隣国の魔王様
目を覚ますと、寝台に寝ている俺の頭の横に、ミルが丸まってすやすやと寝息を立てているのに気づいた。
自室に戻った後、ミルが戻ってくるのを待っていようと思っていたらいつの間にか寝てしまっていたようだ。
昨日の無茶も祟って、疲労が溜まっていたのだろう。充分な休息を取ったことで身体の調子は良さそうに見える。
起き上がって身体の状態を確認する。
治りきっていなかった左腕も元通り。堅い岩肌は変わりはしないが腕の形には戻っているし、指先もきちんと動かせるので問題はなさそうだ。
次いで右手の方へと目を向けると、思いがけないものが俺の視界に飛び込んできた。
「……これは」
なんだ、と自問しなくても分かりきっている。
ミルと同じ、ドラゴンの鱗だ。鮮やかな赤色が目について離れない。爪は鋭く柔いものなら簡単に引き裂けそうだ。骨格も人間の手とは少しばかり違うように見える。
変化しているのは右手部分だけで、腕の方まで侵食はしていないみたいだ。
けれど、それは大人しくしていればの話。ガーゴイルの時のような無茶をすれば、右手だけでは済まない。
左腕はこんな状態で今更驚くことは無いが、こうも立て続けに人間離れしてくるとそれはそれで困るものだ。
今後、人間社会では生きづらくなるのは必須。少なくともこの国ではまともには暮らせない。問題は依然として山積みだが、俺の隣で気持ちよさそうに寝ているミルを眺めていると、なんとかなるさと思えてくる。
「おはよう、ミル」
「クウゥ」
少し経ってから目を覚ましたミルは、俺に気づくと擦り寄ってきた。
抱きかかえて膝の上に乗せる。
「昨日は迎えに行けなくてごめんな。お兄ちゃん、少し頑張りすぎたみたいだ」
「ギュウゥ」
俺を見上げたミルは心配そうに鳴いた。
一応、服で隠してはいるが、俺の身体の変化には気づいているのだろう。
こればっかりは心配するなと言う方が無理な話だ。
「そうだ。ガトーと遊んで貰っただろ? 楽しかった?」
「ギュイィ」
返事をするかのように鳴いたミルは、撫でてくれと言わんばかりに俺の膝の上で寝転んで腹を見せた。
珍しい反応に微笑みを返して、強請られた通りに撫でてやる。
思えば、ミルはあまり甘えたがりの子ではなかった。もっとも、それは俺たちが家を出てからの話だ。
両親を見限って家を出る前は、彼らは元より俺にも遊んで構ってとしつこかった。
もちろん、それを疎ましく思ったことはなかったし、ミルがかわいいのは今も変わらない。
ミルを連れていつもの談話室まで向かうと、おなじみの顔が揃っていた。
ボスとガウルは取り留めの無い話に精を出していて、ロベリアはテーブルに突っ伏したまま動かない。
大方、いつかのようにボスに無理矢理連れてこられたのだろう。
ボスとガウルの対面に腰を下ろすと、隣から突き刺さる視線を感じた。
「……また変なことになってない?」
変なこと、とは俺の右手のことを指しているのだろう。
「寝て起きたらこんなことになってたんだ。最初は驚いたけどもう慣れた」
「ジェフって適応能力が凄まじいよね。僕だったら身体がコロコロ変わるのなんていやだなあ。半魔って言うよりバケモノだよね」
「褒めてるのか貶してるのか分からないんだが」
流石にバケモノ呼ばわりは堪えるものがある。
落ち込んでいると、肩に乗っているミルが慰めるように俺の頬を舐めてくれる。
俺の味方はミルだけみたいだ。
ありがとう、と撫でているとボスから二の句が聞こえてきた。
「ロベリアの言っていることは分からないでもない。通常の半魔はこんな混ざり物みたいな形態変化はしないものだ。これの原因は大凡見当が付くから、それほど驚くことでは無いけれどね」
大凡の見当っていうのは俺が人工的に作られた半魔だからってことだろう。
「それでも興味深い事には変わりない。出来れば詳しく調べたいんだけど、生憎これから忙しくなる予定だからそんな暇はないね。あーあ、残念だなあ」
未練たらたらの台詞に警戒しながらも、内心ほっと胸を撫で下ろす。
少なくとも解剖は免れたみたいだ。
「でも、ジェフのそれは変化というよりも進化に似ているかもしれない」
「……どういうことだ?」
「ガウルやロベリアを見てもらえば分かるだろうけど、半魔の形態変化というのは本来単一のものなんだ。ウェアウルフにドラゴンの鱗は生えないし、ヴァンパイアに獣の耳や尻尾は生えてこない」
言われてなるほどと納得する。差異はあるだろうが、形態変化をするのなら種族的な域を超えないということか。
「ああ、でも一人だけ例外がいたなあ」
しみじみと語るボスの言葉に心当たりがあるのか、ガウルとロベリアは苦々しい顔をした。二人とも思うところは一緒みたいで、反応を見た限りでは良い人物とは言えないみたいだ。
「それは、俺と同じってことか?」
「同じと評するのは少し違う。ジェフと違ってあの男のルーツは普通の半魔だ。あえて挙げるなら物凄く長寿って所だろうね」
「何年生きているんだ?」
「両隣の国の戦争が三度あったのは知っているだろう。それの第一次より前からってことだから、五百年以上は生きているんじゃないかな」
「五百年!?」
長寿といえばドラゴンだが、それ以外の種でそんなに生きられるとは思ってもみなかった。
話だけ聞けば本当かどうかも怪しい。
「結構詳しいみたいだけど、ボスあいつに会ったことあるの?」
「昔、ルピテスに寄ったときに少しね。見た目の割には話が出来る男だよ。あの国は好きだ。多少のことに目を瞑れば自由だし、好き勝手出来るしね。良い所じゃないか」
「良いところ、ねえ」
ボスの話を聞いて、ロベリアは不満そうに呟く。
変わり者のボスが評価しているところを見るに、常人が同じ感想に至るのは難しそうだ。
どうやらそれはガウルも同じらしい。
「不自由を強いているのはどこも同じでしょう。ただその対象が違うだけだ。正直、俺は良い思い出はないので、二度と行きたくはない」
「僕もあまり好きじゃないなあ。ここよりは暮らしやすいけどね」
珍しくガウルとロベリアは同意見だ。
ここまで聞くと、やっぱりボスの感性がおかしいという結論になる。
「……それで、その例の男って一体なんなんだ?」
「ルピテスの現国王のこと」
ロベリアに尋ねるとさらりととんでもない事を告げられた。
確か、以前ボスが魔王様だとか言っていた奴か。それが俺と少しばかり似ている。通常の半魔とは逸脱した存在ということだ。
今までの話からするに、ルピテスの国王様は厄介な人物みたいだ。




