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先生②

 

 聖堂に備えられたテーブルに座して、その人はシィラと話していた。随分と話が盛り上がっているらしく、入ってきた俺たちには気づいていないみたいだ。


「騎士様、今日はいらしていないんですか?」

「うん。他の用事を頼んであるから、今日は私一人できたよ」

「そうですか……」

「シィラが残念がっていたって伝えておくよ。彼も喜ぶ」

「いっ、いいですよ! そんな! ああもう、恥ずかしいなあ」


 二人は親しい間柄なのか。笑い声が絶えない。

 そんな空気の中を、俺の手を引いてキーンが無遠慮に突っ込んでいく。


「先生!」

「ああ、キーン。待っていたんだよ」


 呼びかけに応えて、その人は振り返る。

 俺はその姿を見留めて、思わず立ち止まった。


 皆が先生と呼ぶ人物は人間の女だった。

 しかしその風貌がお医者とは思えないものだ。ぼろの外套を着こんで、左目にはぼろきれで粗末な眼帯をしている。俺よりもひどい格好だ。まるで浮浪者である。


 先生なんて言うからには、もっと恰好に気を遣えばいいのに。そんなことを考えていると、彼女の肩に見慣れた姿を見つけた。


「ミル!?」


 どういうわけか。ミルは初対面の彼女にすごく懐いていた。俺が嫉妬を覚えるレベルで。

 肩に乗っかるまではいい。その状態ですやすや寝息を立てているのはどういう了見か。

 いますぐ詰め寄りたいところだが、あいにく今は取り込み中だった。


「しばらく見ない間に大きくなった?」

「そうかな?」

「あと、生意気にもなったってリオンから聞いたね」

「まあね!」

「あと、勉強は全くしないっていうのも聞いてるよ」

「うっ……」


 他愛ない話をしながら、彼女はキーンの獣の腕を診察していく。


「くすぐったいよ」

「うん……この前と変わりはないね」


 丁寧に包帯を巻いて診察を終えると、最後の仕上げと言わんばかりにハグをする。ぎゅっと抱きしめられたキーンは恥ずかしそうにしながらも嬉しそうだ。


「はい、これでおしまい」

「遊んできてもいい!?」

「どうぞ」


 上機嫌でキーンは外へと駆けていった。それと入れ替わりで俺が前へ出ると、じっと突き刺さる視線。


「その、……そこのドラゴン。俺の妹なんだ」

「知っているよ。聞いたからね」

「えっと……俺は」

「それも知っているよ」


 なぜか悉く先回りされてしまう。

 おそらく、俺が来る前にここの人たちに事情を聞いたのだろう。ならば納得だ。


 おかしな会話を続けていると、彼女の肩に乗っていたミルが目を覚ました。

 俺を見つけるとすぐさま寄ってくる。


「クウゥ」

「ああ、ミル。ただいま」


 抱きかかえて構っていると、またもや突き刺さる視線。眼差しが語っている。他に聞くことはないのか、と。


 俺はミルを肩に乗せると、対面するように椅子に座った。


「先生って聞いたけど、半魔の治療をしているのか?」

「完治できるものではないから、治療とは言えないけどね」

「やっぱり……治せないのか」

「治療法は見つかっていない」


 溜息交じりに彼女は告げた。

 今まで何度も聞いた文句だ。こうして皆を診てくれている人でも、断言するんだ。治療法を見つけるなんて絶望的なのだろうか。

 内心落ち込んでいると、


「今はまだ、見つかっていないだけだ」


 力強く、そして意志が宿った隻眼が俺を見つめていた。そこには執念を感じる。なんとしてでも成就してみせるという強い信念が透けて見えた。


「どうしてそこまでするんだ?」


 俺は思わず聞いていた。

 半魔であるならいざ知らず、彼女は人間に見える。フォルオも然り、この国では奇特な方だ。周囲には白い目で見られるだろうし良いことなんてないはずだ。


「他人の評価に興味はなくてね。それに――ぐえっ」


 突然、誰かが彼女の後ろから抱きついてきた。

 それにぼろの外套が引っ張られて首が締まったのか、変な鳴き声が響く。


「こらっ、アリシア。先生、死んじゃうからやめなさい」

「えへへ」


 反省の色もなく楽しそうにするアリシアの強襲に、我慢ならなかったのか。外套を脱ぎ捨てて露わになった姿に俺は絶句した。


 両腕にたくさんの傷跡があった。

 大型の獣にでも引き裂かれたのか。爪痕が至る所に散見された。女の身でこの惨状なんて、本人も良い気分はしないだろう。

 本来なら見られたくないはずなのに、どうしてか。隠す気がないように腕を晒しているものだから視線がそこに行ってしまう。


「それ、どうしたんだ」

「ああ、これ?」


 そう思っていたけど、俺の憂慮とは裏腹に彼女は笑って言う。


「昔に色々あってね。私にとっては勲章みたいなものだよ」


 そう言って服をたくし上げて腹部を見せる。そこにも腕と同じような傷跡があった。もしかしたら身体中傷跡だらけなのかもしれない。顔の眼帯も然り。どんな経験をしたらこんなことになるのか。俺には想像がつかなかった。


「さて……そろそろお暇しようかな」

「えええ、もういっちゃう?」

「まだやらなきゃいけないことが残っているんだ。また来るよ」


 寂しがっているアリシアから外套を受け取ると、それを羽織って彼女は立ち上がった。

 最後にテーブルの上にいくつか液体が入った瓶を並べていく。


「今回の配合は前回よりも弱くしてみたから、身体の調子も少しは良くなるはずだ」

「よかった。レノ、最近はずっと寝たきりで起きられなかったから」

「くれぐれも飲み忘れのないように頼むよ」


 信頼を置いているシィラに言伝して、帰り支度を始めたところで俺はそういえばと思い出した。

 フォルオから奪った成果を皆に渡すのを忘れていた。


「これフォルオから。皆で食べてくれ」

「あら、焼き菓子ね。おいしそう」


 菓子の入った籠をテーブルに置く。普段見ない代物に子供たちは大喜びだ。ミルも俺の肩から飛び降りると籠の傍に這っていく。

 微笑ましい光景に笑みをたたえていると、


「これ、一つ貰ってもいいかな」

「ああ、沢山あるから構わない」

「……ありがとう」


 そう言った彼女の表情には柔らかな微笑が見えた。

 焼き菓子、そんなに欲しかったのか?

 なんて思っていると、貰ったそれを懐に忍ばせて彼女は出口へと向かっていく。


 俺はその後姿に、最後の質問を投げかけていた。

 大事なことを聞き忘れていた。


「あんた、名前は?」

「セシル」


 そう名乗って、彼女は去っていった。



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