えを口にするレッド。ヘッドボードの上でさつまいも色の羽を休め、すやすやと寝息を立てる蝶を二人で眺めた。
「あ、でも、白薔薇の愛の魔力で蝶に変えたことは言わなかったわ。殿下に告げ口されちゃうかもしれないし。賢いでしょ?」
「おお、お前にしては賢いな。よしよし」
腕を伸ばし、私の頭をぐりぐりと撫でるレッド。パチリと目が合うと、ひっと声にならない悲鳴を上げ、慌てて腕を布団の中に引っ込めた。
……どうしたのかしら。
「……ホカニハナニヲハナシタ?」
さっきよりもっと変な声になっているけど、あえて触れないことにした。
他には……ね。殿下を愛しているとか、のっぺらぼうのままでいて欲しいとか言ってたけど。レッドにはこんなこと言えないわ。ショックで絶望しちゃうかもしれない。
「他には……世間話よ」
「世間話?」
「そう、やっぱりファメオ国は暖かいわとか、流行りのドレスのこととか、明日の朝ご飯とか」
「…………」
レッドがジト目でこちらを見る。
そんな目をされたって……他には何も話せることがないのよ。あ、そうだ! あれは訊いておこう。
「ねえ、レッドは何が幸せ?」
「……幸せ?」
唐突な質問に、赤い眉を寄せる。
「顔を創ってもらって、愛する王妃様と一緒にお城で暮らせたら、そうしたら幸せ?」
レッドは布団からムキムキの両腕を出すと、頭と枕の間に滑り込ませ、何かを考え出す。しばらくすると……甘さがギュッと濃縮された、蕩けるような声で答えてくれた。
「うん……まあ、そうだな。……すごく幸せだろうな」
そのぷるぷるの唇は柔らかく緩んで……とても幸せそうだ。
「……そうよね」
レッドが考えるレッドの幸せも、私が考えるレッドの幸せも、やっぱり同じみたいだわ。創造主はああ言ったけど、違うところなんて少しもない。
「リリエンヌの幸せは?」
「……私?」
不意に問われてしどろもどろになってしまう。
「ええと……ええと私は……」
「殿下にもう一度愛されて、結婚することだろ?」
……違う。
違うわ。
創造主と話して、はっきり分かったの。私の幸せは、もう殿下じゃないって。でもそんなことを言ったら、レッドは運命を元に戻すことを躊躇してしまうかもしれない。リリエンヌが幸せになれないなら、俺もこのままでいいよ、なんて言い出しかねない。折角幸せになれるのに……優しいからきっと……
「……もちろんそうよ。私は殿下のことを愛しているんだって、今日再会して改めて思ったわ。ラビニアに向けられていたあの優しい青い瞳で、もう一度私を見て欲しいって」
「……そうだよな」
心なしか哀しく聞こえるレッドの声。どんな表情をしているのか気になったけど……もしまたあの幸せそうな唇を見たら泣いてしまいそうで。レッドとは反対側へ身体を向けた。
「早く元に戻せるといいな」
「……うん」
もっと元気に返事したいのに、涙交じりの声になってしまう。そんな私の情けない背中に、明るい声が響いた。
「……大丈夫だ。もし殿下の整理とやらがつかなくても、勝手に復元の魔力で元に戻してやるから。心配するな!」
「……うん」
「といっても使い方が分からないけどな。まあ何とかなるだろ」
ははっと笑うレッドに、もう何も答えることが出来ない。一人分の笑い声は高い天井に吸い込まれ、そこから沈黙が広がった。
どうしよう……すごく疲れているのに、胸が痛すぎて眠れない。
気を紛らわせよう、何か楽しいことを考えようと、明るいどこかへ意識を飛ばせば……そこには、優しい笑顔のレッドが居た。
こんなにふかふかのベッドじゃなくていい。あの洞窟の固い岩の上でもいい。寒くたって、冷たい雪の上だって文句を言わずに歩くし、ちょっとくらい腹ペコだって我慢する。魔鳥とも盗賊とも、まだ会っていないけど多分一番嫌いな魔蛇とも戦うから。
だから……だからもう一度、レッドの隣で旅をしたいな。
…………そっか…………
私、レッドのことが大好きなんだ。
震える背中を、レッドは何も言わずに撫でてくれる。堪らずくるりと振り向くと、宙に浮いてしまったその大きな手を掴み言った。
「手……繋いでいてくれる?」




