三十九話
――奇妙な場所だ
窓にはめ込まれた格子のすきまから、外を見つめながらレオノーラは小さく息を吐く。
一体、ここはどこなのだろう。
ここにつれてこられたその日に、一通り部屋は探索した。だが、当然のように場所がわかるようなものは部屋の中には一切存在せず、窓の外を見ても見える景色はさして代わり映えのしない、どこにでもあるような平凡な庭園というだけだった。
平凡で、特徴がないとはいえこれほど庭園があるということは、どこかの貴族の屋敷だろうか。
そう考えたレオノーラは、ゆるゆるとかぶりを振る。
貴族といってもこの国に一体何人いるというのだ。
部屋の感じと、見える景色だけでは結局、何ひとつわからなかった。
ならば、部屋から出られればとおもったものの、扉には鍵穴はないのになぜかノブを回してもうんともすんとも言わない。
風呂やトイレを要求すれば、部屋を出ずとも続き部屋にあるという用意周到さ。
これでは何もわからない。だが、
「……あれ?」
数日たったある日、いつものように窓から外を眺めていたレオノーラは、あることに気が付いた。
「なんか……、ずーっと同じ景色のような気がするんだけど……」
言っていることは至極当然のことだ。
ここは馬車でもなければ電車でもない。窓から見える景色が大きく変わることなどあるはずがないのだ。
だが、いくら同じ景色とはいえ寸分たがわぬものなどありうるだろうか。
――ゲームだから?
ふいに浮かんだ考えを、レオノーラはすぐに否定する。
確かにここは、ゲームが元だったのかもしれない。だが、それだからといって、流れる雲一つさえも全く同じなんてこと、今までなかった。
ゲームの時でさえ、季節の移り変わりがちゃんと背景に反映されていた。
ここには季節の移り変わりや天気の変動だってちゃんとある。
とはいえ、何日も晴れているなんてこと、別段めずらしいことでもない。
けれども少し位は変化があって当然だろう。
流れる雲の位置。陽光の差し具合。
毎日まるできまったように同じなんて、どう考えても普通ではない。
これが奇妙といわずしてなんというべきか。
こんな些細といってもいい違和感が、この場所に対してさらに疑惑を深めるのには十分すぎた。
鍵穴がないのにまったくびくともしない扉。
不思議な構造の室内。
そして一枚の絵のように全く変化のない外。
「まるで魔法がかけられているみたい」
「そうだね」
まったく変わらない景色を見つめていたレオノーラの背後から声がする。
扉の開く音はしなかった。振り返ると、扉の前にたたずんでいるのは
「ルチアーノ……」
「……ルウでいいのに」
肩をすくめ、ルウは扉の脇におかれたワゴンをちらりと見る。持ち手のある、三段のワゴンには銀色の覆いがかぶさっている。ルチアーノはあそれをわずかに持ち上げる。
中にあるのはフルーツソースのかかったパンケーキ、そして柑橘系のソースがかかったチョコレートムース。まるで一枚の絵のようではあったが、レオノーラはそのどれも手を付けてはいなかった。
「気に入らない?」
「……そうね」
もちろん、お腹が空いていないからというわけではない。
いや、最初この場所につれてこられた時にはそんなことを考える余裕はなかった。
だが、人間というものは恐ろしいものだ。どんな状況でもいずれ慣れてしまう。そういえばとレオノーラは思い出した。
最初に、前世があると分かった時だってひどく混乱はしたが、やがてその状況を飲み込むことができた。今もそうだ。
最初は混乱していたから気が付かなかったけど、落ち着いてくるとやけにはっきりとわかった。自分が空腹だということに。
ルウことルチアーノは、レオノーラを閉じ込めはしたものの餓死させるつもりはなかったようだ。時間こそわからないものの、時間ごとに食事らしきものが運ばれてきてはいた。
それもよく物語にあるような、岩のように硬いパンと水というものではなく、毎日三食かなり手の込んだものがはこばれてきた。
むしろレオノーラの家でだって、これほど良いものは特別な日でもない限り出てこない。
特権階級といっても、レオノーラの家は贅沢三昧ができるような財政状況にはない。
だからといって、こんな状況で出されたものをなんの抵抗もなくほいほい口にできるような精神状態にはまだ追い込まれていなかったようだ。
最初は警戒して出されたものに手をつけなかった。
どうやら空腹よりも、最初にかけられた術の方が強く心に残っていたらしい。薬を盛らないとは限らない。あのように体の自由を奪われる恐怖は二度とごめんだった。
だが、そんな我慢も三日目になると言ってられなくなった。
さらにルチアーノも考えたもので、こちらが我慢できなることを見越してか、食欲をあえてそそるような香り高い料理を毎回のように出してきた。
においにつられたレオノーラは、三日目にしてようやく食べ物を口にした。
たしか、香草をつかった魚と野菜のスープのようなものだったと思う。空腹にそのスープは染みた。
もし、この時毒が仕込まれていたとしたら、今、レオノーラはいないだろう。しかし、レオノーラは生きている。
つまり、殺すつもりはないということだろう。
そもそも、殺すならば最初の時点で殺していればよかったのだ。
それがわかったとしても、レオノーラとしては三食昼寝付きの生活に甘んじるつもりはまったくなかった。
食事は最低限。
かといって逃げる時に動けなくなるほどではダメだ。
だから、倒れるほどまでの我慢はしない。それがレオノーラのできる唯一の抵抗だったからだ。
それはルチアーノもわかっているのか。
手をつけられていない皿を見つめながら、ちらりと笑う。
「ノーラは甘いものはあまり好きじゃないのかな? 巷ではやっていると聞いていたんだけど」
「……別に、嫌いじゃない」
「だったら」
「ここで食べるのが嫌だといっているのよ」
かっと声をあらげるレオノーラに、ルチアーノはわずかに驚いたような表情を浮かべる。そしてすぐにふっと笑みを浮かべる。
「なるほど、この場所が気に入らないんだね」
「当り前でしょう」
レオノーラは憤慨したように返す。
「こんな場所に無理やり連れてこられて頭に来ない人がいる? ルウ、一体、あなた何を考えているの!」
「何って君のことだよ」
ルチアーノは微笑みをうかべたまま、ワゴンから離れ部屋の中央におかれた長椅子に腰を下ろす。
部屋におかれた家具といえば、大半を占めるベッド。それから小さなテーブルと長椅子だけ。あとは無駄に広い空間だけが占めている部屋で、座るところといえば長椅子かベッドだけ。
ルチアーノの隣に座ることはかなり抵抗があるが、かといってベッドに座るというのももっと抵抗がある。
しぶしぶ出来るだけ離れて長椅子にすわったレオノーラに、ルチアーノはくすくすと笑った。
「何よ」
「いや、別に」
どうせレオノーラの考えることなどルチアーノにはお見通しなのだろう。
むっつりと顔をしかめるレオノーラに、ルチアーノはくすくすと笑いながら視線を向ける。
「ルウって呼んでくれるんだね」
「……そっちの方が慣れているだけよ」
そっけなく返すレオノーラに、ルチアーノはそうかと笑いながら答える。
「どんな理由にせよ、君がそう呼んでくれるならうれしいよ。何しろ、この名前は君がつけてくれたものだからね」
「……そうだった?」
ルチアーノと出会ったのは、王都の屋敷近くの神殿だった。
だが、ずいぶん前のことで詳しいことまではあまりよく覚えていなかった。
彼の名前を付けたのは、ルチアーノの言うように自分だったのだろうか。
首をかしげるレオノーラに、ルウはイエスともノーともとれるような曖昧な笑みを浮かべた。
「そうだよ。……僕はね、正直、自分の名前が好きではなかったんだ」
「どうして?」
首をかしげるレオノーラに、ルチアーノはわずかに目を伏せる。
「僕の名前ってさ、聖なる乙女の従者からつけられたんだ」」
「聖なる乙女……」
おそらくクララのことではないだろう。彼が言っているのはもっと昔の、所謂初代の聖なる乙女のことだ。
ゲームの中でもほんの少しだが彼女の一枚絵を見ることができる。
といっても、攻略対象の絡まないものだからまともに見ている人がどのぐらいいるかわからないが。
かすかな記憶の中、美しい少女の周りに三人の従者が跪いている。
ゲームの冒頭でさらっと語られる内容によると、彼女もまたクララとおなじ平凡な少女だったそうだ。まさしくいかにもなシチュエーションだ。
そんな彼女の周りには当然のごとく何人ものイケメンがいたといわれている。
従者であるルチアーノもそのひとりということだろう。だが
「……それのどこが嫌なの?」
「え?」
ぽかんとするルチアーノに、レオノーラはわずかに眉を寄せる。
「だって、神殿って聖なる乙女を祭っているんでしょ? だったら、むしろうれしいんじゃないの?」
「は? そんなの人それぞれじゃん。俺は嫌だ。だって、従者だぞ? いやだよ、かっこ悪い」
「え? そういうもの?」
「そうだよ!」
「ふうん……」
納得してないようなレオノーラの反応に、ルチアーノは眉を顰める。
「何?」
「あー……、うん。神殿の人って全員聖なる乙女のことをたたえている者だとばかり思っていたから」
ルチアーノの反応は予想外だった。レオノーラの言葉に、ルチアーノはわずかに目を見開き、それからバツの悪そうな顔をした。
「……しょうがないだろ。別になりたくなったわけじゃない」
「え? そうなの?」
この世界では、前世のような職業を自由に選ぶことはそれほど簡単なことではない。
たいていが生まれた家の職業を継ぐ。商人は商人に、貴族は貴族となる。本人の能力や希望などはまったく加味されることはない。もちろん、例外はある。
だが、それだって非常に稀だ。
ルチアーノは神官になりたくなかったのだろう。
考えてみれば、最初に出会ったとき彼はそのようなことを言っていたような気がする。なるほど、とうなずくレオノーラに、ルチアーノは小さく笑う。
「その上、つけてくれと頼んだわけでもないのに、この名前のせいでいちいち仰々しく扱われる。いい加減うんざりしていたんだ」
もともと、神殿についての知識はほとんどないに等しかったから、レオノーラにはルチアーノという人がどういう人だったのか皆目見当がつかなかった。
しかし、聖なる乙女が通った道ですらあれほど大切にされているのだ。
彼女と所縁の深い人ならば、神殿での扱いは想像できるというものだろう。
もともと、聖なる乙女に傾倒している人ならばいざ知らず、さほど興味のならば、そういった扱いがプレッシャーになることがあるだろう。
「……そうなんだ」
小さくつぶやくレオノーラに、ルチアーノはふいに笑い出した。
「な、なに?」
「ノーラ、信じたの?」
「……は?」
思わず目を見開くレオノーラに、ルチアーノはにいと少しばかり意地の悪い笑みを浮かべる。
その瞬間、レオノーラははっとする。
「だましたの?」
「ノーラ、ほんと、君って全然かわらないよね」
「ルウ!! 人がせっかく心配したのに!!」
信じられない。
眉を吊り上げ、レオノーラは顔をそむける。すると、彼女の耳にルチアーノの息をのむような音が聞こえた。
「……心配してくれたの? ノーラ」
「当たり前でしょ!」
レオノーラは顔をそむけたまま、叫ぶ。
「ずーっと嫌な目にあってきたんじゃないかって心配したのよ! それのどこが悪いのよ!」




