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四十二話

 吐き出された言葉は、レオノーラが今まで一度だって聞いたことのないほど、鋭いものだった。

 握りしめたこぶしは白く色を変えるほど強く、かすかにふるわせながら、ルチアーノは彼女が去った扉をただひたすら見つめ続ける。


「前とは確実に違う道を選んだ。それなのにどうして……!! どうしてまた同じなんだ……」


――え?


 結末。その言葉に、レオノーラは思わず声をあげる。

 だが、やはりレオノーラの言葉は彼には聞こえないようだった。

 ルチアーノは固く握りしめたこぶしをゆっくりと開き、乱暴に髪をかき上げる。


「……今度こそ違ったはず……。なのに、どうして……」


――彼女は幸せにならないんだ。


 吐き出された言葉に、レオノーラは動きを止める。

 見つめるレオノーラの視線の先で、ルチアーノは髪をかきあげていた手をゆっくりと下ろす。その表情に感情という色はかけらもない。


「この先の結末はどれも同じ。どんなに手を尽くしたところで、この先、彼女が幸せになることはない」


 わかっているのに。

 ぽつりと、つぶやくルチアーノ表情は先ほどから何一つ変わってはいない。だが、どうしてだろうか。零れ落ちる言葉の一つ一つから、抱えきれないほどの悲しみと、どうしようもない絶望とそして苦悩が感じられるのは。


「……俺はただ、幸せにしたいだけなのに。ノーラの届くことのなかった思いが、ほんの僅かでもいい。報われてほしい。ただ、それだけなのに。どうしてこれっぽちのことができないんだ。俺に、何が足りないというんだ……」


 ぽつりとつぶやいたルウの言葉に、レオノーラはえ、と小さく声を漏らす。

 同じようなセリフをどこかで聞いたことがある。

 一体どこだっただろうか。幼いころにレオノーラが思ったことだろうか。それとも、前世で言った言葉だろうか。

 愕然とした表情のまま見つめるレオノーラの視線の先で、ルチアーノはその瞳に強く力を込める。


「……今度こそ彼女を幸せにする。何をしても、何を犠牲にしても」


 ぽつりとつぶやくと同時に、激しい風が神殿内に吹き荒れる。

 ひびがはいっていたガラスがすべて砕け散り、小さく砕けたかけらが差し込む日差しに乱反射する。

 まぶしいほどの光があたりを包み込み、轟音と共に激しく風が吹き荒れる。

 とっさにレオノーラは目をつむり、しゃがみこむ。

 やがて風が収まり、レオノーラは再び目をあける。と、奇妙なことに先ほどまでの嵐などなかったかのように神殿は静寂に包まれていた。


――また神殿……?


 場所は先ほどと同じ、王都の神殿だった。

 だが、砕けて霧散したガラスの一欠けらもなれば、雨が吹き込んで濡れた床も綺麗に拭き取られたようだ。

 いや、ふき取られたわけではない。

 からりと乾いたそこを見れると、そもそも最初からそんなことがなかったかのようだった。


――本当に、これは夢?


 これほどまでに荒唐無稽なものなど、夢以外ありえないだろう。

 だが、目に映る景色も、感触も、何もかもが本物のようにしか思えない。いっそ現実だと思えるほどだ。けれども、やはり奇妙なことに誰も彼もが、レオノーラをとらえることはできない。ルウも、もう一人のレオノーラも。

 こんな奇妙な夢がいままであっただろうか。

 戸惑ったようにあたりを見回していたその時だ。パタパタと駆け寄る足音がきこえた。

 扉が開き飛び込んできたのは、片手に籠を抱えた少年だった。

 走ってきたのだろう。そろっていない白銀の髪が、汗でにじんだ額に張り付いているのがわかる。軽く息をきらせた少年は神殿の中に入った瞬間、小さく息を吐く。


「間に合ったぁ」


 ぜいぜいと息をきらせた少年の声に、レオノーラははっとする。

 声変りがまだらしく、かわいらしい声だがわずかに面影がある。


――まさか、ルウ!?


 見れば、顔立ちもそっくりだ。最初に出会ったときはもう少し大きかったが、やはり面差しが似ている。間違いない。あれはルウだ。


――ひー、めっちゃかわいい!! 


 まるで人形のように、目はぱっちりとしていて大きく、頬は薔薇色だ。

 前世で天使が描かれた絵をみたことがあるが、それにとても似ていた。


「まったく、人使いが荒いんだよ。卵なんて1日ぐらい食べなたって死なないだろうに」


 ぶつぶつつぶやきながら、ルウは持っていた籠を見る。

 どうやらお使いを頼まれていたらしい。籠には卵がこんもりと盛られているのがみえた。

 ルウは一つ息を吐き、再び歩き出そうとする。と、その時だ。

 足がもつれたのか、それともわずかな段差に躓いたのか。

 彼の体が不自然にかしいだ。


「うわぁ!」


 叫ぶと同時に彼の体が床にたたきつけられ、ぐしゃりと鈍い音が聞こえる。

 はっと顔をあげたルウは、床に広がる惨状――四散する殻、広がるどろりとした液体。その中で手をついた少年の上に、唐突に笑い声が降ってきた。


「ひどいものだな」


 冷たく言い放つその声に、ルウは――レオノーラは視線を上げる。

 と、神殿の奥から現れたのは彼の親といってもいいほどの年嵩の男たちだった。くすくすと笑う彼らの態度はお世辞にもよいものとはいえなかった。


「何をやっている、ルチアーノ」


 男の声に、ルウはぎっと眉をあげる。

 唇をかみしめる彼に、男の一人が冷たく鼻を鳴らす。


「使いの一つもできぬとは、まったく役立たずだな」

「……っ」


 ルウはぎりと奥歯を鳴らす。


「無駄飯喰らいとはよくいったものだ。聖なる乙女の従者である聖ルチアーノ様が嘆かれていることだろうよ」

「やめなさい」


 嘲笑する男を、隣の男が制する。 

 だが、それは止めたというよりもさらに煽っているようにしかみえない。


「聖ルチアーノ様といえば、聖なる乙女を生涯、守り通した尊きお方。同じ名前とはいえ、比べること自体、むしろ哀れというもの」


 からからと笑う男に、レオノーラは無意識に立ち上がる。

 だが、彼女の存在は彼らには見えない。


――なんなの! 子供相手に最低!!


 叫ぶ声も聞こえることはない。

 唇を真一文字に引き結ぶルウを残し、男たちは笑いながら神殿を後にする。

 一人残されたルウは、こぶしを固く握りしめそのまま視線を床に落とす。


――名前なんて、ルウのせいじゃないのに


 思わずつぶやいたその時だ。


「ねえ、大丈夫!?」


 神殿に響き渡る声に、レオノーラは振り返る。

 と、大きく開いた神殿の扉。そこにいたのはルウと同じぐらいの年齢の少女だった。さして珍しくもない栗色の髪に、同じ色の瞳。少女は眉を吊り上げ、そしてまっすぐに床にうずくまるルチアーノを見つめていた。その少女を見るいなや、レオノーラは思わず声をあげた。


――あれ! 私じゃない!!


 といっても、まだ少女になりたての年齢だろう。

 あどけなさの残る面差し。頬を膨らませる少女の声に、レオノーラだけではない。ルチアーノもまたぽかんと口をあけた。


「……は?」

「は? じゃないわよ。大丈夫かと聞いているのよ」


 思わず声をあげたレオノーラは、小走りでルチアーノに近づく。そんな彼女の態度にルチアーノは戸惑ったような表情を浮かべた。


「……別に」

「別にって……、あなた、怪我をしているわよ」


 彼女の視線の先。ちょうど転んだときに擦りむいたのだろう。ルチアーノの膝からはわずかに血がにじんでいた。

 割れた卵が四散しているというのに、幼いレオノーラは気が付かないのか。

 迷うことなくルチアーノに駆け寄ると、持っていたハンカチを取り出す。


「これを当てておくといいわ」


 そういって、彼女はふいに視線をあげる。


「さっきの人たちが戻ってきてくれるといいのだけど。治療をしてもらわなくてはいけないわね」

「……治療?」


 レオノーラの突飛もない行動にぽかんとしていたルチアーノは、彼女の言葉にはっと鼻を鳴らす。


「あいつらが戻ってくるかよ」

「え?」


 吐き捨てるように言い放つルチアーノに、レオノーラは不思議そうに首をかしげる。


「どうして? あなたが怪我をしたのを見ていたでしょう?」

「見ていたって関係ない」


 ルチアーノは小さく息を吐く。


「そもそもあいつらは僕がどうなろうと知ったことじゃないんだ」

「そんな……」


 レオノーラにとって、ルチアーノの言葉は想像もつかないものだった。

 当たり前だ。彼女にとって、世界はどこまでもやさしいものだ。幼い子は守られるべき存在であり、愛されて当然だと。

 だからこそ、ルチアーノが発した言葉は彼女にとっては到底理解しがたいものだった。


「……じゃあ、その怪我、どうするの?」

「どうするって……」


 ルチアーノはちらりと視線を膝へと落とす。


「……こんなの放っておいてもすぐに治る」

「だめよ!」


 鋭いレオノーラの声に、ルチアーノは顔をあげる。


「え?」

「怪我甘く見たらダメなのよ! 庭師のゼムがそういっていたわ」

「……庭師」


 えらそうに語る幼い少女に、ルチアーノはぽかんとする。


――そりゃそうよね


 離れたところから二人のやり取りを見ていたレオノーラは、はは、と乾いた笑いを漏らす。

 この当時の彼女にとって世界の総ては屋敷の中だけ。

 父と母、そして屋敷で働く人がすべてであった。特に庭師のゼムは物知りで、レオノーラに多くのことを教えてくれた。花のこと。天気のこと。

 気取った家庭教師からは教えられないこともたくさん教わった。それが当時のレオノーラにはまるで大人になったように思えていた。

 だからこそ、ルチアーノに教えてやろうと思ったのだろう。

 だが、レオノーラの育ってきた環境とルチアーノの世界はまるで違う。

 幼いならばなおさら、互いの違いを理解しろというのは無理なら話だ。

 ルチアーノもそう思ったのだろう。彼は薄く笑みを浮かべる。それはかつて、レオノーラの記憶にはない、冷たく突き放すようなものだった。


「へえ、お前さ、ずいぶん大切にされてきたんだな」

「……え?」

「だが、僕とお前は違う。おせっかいはやめてくれ。放っておいてくれないか」


 突き放すように言い放ったルチアーノに、少女は目を見開く。

 と、その時だ。ふわりと彼の周囲の空気が揺れた。体から立ち上る湯気のような気配。それがふわりとあたりに広がった、その瞬間。四散した卵の殻も、当たりに広がるどろりとした白身も姿を消した。

 残されたのは籠の中にこんもりと盛られた卵たち。

 擦りむき、血がにじんでいたはずの膝さえ何もなかったようだ。

 ぽかんとするレオノーラの前で、ルチアーノは何事もなかったように膝の埃を払い、元にもどった籠をを持ち直した。


「ほらな。お前に同情されなくたって、俺は一人で」

「うわあああ!!」


 唐突に声をあげた少女に、ルチアーノがぎょっとしたように見つめる。


「なんだよ」

「もとに戻ったわ!!」


 両手を握り締め、目をきらきらと輝かせるレオノーラに、ルチアーノは毒気が抜かれたように見つめる。


「……は?」

「あなた、今、魔法をつかったの?」

「あ、ああ」


 ぎこちなく頷くルチアーノに、レオノーラは興奮したように声をあげた。


「すごいわね! 初めて見たわ!!」


 興奮する少女に、ルチアーノは先ほどまでの突き放すような表情はどこへやら。戸惑ったように視線を揺らす。


「お前……これ、気持ち悪いとか思わないのかよ」

「え?」


 幼いレオノーラは不思議そうに首をかしげる。


「……どうして?」

「どうしてって」


 まっすぐ見つめるレオノーラのそれから逃げるように、ルチアーノは視線をそらす。


「こんな魔法、誰も使ったことがなかったんだぞ。恐ろしくはないのか」

「そうなの?」


 レオノーラは不思議そうに答える。


「よくわからないけど、魔法が使えるのってすごいんでしょ? あの、わたしは魔法つかえないから」

「は?」

「あ、すこーしはできるのよ! あの、たまにだけど、紙をうごかしたことがいっ、あ……二回ぐらいあるの! でも、それだけ。使えるのってすごいってお父様がおっしゃっていたわ! 神様がくれた特別な力なんですって」

「……神様、ね」


 ルチアーノの顔がゆがむ。


「……別に、僕はそんなものほしくなかったよ」

「そう? でも、神様が暮れた力は何かのためにあるっておっしゃっていたわ。あなたの力も何かのためにあるのよ!」


 力強く言い放つ幼いレオノーラに、始めはぽかんとしていたルチアーノだったが、最後にほんの少しだけ笑みを浮かべたように見えた。


「何かのため、……か」


 それはレオノーラが知る、ルチアーノのあの微笑みによく似ていた。

 やがてその景色がゆらゆらと揺れはじめた。やがてその揺れが大きくなり、ぐるりと世界が回りそして――気が付くと、レオノーラは神殿とも青い部屋と違う。まったく別の場所にいた。


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