四十話
レオノーラは眉をつりあげたまま、がっと振り返る。と、ルチアーノがひどく戸惑ったような顔をしているのがわかった。
「……ルウ? どうかしたの?」
「心配、したの?」
「……するでしょ」
ルウのことはよくわからない。だけど、ゲームが元になっているからといって、この世界がただ優しく甘いだけのものではないことぐらいレオノーラにもわかる。
「何? 心配したらいけないの?」
「いや、だって……」
今までの、どこか人を食ったような表情はどこへやら。ルチアーノはひどく戸惑ったような表情を浮かべていた。
「……こんなところに無理やりつれてこられたっていうのに」
「たしかにそうね」
レオノーラはふんと鼻をならし、じっとルチアーノを見つめる。
「それも聞こうと思ったわ。でも、それとこれとは話が違うでしょ」
「……話がちがう?」
首をかしげるルチアーノに、レオノーラはうなずく。
「そうよ。友達が嫌な思いをしていたってきいたのよ! 心配するのは当たり前じゃない」
「……ともだち」
「それなのに、ルウ、あなた一体何を」
言いかけたその時だ。ルチアーノの両手がレオノーラの体を包み込み、強く引き寄せる。
「ル、ルウ!?」
「……少しだけ」
レオノーラの首元に顔をうずめ、ルチアーノがささやく。
その声はひどく苦しそうで、まるで助けを求めているようにレオノーラには聞こえた。だからだろう。普通ならば突き放すべきなのに、どうしてか体が動かなかった。
レオノーラはそろりと手をのばし、トン、と優しくルチアーノの背中に触れる。
瞬間、彼の体がびくりとはじかれるように揺れた。
そっと体を離したルチアーノは、のぞき込むようにレオノーラを見つめる。
「……どうして」
「え?」
目をしばたかせるレオノーラに、ルチアーノは視線を外し、わずかに顔をゆがめる。
「俺は君にひどいことをしているんだよ。どうして、突き放さないの」
「……え?」
戸惑うレオノーラの肩を、ルチアーノはがっと両手でつかむ。
「君をあの場所から無理やり連れ去り、ここに閉じ込めた。ここは俺以外は立ち入ることができないまるで牢獄そのものだ。それなのに、どうして君は僕の心配なんかするんだ」
「……と、友達だから」
肩をつかむ手が小さく震えているのがわかる。レオノーラはまっすぐルチアーノを見つめたまま、静かに答えた。
「昔から寂しいとき、一人のとき、ルウは不思議といつもそばにいてくれたよね。それがどれほど救われたかルウにはわからないでしょ?」
「それは……」
「ルウがどういうつもりで一緒にいてくれたのかはわからない。けれども、本当に私は救われたの」
レオノーラはふっと笑みを浮かべる。
「それだけじゃ理由にならない?」
ルチアーノは声を詰まらせ、そして信じられないというようにレオノーラを見つめる。
「……ノーラ」
「何よ」
「君はバカだ」
「は? バカって何」
声をあらげる彼女の体は再びルチアーノに抱き寄せられる。だが、それは先ほどの優しい抱擁とはまったく違う。
まるでしがみつくような。がむしゃらに抱き着いてくるルチアーノに、レオノーラは反射的に身をよじる。だが
「ノーラ、もう少しだけ」
縋りつくようなルチアーノの声にレオノーラは動きを止めた。
背中に回された腕。そして引き寄せられる手の力に、レオノーラはあえぐように息を吐く。と、その瞬間、がくりと体中の力が抜けるのがわかった。
「……る、う」
この感覚をレオノーラは知っている。
ぐったりともたれかかるレオノーラの体をルチアーノは一瞬、強く抱きしめる。それから彼女の体を一旦、長椅子に横たわらせた。
「……ごめんね、ノーラ」
ぽつりとつぶやき、ルチアーノは彼女の体を横抱きにする。
太っているわけではないが、やはり当然大人一人分はあるだろう。決して軽いわけではないはずのそれを、華奢にみえるルチアーノは軽々と抱き上げ、寝台に横たわらせた。
レオノーラは今にも消えそうな意識の中、懸命にルチアーノを見つめる。
「……どうして、なの……、ルウ」
「レオノーラ」
横たわったレオノーラの頬にかかる髪を指で、優しく払いながらルチアーノはぽつりとつぶやく。
「出会ったあの日からずっと、俺は君に幸せになってほしかった。誰よりも」
「ルウ……何を……」
ルチアーノの言葉の意味は、レオノーラにはさっぱりわからなかった。
最初に出会ったあの日、ルチアーノに一体何が起きたのか。尋ねようとしても、レオノーラにはもうその力すらない。
引きずり込まれようとする意識を懸命に押しとどめるので精いっぱいだった。
そんな必死に見つめる彼女の頬を、ルチアーノは何度も優しくなぞる。
「自分の力をずっと呪ってきた。別に欲しかったわけじゃない。こんな力捨ててしまいたいと何度おもったことかしれない。でもね、レオノーラ。俺は君と出会って初めてこの力の意味がわかったんだよ。今までは呪うばかりだったこの力が、君を助ける力になるとわかった。それがどれほど俺を救ったか君にはわからないだろう」
小さくつぶやくルチアーノの言葉にレオノーラはどうして、と心の中で何度も繰り返す。
だが、それが言葉になることはない。ただ、見つめるだけの彼女を、ルチアーノは静かに見つめる。
そのまなざしはどこまでも優しく、そしてひどく悲し気に見えた。
やがてレオノーラの視界が闇に閉ざされ、意識がふわりと浮かび上がるのを感じた。
現実のようで、現実ではない。
ああ、これは夢だとレオノーラは感じた。
やがてたどり着いたのは見たことのある景色だった。




