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三十四話

「おい! 殿下の使者はどこにいるんだ」


 扉が大きく開き、飛び込んできたのはクリストフだ。

 辺りを見回しながら飛び込んできたクリストフは、広間を見回しそして声を詰まらせる。


「……なんのこと?」


 不機嫌そうに答えたのはアンリエッタだ。

 先ほどまでいた辺境伯の姿はなく、居間に居るはアンリエッタとクララ、そしてジェレミーだけだ。

 どうやらクリストフたちがいなくなったのち、侍女たちが茶を用意したのだろう。

 長い椅子にはクララとジェレミーが。一人用の椅子にアンリエッタが座り、それぞれカップを片手にぽかんと飛び込んできたクリストフを見つめていた。


「王都からの使者って、あなたのことでしょ」


 眉をよせるアンリエッタを、クリストフが険しい表情のまま見据える。


「いや、王都から殿下の使者がやってきたと」

「なんのこと? 今日、王都からきたのはあなたたち二人だけよ」


 アンリエッタにカップをソーサーに戻し、そして長椅子に座り、茶と共に出されたのだろう。焼き菓子を頬張るクララを苛立たし気に見据える。


「そもそもあなたは一体、何のためにここにいらしたの?」

「え? あたしですか?」


 クララは口の端にクリームをつけたまま、首をこてんとかしげる。


「あたしは、あの、なんていうか。フラグ回収のためっていうか?」

「ふらぐ?」


 アンリエッタがさらに顔を険しくする横で、慌てて口を開いたのはジェレミーだ。


「ちょっとまて、クリストフ。王都からの使者って話、誰がいっていたんだ?」

「庭にやってきた従者だ」


 そう言って、クリストフは振り返る。

 だが、その視線の先には誰もいない。


「……おかしいな。さっきまでそこにいたはずなんだが」

「いないのか?」


 クリストフの様子がおかしいことに気が付いたのだろう。

 ジェレミーがカップをソーサーに戻し、長椅子から立ち上がる。


「妙だな」

「妙なのはそれだけじゃない」


 ジェレミーはテーブルを回り、クリストフに近づく。


「そもそも使者なんて来ていない。王都からやってきたのはお前と彼女、二人だけだ」

「……っ」


 クリストフはひゅっと息をのみ、大きく目を見開く。

 そして無言で踵を返すと、そのまま駆け出した。

 先ほどまでの中庭は、広間から回廊を抜けた先にある。ぐるりと回廊をまわりこみ、灯篭が等間隔に置かれた中庭へと向かう。

 さすがは辺境伯というべきか屋敷はどこも広い。先程まではさほど感じなかった距離も、今のクリストフにはひどく遠く感じた。


――無事であってくれ。


 祈るような気持ちで駆け寄った東屋には、無常にも彼女の姿はどこにもなかった。


「レオノーラ!」


 クリストフの叫び声に、彼の後を追ってきたのだろう。ジェレミーが東屋に駆け寄る。


「いないのか?」

「……クソッ」


 握り締めたこぶしをあずまやの柱にたたきつける。

 鈍い音が静まり返ったあたりにむなしく響く。


「一体、何がどうなっているんだ」

「クリストフ」


 ジェレミーが、クリストフの方に手を置く。


「一旦、落ち着け」

「落ち着けだと! レオノーラがいないんだぞ」

「見りゃわかる」


 肩をすくめるジェレミーの言葉に、クリストフが険しい顔で振り返る。


「なんだと」

「落ち着けといっている。クリストフ、使者が来たと言った奴の特徴を教えてくれ」

「……特徴」


 クリストフは視線を小さく揺らす。

 従者の印象はといわれても、あたりは薄暗く顔かたちがはっきりと見えたわけではない。恰好もさして目立つ格好でもなかった。


「……そういえば」

「なんだ?」

「言い回しが少し妙だったな」

「言い回し?」


 ジェレミーは首をかしげる。


「どういうことだ?」

「いや……、気のせいかもしれないが言い回しが綺麗だった。いや、綺麗すぎたというか」

「なんだよ、まるで舞踏会のお誘いみたいな感じってか?」


 からかうようなジェレミーの言葉に、クリストフはうなずく。


「ああ。聞きなれた言葉だったな」

「なるほど。この辺りの言い回しはさすがに舞踏会とはいかないだろうからな。アンリエッタ嬢に聞いてみよう」

「……ああ」


 頷きあった二人は足早に来た道を引き返した。ホールに戻ると茶器はかたづけられ、なんとも微妙な空気があたりに立ち込めていた。

 飛び込んできた二人の姿に、真っ先に反応したのはアンリエッタだった。


「どうだったの? レオノーラは?」

「だめだ」


 ジェレミーの言葉に、アンリエッタの顔から血の気が引いていく。


「そんな……レオノーラ!」


 かろうじて気を失わなかったのは、やはり辺境伯の令嬢故だろう。

 王族に嫁ぐものとして、彼女に求められるものは多い。精神的な強さもその一つだ。

 しかし、だからといって無敵なわけでも、無傷なわけではない。長椅子の背もたれに手をかけたまま目を伏せたアンリエッタに、クリストフは視線を向ける。


「アンリエッタ。最近、人を雇ったか?」

「え?」


 怪訝そうに顔をあげたアンリエッタだが、すぐに彼の言わんとしていることはすぐ理解できたのだろう。部屋の隅に控えている侍女に視線をやる。

 侍女はしずかに頭をさげると、そのまま部屋を後にした。

 しばらくして侍女の代わりにやってきたのは、白髪の男性だった。身なりはしっかりとしているところを見ると、屋敷でもそれなりの立場だろう。

 男はまず長椅子に座るアンリエッタに頭を下げると、改めてクリストフに向き直った。


「私はこの屋敷の執事をまかされておりますヘンリーと申します。なんでも我が家の従者について伺いたいことがあるとか」

「ああ」


 クリストフが頷く。


「ここ最近、人を雇った覚えはないか?」

「いいえ」


 ヘンリーは唇に笑みをはりつかせたまま、ゆっくりとかぶりをふる。


「ここ1年ほど、新しく人を雇ったことはございません」

「……何?」


 クリストフが眉を顰める。するとアンリエッタがおずおずと口を開く。


「ヘンリー、でも私の知らない者も何人か見かけたわ。あの者たちは一体?」

「ああ、それでしたら砦に詰めていたものですな」

「砦?」


 首をかしげるクリストフに答えたのはアンリエッタだ。


「国境にある前線基地のことよ。近衛騎士であるなら、貴方も来たことがあるのではなくて? そこにいるのはあなたのような王都から寄越された騎士たちが大半だけど、我が家からも何人か向かわせているわ」

「……騎士」


 クリストフはぽつ、とつぶやき、考え込む。

 あれが騎士だっただろうか。

 騎士ならばクリストフやジェレミーがそうだ。騎士には騎士の匂いというものがある。同業の匂いというべきだろうか。

 だが、彼からはそれらしきものを感じなかった。


「騎士にはみえなかったが」

「当り前よ」


 アンリエッタが肩をすくめる。


「我が家から出しているのは騎士ばかりではないわ」

「騎士ではない?」


 尋ねるクリストフに、アンリエッタはあきれたような顔をする。


「砦にいるのは何も騎士だけではないでしょ。下働きの者や、それに治癒師なんかもしるじゃないの」

「……っ!」


 クリストフは反射的にクララを見、それからジェレミーへと視線をむけた。

 ジェレミーも同じことを考えていたのだろう。いつもの調子の軽さはどこにもない。ひどく苦々しい表情がそこに浮かんでいた。


「アンリエッタ様。失礼を承知で聞くが、治癒師はどこの紹介で雇われました?」

「……どこのって」


 アンリエッタはいまだ気が付いていないようだ。

 戸惑うように視線をヘンリーへと向ける。すると彼女の跡を引き取るように、彼が大きく頷いた。


「治癒の力を持つ者はそう多くはありません。昨年、長く勤めてくれた者が急に辞めまして、変わりにといって近くの神殿の紹介で我が家に来たものがいます。確か名前はランドールだったかと」

「……神殿?」


 ここまでくればアンリエッタにもクリストフが聞きたいことがわかったのだろう。

 アンリエッタが思わず叫ぶ。


「ヘンリー、お前、神殿の者を我が家に入れていたの?」

「お嬢様」


 気色ばむアンリエッタに対し、ヘンリーの態度は落ち着いたまま。


「確かに我が家と神殿の間は決して友好的とは言えません。ですが、すべてがそうであるとは限りません。彼らにも、我々にも利が合えば組むこともあります」

「第一、神殿だとしてなぜレオノーラ嬢を連れ去る?」


 ヘンリーの言葉の後を引き継いだのは、ジェレミーだ。

 顎に指をかけたま、ジェレミーは首をかしげる。


「レオノーラ嬢を連れ去ってどうする。アンリエッタ様ならわかるけどな」

「まあ……」


 ジェレミーのあけすけな物言いに、アンリエッタは一瞬目を見開く。

 だが、すぐに納得したのか。大きく頷いた。


「でも確かにその通りですわ。クララ様にとって目下の邪魔者といったら私ですものね」

「え?」


 今の今までおとなしく長椅子に座っているだけだったクララは、唐突に出された自分の名前に思わず声をあげる。


「わ、私ですか?」

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