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聖なる乙女と隠しキャラ


「……ふうん、君がねぇ」


 ひどくやる気のない声だ。

 ふいにきこえてきた声に、クララはわずかに顔をしかめる。


――……何なの、これ


 聖女と呼ばれ、クララはまず大神殿に連れてこられた。

 愛想の「あ」の字もないような神官から聞かされる内容はどれも同じ。ゲームのオープニングで語られる内容と全く変わらないもの――聖なる乙女とは月の女神の恩恵をうけ、女神の力を唯一使うことができる少女であること――だった。



――これって本当に本編? つか、こんなシーンあったっけ? ゲームだと初っ端からキャラと出会うイベントだったはず。それなのに、なんでこんなところに、あたし、連れてこられてんの? マジ、意味わかんないんだけど


 僅かに頬をこわばらせた少女は、ただ静かに見つめる。

 その姿はどこにでもいる少女にしかみえない。だが、彼女は――クララはこの世界の人間とはほんの少しばかり違う。

 といっても、聖いなる乙女と呼ばれる少女が、普通の人間と同じといえるのかどうかわからない。その一点だけをみても、普通の人間とは程遠いだろう。

 だが、今、そういうことをいっているわけではない。

 オープニングという言葉が表しているように、クララはこの世界の人間ではない。


――といっても、前世ってことだけどね


 クララは気づかれないように、そっと息を吐く。

 彼女が前世に気が付いたのは、なんてことはない。

 聖なる力とやらに目覚めたとき―馬車をよけようとして転んでしまった近所の子供を助けようと飛び込んだ時のことだった。

 助けたい一心で無我夢中で飛び込んだものの、馬車は目の前に迫っていた。

 ここから子供を連れて逃げるには時間が足りない。

 せめて子供だけでも抱え込んだその時だ。


 何かが舞い降りてきた。


 それを具体的に説明をしろと言われてもおそらくクララにもわからないだろう。何かが、おりてきたというだけだ。

 神官たちに言わせれば、それこそ女神が降り立った瞬間だとかいうんだろう。

 だが、クララにいわせればそんな高尚なものではない。

 激しい衝撃も強い痛みもない。まるでやわらかな布団にくるまれているような感覚。それを女神というならばそうなのだろう。

 だが、クララが感じたのはそんなものではない。

 突然流れ込んできた前世の記憶。あまりにも衝撃的すぎて、聖なる乙女のことなどすっぽぬけてしまったほどだ。


――私……あたし……は


 子供をかかえたまま、茫然とする少女を周囲は放っておくことはしなかった。

 これこそ誰もが知っている神の奇跡。聖なる乙女が現れた瞬間だったからだ。と、同時にただの平凡な少女だったクララの人生が一変した瞬間でもあった。

 前世の自分は取り立てて不幸なわけでもなければ、周りがうらやむほど幸福だったわけでもない。全体を通してみれば平均的な人生だったといえるだろう。

 だが、いまのクララは違う。

 この世界の中心は聖なる乙女だ。彼女を中心にすべてが動くといっても言い過ぎではない。

 この先の人生が一気に薔薇色に色づくのをクララは感じた――はずだったのだが


――まさか、続編とはね……


 それに気が付いた瞬間、薔薇色だった世界が一気に色あせるのをクララは感じた。

 あれは、まさにオープニングイベントが始まってしばらくしてから。

 王都での祭りの後のことだった。

 このゲームはスタートから途中まではどの攻略対象でも同じ。いわゆる共通ルートと呼ばれるものだ。

 効率的にゲームをクリアしていくならば、共通ルートまで一気に攻略し、一旦そこでセーブデータを作り、そこから個別に攻略していけばいいと思うだろう。実際、効率的に手早くクリアして、エンディングをみるだけならばそれで問題ないだろう。

 だが、このゲームはクリアするたびにわずかながらストーリーやセリフに変化が生じる。

 攻略したキャラクターのストーリーにまつわるものであったり、ストーリーをクリアしたことで理解するこの世界の常識であったりと、流れに大きな変化を生じるようなのもとは違う。

 だが、フルコンプを目指すものにとっては非常に重要なものだ。

 それはクララも同じ。彼女は最速攻略タイプではなく、すべてを知りたい! というようなフルコンプ派だったのだ。その上、1つのゲームをそれこそ何十回とやりこむことに苦を覚えない性質だった。

 だからこそ、わかるのだ。相手のセリフのわずかな違い。この世界がゲームの本編ではなく、続編だということが。

 もちろんオープニングイベントだけを見れば、本編と続編は大きな違いはない。

 同じ世界で、時間さえも同じだからだ。

 とはいえ、まったく同じというわけではない。

 まず主人公が異なる。

 この違いは当時、ファンの間ではそれこそ炎上といっていいような大論争となった。

 そもそも主人公というものは、乙女ゲームにおいて非常に重要なファクターだ。

 もちろん、スチルなどで大きく前に出ることもないし、声がついているわけでもない。いや、声がついていたりキャラクターが確立されているゲームもあることはある。

 だが、このゲームにおいて主人公はあくまでもプレイヤーの代理。

 だからこそ、ファンは自分の分身のようなな感覚を持つのは当たり前といえば、当たり前だった。

 クララという聖なる乙女を通して、プレイヤーはさまざまな攻略対象と恋をする。

 それがいきなり別の人になれといわれても、はいそうですかとすぐに納得できるファンも多くはないだろう。

 それに乙女ゲームという性質上、公式の組み合わせはあくまでも主人公と攻略対象者だ。

 もちろん、それが意外の組み合わせがいいというファンもいるだろう。

 だが、公式としてみたらあくまで攻略対象の相手は主人公。極端な言い方をすれば、わき役との組み合わせは邪道ということになる。

 今回、公式が続編でしたことはまさにそれだった。

 ファンがあれるのは当然といえば当然だった。

 SNSで反対の署名まで起きたぐらいだ。だが、ここでの荒れっぷりはまだ序の口だった。

 次に公式が発表したことで、さらに炎上することになる。

 攻略対象の発表だった。

 その中に、なんと、長らくファンから渇望されていたキャラがいたのだ。

 最強の当て馬。彼がようやく攻略対象に格上げされたのだ。

 もしも、これが先に発表されていたならば、SNSは別の意味で盛り上がったことだろう。だが、先に発表されていたのは主人公の方だった。そのことでたださえでも炎上していたのが、さらに火に油を注ぐことになった。

 そもそも、彼女たちが望んだのは新しい主人公との恋愛ではない。

 彼が最後まで愛したのは、聖女だ。

 彼女との幸せな未来を望んだのだ。だが、公式という神がくだしたのはあまりに残酷な現実であった。

 クララも前世ではもちろん憤慨した。

 何しろ、クララは寝食を忘れるほどこのゲームにのめり込んでいたわけだし、主人公への思い入れはひとしおだった。

 とくに主人公とツンデレ宰相の息子の組み合わせは、クララの大好物。まさにツボだった。

 だからこそ、余計に腹がたったのかもしれない。

 大好きだったゲームだが、買わないようにしようかと一瞬思ったぐらいだ。

 だが、発売日が近づくと嫌だと思うよりも、宰相の息子との別のイベントだけでも見たいと思うようになった。

 実際、ゲームをはじめると主人公は違うものの、やはり面白さは変わらなかった。

 それに、主人公がかわったからだ。前作と同じ共通イベントも若干だが言い回しが異なった。だから、クララにはわかったのだ。今回聞いたのは、続編の言い回しだったということを。


――ってことは、ここが続編の世界ならば目の前にいるのは……


 クララはちらりと階段の上を見上げる。

 するとわずかに風が吹き抜け、薄衣を舞い上げた。銀糸が織り込まれたそれは、神殿に差し込む光にきらきらと輝き、ゆらゆらと揺れる。まるで靄のように揺れるその奥にいるのは、織り込まれた銀糸のような髪に、色素の薄い色の瞳。美しい彫刻のような整った容姿には感情のかけらもない。

 ただ、冷たくクララを見下ろしているだけだ。


――でたよ、ヤンデレ隠しキャラ……


 続編が出てから、やはりというべきかSNSは紛糾した。

 もちろん主人公に対するものが多かったが、それ以上に大騒ぎになったのは事前に発表されていないキャラのことだった。

 といっても、今までの乙女ゲームには公式にも表記されていなかったキャラクターなどさして珍しくもなかった。

 このキャラも声を当てている声優も、名の知れた人であったことからすぐに攻略対象者だといわれるようになった。

 だが、脇役の声を当てている人が無名かといわれたらそうではない。

 それにこのキャラが攻略対象かどうかと決めあぐねていたのは、その声優がこのゲームを作っているメーカーには頻繁にかかわっている人だったということもあった。

 憶測が憶測を呼び、結局最速攻略をする人により隠しルートが暴かれたのだが。

 その内容も騒ぎの一旦を担っていた。


――まさか、思わないでしょうよ。本編すら伏線にしていたなんてさ。あたしなんか、いい面の皮じゃないの。


 クララは小さく息をはくと、階段の上にいる男が退屈そうにあくびをした。

 聖なる乙女が現れたというのに、まるで興味がないようだった。

 面倒くささを隠そうともしない。むしろ周囲の神官のほうが興奮しているようだった。


「……ルチアーノ様。お言葉を」

「言葉?」


 神官に促され、ルチアーノが眉をひそめる。


「誰に?」

「誰にって……」


 神官たちが絶句する様をクララは目の端でとらえる。

 そりゃそうだろう。神殿にとって……、いや、この世界においてもそうだが、聖なる乙女という存在は月の女神に次いで大切な存在なのだ。

 それらを祀る神殿は言うまでもない。

 だが――クララの目に映るルチアーノは、聖女もそこらの雑草も同じように映っているように見えた。


――ホント、このヤンデレ。相手が主人公じゃないと、ここまでテキトーな扱いになるとわね


 面倒くささを隠そうともしないルチアーノをみあげたまま、クララは小さくため息を落とす。


――まあ、別にいいけど


 クララとしては自分の推しではないからか、相手の態度にはさほど頓着しなかった。

 むしろ、こんなところでダラダラしているよりも、一刻も早く推しに会いたい気持ちでいっぱいだった。

 だが、神官たちからしてみたらそうもいってはいられないようで。


「ルチアーノ様!」


 慌てたようにルチアーノをせかす神官に、彼はあからさまにため息を落とす。


「……あー、えー、ゆっくりしていけば?」

「教皇様!」


 年嵩の神官が眉を吊り上げる。それを横目でちらりと見、ルチアーノはあきらかに顔をしかめた。


「なんだよ。一言言えって、いったのはそっちだろ」

「それはそうですが、もっと、別な……、別なお言葉がありますでしょう。相手は聖なる乙女ですぞ!」

「……聖なる乙女……、ねぇ」

 眉をあげ、ルチアーノは薄く笑う。

 その酷薄な笑みに、クララはひゅっと息をのむ。


――え? うそ! まさか、私の正体を知っている……?」


 実際の自分は、聖なる乙女なんてたいそうなものではない。

 術が使えるのだって、ゲームのヒロインだから。自分の力などではない。

 それを見透かしているように、クララには思えた。

 とっさに体をこわばらせたクララの上に、ルチアーノの笑う声が聞こえた。


「……なあ、お前」

「お前?」


 クララは反射的に顔をあげる。

 ルチアーノは顔をしかめたまま、首をかしげる。


「ん?」

「今、お前っていったでしょ!」


 だん、と立ち上がったクララは、まゆをつりあげたままにらみつける。


「私にはちゃんと名前があるのよ! クララっていう立派な名前がね!」


 ふん、と鼻息を鳴らし、仁王立ちをするクララを神官たちは唖然とした表情で見つめる。


「え、ええ……、存じておりますとも! ねえ!」

「ええ、ええ、もちろんでございますよ」


 控えていた神官たちが大きく頷きあう。

 だが、唯一表情を変えないのは誰であろう、ルチアーノだった。

 立派なひじ掛けに肘をつき、顎に手をやり、眼下で仁王立ちする少女を冷たく見据えるだけ。クララもそれに気が付いたのだろう。

 眉をさらに吊り上げる。


「わかったの?」

「ああ……、うるさいな」


 ルチアーノは視線をそらし、軽く手を振る。

 それが会話を切り上げる合図だったのだろうか。神官たちは小さくため息を落としたのがわかった。

 大歓迎城とまでは思わないが、ここまでとは。

 神官に促され、クララは顔をしかめたまま、くるりと踵を返す。


――ホント、ムカツク! でも、まあ、私には関係ない奴だし!


 これがクララの相手だったらひどく困ったことになるだろうが、ルチアーノの相手はあくまで続編の主人公だ。

 ルチアーノの世界にはもしかしたら主人公以外は必要ではないのかもしれない。

 そのぐらい、ルチアーノは主人公をひたすら思い続ける。

 たとえ、それがどのような状況にあっても。狂おしいほど、一途に愛し続ける。

 ファンの中にはそれが良いというファンもいた。むしろ、あれがレオノーラにとっての正規ルートだと言っているファンさえいた。

 どちらにしてもクララにとってはどうでもよかった。

 彼女にとっての推しは本編、続編通して推しはゆるぎないものだった。

 神殿で挨拶を終えれば、どのみち王宮へいくことになる。そうなればこっちのものだ。

 うしし、と小さく笑いながら、大きな両開きのドアを抜けたその時だ。


「おい、お前」


 ふいに背後から聞こえた声に、クララは足を止め振り返る。


「名前!」

「……どうでもいいだろう」


 吐き捨てるように言い放ったルチアーノに、クララは眉を顰める。


「あんたねぇ……」

「お前、どの紋章がほしいんだ?」

「は?」


 クララは目をしばたかせる。


「紋章って……」


 紋章といえば本編で初期に起こる好感度判定イベントの話だ。

 好感度の高いキャラクターの紋章を得ることが出来、それが個別ルートのフラグの一つになっていた。

 だが、続編は主人公が異なるためそのイベントは存在せず、聖なる乙女はどの攻略キャラのルートでもすべてクリストフの紋章をもらうことになっていたはず。

 そこまで考え、クララははっとする。


――え? なんで、あいつ、このイベントのことしってんの? てか、続編は選びようがないっていうのに、どうしてわざわざこんなこと聞くんだろ。


 目を見開くクララを、ルチアーノは表情を変えることなくじっと見据える。


「なあ、どの紋章だ」

「……私は、宰相府の……」


 クララのつぶやきに、ルチアーノはふっと視線を逸らす。そしてまたしてもまるでやる気のないような声で「あっそ」とつぶやく。

 やがて大きな両開きの扉が軋みをあげ閉じる。

 見つめる視線の先。薄暗いその部屋には一筋、二筋の光が差し込む。

 それを横顔につけたルチアーノが、わずかに手を揺らす。と、先ほどまで開いていたはずの扉が大きな音をたて閉じた。

 それはまるでルチアーノの心の扉のように、クララは感じた。


――そういえば……


 ルチアーノルートに入るためには、いくつかの条件があったのを思い出した。

 まず、続編のヒロインが王都の教会にいるルチアーノと出会うこと。王都でのイベントで彼と会うこと。こういったわずかな出会いを積み重ねる必要がある。

 これらはすべてたった一人のルートで発生させられるわけではない。

 様々な攻略対象をクリアしていくことでフラグを少しずつ積み重ねていくのだ。

 このため、本編ではできた個別ルート直前でのセーブデータを活用して、効率的にクリアしていく方法は使えなくなった。

 同じセーブデータを使い続け、情報を蓄積させる必要があるわけだ。

 そういった情報を重ねていくと、嫌が応にも見えてくるものがある。それは――


「あの、クララ様?」


 固く閉ざされた扉をじっと見つめていたクララに、神官がおずおずと声をかける。


「このまま王宮に向かってもよろしいでしょうか?」

「え? あ、はい」


 クララはにこりと、先導する神官にほほ笑む。


――まあ、私には関係ないか。だって、私の推しは別の人だしー


 脳裏を一瞬よぎった考えを振り払うように、クララは首を振る。

 そして弾むように足取りで歩き出した。

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