百年前の密約
男に聞いた情報を頼りに、スラムの奥へと歩を進める。
時折、乱立しているボロ小屋から視線を感じる。
これの原因は大凡がガウルのせいだ。なんせかなり目立つ。
先刻の騒動のこともあって、警戒されているのは一目瞭然だった。
そんな中、突き当たりの小屋から誰かが姿を現わした。
「この場所に何の用かね?」
「メデイロスという人物を探している」
「ふむ……それは儂のことだが、こんな老体に何用か。見たところ、お主はただの人間だろう。それが半魔を連れているというのは些か奇妙だ」
ボスを目にして、メデイロスは不思議そうな顔をした。
彼の問いに対して、ボスの後ろで成り行きを見守っていたロベリアは深く頷く。
この国の内情を知ればそういった意見が出てくるのは当然のことだ。
実際、ロベリアも初めてボスと出会った時は度肝を抜かれた。
それと同時にただ者ではないという直感と少しの興味。
付き合いはガウルほどではないがそれなりにある。けれど、未だ底が知れない。
「災禍の皇子、といえば分かってもらえるかな」
「……なるほどのう。噂通りならば、隣のそれは例の半魔か?」
メデイロスは、ガウルへと細木のように枯れた指を差した。
噂――彼が言うそれは災禍の皇子の肝とも言える部分のことだろう。
ロベリアは災禍の皇子について、それほど詳しくはない。けれど、メデイロスの言うそのことだけは覚えている。
なんたって人工的に半魔を作り出せるなんて、あり得ないことだからだ。
「貴様がそれを知ってどうする」
「なに、少し気になっただけだ。そう目くじらを立てるものでない」
メデイロスは豊かな白髭を撫で付けながら何やら思案している。
予想に過ぎないが、彼が何を考えているか。ロベリアには薄々分かっていた。
ルピテスからしたら、半魔を創れるなんてそれこそ喉から手が出るほど欲しいものだ。
「それで、その災禍の皇子どのが儂に何用かね」
「貴方にお尋ねしたい事があって、こうしてわざわざ足を運んだんだ。ヴェイル・ヴァルフリートについてだ」
――ヴェイル・ヴァルフリート。
その名を耳にした瞬間、メデイロスの雰囲気が変わった。
「何が目的だ。……いや、ここでその話をするのは遠慮しておこう。入りたまえ」
そう告げると、彼は警戒を維持したまま、小屋の中へ三人を招く。
「――それで、お主の目的は何だ」
再度、向けられた問いかけに今にも瓦解しそうなボロ椅子に座るとボスは答えた。
「百年前のグランハウル建国の折、彼がハウルへ何を取引に持ちかけたか。それが知りたい」
「ハウル……あの小僧のことか」
メデイロスの口振りからすると、彼は件の人物を知っているようだった。
それについては何も驚くことはないし、ボスもロベリアと同じ心境なのだろう。
「それを知ってどうするというのだ」
「口が堅いところを見るに、貴方の忠義は本物だ。であるのなら、条件次第ではこちらの交渉にも乗ってくれる可能性も、無きにしも非ずといったところかな」
――そこで、とボスはロベリアへと目を配る。
「彼に事の顛末を説明して欲しい。私よりもルピテスの人間である君からの訴えなら聞いてもらえるはずだ」
「げぇっ、僕が説明するの!?」
いきなりのご指名に、ベッドでくつろいでいたロベリアへ一斉に視線が集まる。
確かに、ボスの言うことには一理ある。
けれど、メデイロスと言ったらルピテスでは大御所だ。そんな人物に進んで話しかけたくなど無いのが本音。
「……わかったよ。手短に説明する」
けれど、この状況から逃れられないのも事実。
ここは大人しく従うことにして、かくかくしかじか――ロベリアが与えられていた任務、それとボスの計画を懇切丁寧に説明する。
それをメデイロスは黙って聞いていた。
そして、何かを悟ったかのようにゆっくりと目を閉じる。
「……そうか、ついにその時が来たというわけか」
すべてを聞き終えて、しばらくの間沈黙していたかと思うと、ぽつりと呟きが漏れた。
「その口振りからするに、いずれはこうなると予測していたということかな」
「そうだ。そこのヴァンパイアも知っているだろう。我が王は人間が嫌いだ」
「まあね。王様が大の人間嫌いだってのはずっと昔から変わらないよ」
「そんな御方が、一時的とはいえ人間と和平を結ぶと思うか?」
「ううん、まったく思わない」
即答したロベリアに、ガウルが取って代わって次を尋ねた。
「それではなぜこの国がある」
「王としても苦肉の策であった。長きに渡る争いのせいで我が国は弱体の一途を辿っていたのだ」
「それは戦力的な意味合いでかな?」
「それもあるが一番は内政面が大きい。戦争そのものに反対する反乱分子が台頭しておった」
「そこで、それらを排除するために体の良い箱庭を作ったのよ。もちろん、ただ閉じ込めただけでは意味が無いのでな。中立国としての役割を与えて一時的な制御を目論んだ。それが、この国の前身といったところか」
メデイロスの話を聞いて、ボスは腕を組みながら思案する。
「ということは、ヴェイル・ヴァルフリートは端からそのつもりだったということだ」
「儂が思うに、それで間違いはないはずだ。しかし、一つ問題があったのだ」
「……ハウル・ラッセル・グランか」
ボスの問いに、メデイロスは静かに頷いた。
「あの人間は少しばかり特殊だった。両国の目論みを知った上で、本気で人間と半魔の共存を成そうとしていた。馬鹿馬鹿しいにも程がある」
彼の憤ったその心情はロベリアにも理解出来る。
半魔であるなら誰だってそう思うはずだ。
本当にそれが出来るのならば、ルピテスもミュニムルも存在していない。
「グランハウルの建国は王も望むところではなかった。それ故に国内の問題が解決したならば攻め落とす気概であったが、ハウルがそれを良しとしなかった。百年の猶予を求めたのだ。その間に人間が半魔を迫害するようなことがあったら、その時は好きにしても良いとな」
これがボスの言っていた、ヴェイルとハウルの密約の全容だった。
「儂はその行く末を見届ける為にこうしてここに居る。この国がどう歩んできたかは、災禍の皇子であるお主なら分かりきったことであろうがな」
「貴方の仰る通りだ。そこで一つ提案がある」
「……提案だと?」
「ロベリアには、私の代わりに王への書簡を届けてもらうつもりだ。そこで貴方もそれに同行して頂きたい。彼女だけでは少し心許ないからね。貴方の進言があれば何の憂慮もない」
「ちょっと、ボス! それどういう意味!?」
心外だと喚くロベリアに、ガウルの口元が緩む。
生憎と、それを見逃すロベリアではなかった。
「ガウル、今笑っただろ!」
「ふっ……いいや、何も」
「口元にやついてるのわかってるんだから! ほんとムカつく!」
「御老体の前でそのように喚くな、みっともない」
「君たち、最後まで仲良くなれなかったねえ」
「頼まれても願い下げだ」
「それは僕の台詞だっての! ガウルの小言を聞かないでいられると思うと精々するね!」
周囲が騒がしい中、ボスの提案に一考していたメデイロスが顔を上げる。
「ふむ……異論は無い。お主の提案を拒む理由も見当たらぬし、謹んで承ろう」
「え~、僕としては別に一緒じゃなくても良いんだけど」
「そう言ってくれるな。儂も百年ぶりに祖国の土を踏みたいのでな」
「……それを言われちゃったら断るわけにはいかないよね」
旅は道連れと言うし、一人増えたところで苦にもならない。
承諾したロベリアを見届けたところで、ボスは椅子から立ち上がった。
「私たちはそろそろ戻るとしようか」
その声に外を見遣ると、既に夜の帳が降りていた。
「あっ、そうだ。ボスに伝言頼んでも良い?」
「ああ、構わないよ」
「ジェフに、頑張ってねって伝えといて」
本当なら直接伝えたいところだったけれど、残念なことにそんな余裕はなさそうだ。
人伝なんて、薄情な奴だと思われなければ良いけれど、ジェフならそんな心配はいらないはず。
これから色々と大変なことになるだろうけど、きっと今までみたいになんとか出来る。
なぜかそんな確信が湧いてくるのは、彼の諦めの悪さをロベリアは誰よりも知っているからだ。
だから、大丈夫。




