刃が映すもの
その宣言が合図となった。
「いくぞ」
低く響いた声と共に、男が一歩踏み込む。
その瞬間、月光を裂いた剣筋にフォルオは直観する。
(やはりだ。この型……)
鋭くも美麗な斬撃。直線に無駄がなく、斜めの崩しも緻密に計算されている。
父アルバートの荒々しい剣ではない。
師範たちが教える形式的な流派とも違う。
独学でない限り、剣を習えば必ず型というものが存在する。
けれど、個人によってそれは微かに差異が生じるものだ。各々の癖が、構えの形を少しずつ変えていく。
――目の前のこれは完璧すぎる。
フォルオが習った剣技の型、そのものだ。そこには一切のブレも癖もない。
今まで見てきた中で、これほどに正統なものは一つとしてなかった。
ゆえに、構えや剣筋を見ただけでこの男がどれだけ愚直で誠実であるかが知れる。
まるで、騎士の生き方そのものを体現したような、そんな感想を抱いてしまう。
だからこそ、相手は何があってもこの場を引かない。
フォルオは心の奥底で、その事実を痛感していた。
息を呑むフォルオの隙を見逃さず、男の剣は鋭さを増した。
袈裟斬りから斬り上げ、横薙ぎへの連撃――流れるような三連。
防ぎ切れずに肩口を裂かれ、白の隊服に血が滲む。
「ぐっ……!」
痛みに呻きながらも踏みとどまる。
滴る血が手首を伝い、剣の柄を濡らした。
それでも膝は折れない。抱えた決意と信念が、倒れることを許さなかった。
「まだ立つか」
低く響く声。その奥にあったのは嘲笑でも侮蔑でもない。ただ事実を確認するような、無機質な響きだった。
「簡単に、膝はつけません。守るべきものがあるなら、尚更」
「そうか……」
男はそれに一つ息を吐いた。
まるで何かを押し殺すような諦念が滲んでいた。
「ならば、抗ってみせろ」
その声と同時に、男の身体が沈み込むように低くなる。重心の落とし方が変わった。
その変化にフォルオの背筋に悪寒が走る。
鏡面のように輝く鋼。振り下ろされる一撃一撃に今までと違う確かな意志が篭る。
フォルオはそれを真正面から受けきる。
だが相手の剣速と重さは別次元だった。まるで鉄塊が飛んでくるかのような振り。受け止めるたびに肩の関節が軋み、息が詰まる。
――守る。
その言葉だけを胸に刻み、フォルオは剣を振るう。
だが連続する重撃に、足元が何度も乱される。男は一つひとつ、フォルオの呼吸の間を突いてくる。攻めが鋭ければ鋭いほど、フォルオの胸中の恐れは熱く膨れ上がる。
――恐れは判断を鈍らせる。
かつて剣の稽古をしてもらっていた、アルバートの言葉が脳裏に閃く。
彼は冷徹であるが、フォルオに寄せる想いは人一倍だった。自身の後継として、殊更剣術においては自ら稽古をつけてくれることもざらにあった。
瞬間に、脳裏で反芻する。
踏み込み、受け、返し――親指で柄を押す感触。集中すること、恐怖を噛み砕くこと。
(思い出せ……!)
フォルオは重い一歩を踏み込み、相手の斬り下ろしを受け流した。
刃先が擦れて火花が散る。痛みが痛烈に意識を突き刺す。
しかし同時に、そこにあるのは確かな間合いの把握だ。相手の呼吸、足の返し、肩の僅かな震え――それらが意味を持って迫ってくる。
「くっ……!」
フォルオは唇を噛み、右斜めに跳んで切り返す。細い流れのように繋がる一閃。
相手の腕に当たり血が流れる。
(やっと一撃)
だがそれで勝てるほど、この夜は甘くない。
男はその歪みを瞬時に殺し、反撃の一連を畳みかける。剣先が首筋をかすめ、肩越しに深い切り傷を残す。血が頬を伝い、フォルオの世界が白から赤へと染まる。
それでもフォルオは後ずさらない。
「――まだだ!」
叫びとともに、フォルオは短い型を打ち込む。足を沈め、腰を回し、全身の力を一点に集める。
放たれた鋭い突きが、相手の腹部へ刺さる。
金属の衝撃が手に伝わり、振動が脳天まで届く。けれど決定打には至らない。直前で防がれた。
しかし、今度は相手が少しだけ後退した。
フォルオはその瞬間を見逃さない。間合いを詰め、続けざまに連撃を浴びせる。
瞬間、男の刃がわずかに滑り、フォルオの胸をかすめていく。
鋭利な痛みに崩れそうになる。だが倒れはしない。血に濡れた掌で柄を握りしめ、相手から目を逸らさない。
鋭い眼差しを受けて、男は一瞬だけ動きを止める。
フードの奥に隠した目つきがほんの僅か、驚きに揺れた気がした。
フォルオの剣に何かを感じ取ったのか。それとも、ただの気まぐれか。
「なるほど……折れないわけだ」
男の声に、これまでなかった柔らかな色が混じる。だが同時に、その瞳は冷たい。彼は決して甘くはない。
「だが、ここまでだ」
次の瞬間、男は重心を低くして鋭く踏み込み、全力で斬りかかってきた。
フォルオはその刃を受け止めようと構える――だが、刃の圧力が全身を押し潰すように襲い、彼の膝がついに折れそうになる。
――本気でかかってきた。
相手の真剣さが、初めて完全な形でこの場に表れた。フォルオは苦悶の表情を浮かべながらも、剣を握る手を緩めない。
守りたいもののため、その場で命を賭ける覚悟を、今まさに全身で示しているのだった。




