三十五話
「あら、今更とぼけても無駄よ?」
アンリエッタは眉を吊り上げ、唇に笑みを浮かべる。
「あなたが神殿からいろいろ言われていることぐらいわかっているのよ」
「ち、違います! 私の推しは別に、殿下ってわけじゃあありません」
クララはぶんぶんと首を振る。
「私は、あの、今作の主人公ってわけじゃあなくて、あの!」
「あなた、何を言っているの?」
胡乱気な視線を向けるアンリエッタに、クララは片手で額を抑え大きく息を吐いた。
「どういうことなの? このルートは確かにクリストフルートのはずなのに。どうしてルチアーノが出てくるの? ルチアーノは隠しルートで、そもそも全クリしてなかったら出てこないはずなのに……どうして」
「……ちょっとまて」
ぶつぶつとつぶやいていたクララの言葉を、クリストフが遮る。
「ルチアーノっていったか?」
「……いったね」
やれやれとため息を落とすジェレミーに、クリストフは顔を険しくする。
「クララ、ルチアーノ教皇がここにきているのか?」
クリストフの気配は、今までにないほど鋭い。
クララはひっと息をのみ、そしてゆるゆると首をふった。
「しらないわ! 彼とはほとんど会わないもの」
「ならどうして、彼の名前が出てきたんだ」
「それは……」
クララは先程までの勢いはどこへやら。
突然、言いよどむように口をつぐんだ。
うろうろと視線を揺らす様は、どう見ても何かを知っているようだった。
「クララ、答えろ」
「……えー……あのー」
「クララ!」
「クリストフ、待って」
今にも食って掛かりそうなクリストフの前に、すっと差し出された手があった。
アンリエッタのものだ。
先程まで冷たくクララを見つめていた瞳に、困惑ともまた違った色が浮かんでいた。
「……クララ、貴女も未来が見えているの?」
「……っ!」
アンリエッタの問いはあきらかに突拍子のないものだった。もしも、こんな状況でなかったとしたらずいぶん高度な冗談に聞こえただろう。
だが、アンリエッタの表情はそんな冗談を言っているようには見えなかった。
そして言われたクララもまた、まるで図星をつかれたような顔をしているではないか。
それが何よりも雄弁な答えだと誰もがわかってしまうほどに。
アンリエッタは小さく息を吐いた。
「やはり、そうなのね」
「……ど、どうしてそれを」
目を丸くして絶句するクララに、クリストフが慌てたように口を開く。
「アンリエッタ様! 今、「貴女も」とおっしゃいましたか?」
「そうね。いったわ」
「では、まさか、あなたも未来が」
尋ねるクララに、アンリエッタは静かに首を振った。
「いいえ、私ではないわ。未来が見えるといったのは私ではなくて」
クリストフの顔はすでに血の気はない。その隣にたつジェレミーなどは、すでに話についていけてないようで、戸惑うようにアンリエッタを見つめている。
「アンリエッタ様、詳しく説明をお願いできませんか? オレ、全然話についていけてない……」
「そうね」
アンリエッタは小さく息を吐く。
「レオノーラからその話を聞いたのは、ここに来る途中のことだったわ」
アンリエッタはその時のこと。
宿屋でレオノーラから聞いた話を語った。最初は信じられなかったこと。だが、アンリエッタと第二王子だけしか知らない話をされたこと。
「やっぱりね」
訳知り顔でうなずくクララの横で、クリストフは微妙な表情を浮かべる。
「……レオノーラがそんなことを? 一度も、そんな話を聞いていなかったが」
「当り前じゃない」
ふんと鼻を鳴らしたのはクララだ。
「レオノーラがわざわざあなたに言うはずないでしょ」
「それはどういう意味だ」
明らかに不愉快そうなクリストフに対し、クララはまるで気にするようすはない。
「どういう意味って……、言葉通りよ。あなたに言ったら、大ごとになるからにきまっているでしょ」
肩をすくめたクララに、クリストフが顔をしかめる。
明らかに二人の間柄は険悪の一言につきるだろう。アンリエッタがくすりと笑う。
「……あなたたち、噂とはずいぶん違うのね」
「噂ってなんのことです?」
眉をひそめるクララに、アンリエッタは肩をすくめる。
「あら、あなたたち二人はずいぶん親し気だという噂よ。知らなかった?」
「はあ?」
声をあげたのはクララとクリストフ。二人同時だった。
そのあまりにタイミングのよさに、ジェレミーが吹き出す。
「おいおい、本当に仲がいいんだな。そういうところまで一緒かよ」
「おい」
軽口をたたくジェレミーを、クリストフがにらみつける。
「冗談でもそういうことを言うな」
「そうよ!」
同意をしたのはクララだ。からかわれたことに照れているわけでもない。心底嫌そうなようすで顔をしかめている。
「やめてよ、コンラドに誤解されるじゃない」
「……コンラド?」
ジェレミーがきょとんとしたようにクララを見る。
「コンラドってどっかで聞いたことがあるな」
「宰相殿のご子息だ」
「は?」
クリストフのぶっそりとした答えに、ジェレミーが目を見開き、クララを見つめる。
「宰相殿のご子息? って、まじかよ。あの頭でっかちとお前がか?」
「頭でっかち?」
クララは眉を吊り上げる。
「私のことは何をいってもかまわないけど、コンラドのことを悪くいったら許さないわよ!」
「あー、すまんなー」
へらりと笑うジェレミーをクララはふん、と鼻を鳴らす。
「ツンデレの良さがわからないなんて、可哀そうな人ね!」
「あのインケン坊ちゃんの良さなんてわかりたくもないな」
からかうように返すジェレミーに、クララが激しくにらみつける。
「なんですって!」
「ちょっと二人とも!」
二人の間に、慌てたようにアンリエッタが分かりこむ。
「話がずれているわよ」
ぴしゃりと言い放つアンリエッタに、二人はようやく口をつぐむ。
「とにかく。クララ、あなたはレオノーラと同じく未来が見えるのね?」
「未来っていうか……、ルートがわかるってだけですけど」
「ルート?」
眉をひそめるアンリエッタに、クララが慌ててかぶりを振る。
「あ、いえ! なんでもないです! そう。全部じゃないですけど、いちおう、本編続編ともにフルコンプしてます! ちなみに特典付きボックス買ってるから、スチルブックと限定シチュエーションCDも持ってるんですからね!」
ふんと自慢げに語るクララに、アンリエッタが首をかしげる。
「……あなたも、レオノーラと似て、よくわからない言葉を使うのね」
「まあ、……たぶん、同じような生まれだからじゃないかな?」
クララの答えに、クリストフが眉をひそめる。
「……レオノーラと同じ生まれ?」
「あのね」
クララがため息交じりにクリストフをにらみつける。
「あなたがレオノーラを好きなのはよくわかったけど、いちいち突っかかってこないでもらえないかしら? 別にレオノーラ様と同じだっていいでしょうが」
「突っかかってなど」
図星を突かれたのか、口ごもるクリストフに、クララがさらに追い打ちをかける。
「突っかかっているでしょ。あなた、最初からずーっとそうよ。レオノーラに会えないからって八つ当たりしないでほしいわ」
ぷりぷりと怒るクララの横で、アンリエッタがたまりかねたように口をはさんだ。
「ちょっとまって。話がまたずれているわよ。クララ」
アンリエッタがクララをまっすぐに見つめる。
「あなた、本当に未来がわかるのね」
「ええ、ルートだけなら」
「ルート……っていうのがよくわからないわ」
首をふるアンリエッタに、クララが肩をすくめる。
「まあ、未来っていうかおおよそ、こうなるだろうってことぐらいってとってもらっていいわ」
「そう」
こくりとうなずいたアンリエッタは、クララを見つめる瞳をわずかにすがめる。
「その未来というのは神殿に都合がいいものではないの?」
「神殿?」
クララは虚を突かれたように目を丸くする。
「どうして神殿が出てくるの?」
「決まっているでしょ。あなたが聖なる乙女だからでしょ」
何を当たり前なことを聞くのかといわんばかりのアンリエッタに、クララはようやく納得がいったのか、やれやれとため息を落とす。
「聖なる乙女っていったってこの世界だとわき役だし、特別な意味なんて何もないんだけど。それに、そもそもこのルート……じゃないか。えーと、ルチアーノにだって最初に会っただしさぁ」
クララの言葉に、クリストフたちは互いに視線を交わす。
彼女の言っていることは本当だろうか。
神殿としても国に対する影響力を強めるには十分すぎるぐらいの駒だっただろう。
だが、それにしては彼女の立ち回りはあまりうまいとはいえなかった。彼女の言う通り、クララの関心はもっぱら第二王子ではなく、宰相の子息に向けられていた。
「確かに、神殿が口を出すならもっとこう、殿下の好みの相手を向けるもんな」
「ちょっと!」
ふんふんとうなずくジェレミーに、クララがぎろりとにらむ。
「別にあの、ゴツイ殿下に好かれようとおもってなんかいないわよ! 私の推しはずーっと彼なんですからね!」
ふんと鼻をならし、クララは再びクリストフを見つめる。
「クリストフ、一つ忠告しておくわ」
「なんだ」
「私が知る未来なら、あなたとレオノーラはさほど問題はなかったはず。そもそもルチアーノが出てくるのは、隠しルートだけ……っていってもわからないか。えーと、とにかく、教皇が出てくるはずがなかったの。けど」
「……彼がレオノーラを連れ去った」
「そう」
うなずくクララの横で、アンリエッタが険しい顔をする。
「証拠は? 神殿から推薦された治癒師なんて、なんの証拠にもならないわよ」
「わかってる。でも、私ならどう?」
そういってクララがにっと笑った。
「聖なる乙女が直々に教皇に会いたいといえば、きっと断れないわよ」




