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三十三話

 からかうような声。やってきたのが従者ではないと気が付いたレオノーラはとっさに腰をあげる。


「誰?」

「……誰って」


 くすりと、闇の中にいた人の笑い声が聞こえる。


「ノーラはホント、忘れっぽいんだね」

「……ノーラ」


 レオノーラはおどろいたように目を見開く。

 ノーラと呼ぶのは彼女の周囲ではたった一人。だけど


「……どうして」

「どうしてって」


 くすくすと笑いながら、その人がゆっくりと東屋に近づく。

 そしてするりと東屋の中に入り込み、先ほどまでクリストフが座っていたベンチに腰を下ろした。

 闇夜にもわかる月光色の髪。そして月の光を移したような黄金色の瞳は、この暗がりではさすがにはっきりとは見えない。けれども、その瞳がまっすぐとレオノーラへと向けられているのはわかる。そして笑みを刻んだ形良い薄いくちびるから、小さな笑みがこぼれた。


「君に会いたかったからだよ、ノーラ」

「ルウ」


 最初は王都の神殿。二度目は祭りの最中。そして辺境の街。

 どれも突然だった。しかし、偶然といっても問題のない範疇だった。

 だが、今は違う。偶然という都合のいい言葉で片づけていいものではない。

 目をしばたかせるレオノーラに、ルウはくすくすと笑う。


「驚いているね」

「あ、当たり前よ」


 レオノーラはぐっと顔を近づける。


「だって、あなたこんなところにいるなんて思わないじゃない! ここがどこだかわかっているの?」

「ああ、マルロー辺境伯の屋敷だろ? 随分大きいね。元は要塞だったらしいから、そのせいかな」

「大きいって……」


 ルウの言い方は、まるで大きなパンに対峙したときのようだ。

 さして驚いているようすもない彼に、レオノーラはわずかに首をかしげる。


「ねえ、本物?」


 瞬間、ルウがはじかれるように笑いだした。


「本物だよ。そう見えない?」

「だって」


 声も、表情もルウに間違いはないだろう。

 だが――レオノーラはあらためてルウを見つめる。

 最初に出会ったときは町によくいる少年だった。次は神官姿だった。だからてっきり、ルウはあのまま神官になっているのだと思っていた。

 けれども、今のルウの姿はそれとも違った。

 キラキラと光る糸が織り込まれた長い布。それを体に巻き付けている。その上から、金の糸が織り込まれた帯で結ぶ。さらにその上からまるでケープのように羽織るっているのは、半透明の薄い布地。

 この格好は神官のものとよく似ている。

 だけど、レオノーラの知る神官とは何かが決定的に違った。


――上等すぎるんだわ……


 彼の姿は、あきらかに街の神官が纏えるようなものではない。

 まじまじと見つめるレオノーラに、ルウは小さく笑う。


「あれ? この格好は初めてだっけ? 似合わない?」

「……似合っているわ。でも……」


 なぜ、そんな恰好をしているのだろうか。

 ただの私服だと思いたいが、これほどの上等な服をまとえるとしたら一介の貴族でも難しいだろう。王族かそれと同じぐらいの財力を持つ存在でないと無理だ。

 だが、そんな存在など他にいるだろうか。

 いや、そもそも彼は本当にただの神官だろうか。

 レオノーラの表情が少しずつ消えていく。変わっておびえた表情になっていくのに気が付いたのか、ルウがわずかに眉を寄せた。


「やっぱりこの格好で来るべきじゃなかったかな。いつもの恰好の方が、警戒されなかったかもしれない」

「警戒……、ってどういうこと?」


 顔をしかめるレオノーラの手を、ルウは静かに握りしめる。


「レオノーラ」


 目を見開くレオノーラに、ルウはその顔に笑みを浮かべる。

 それは今までのような無邪気なものとは明らかに違う。どこまでも静かな微笑みだ。


「ルウ……どうして、私の名前」

「最初から知っていたよ、レオノーラ。君の名前も、家も、そしてあの場所に来ることも」

「……え」


 レオノーラは反射的に腰を浮かせようとした。だが、妙なことに足も手も、いや、体中の力という力が抜けてしまっていた。

 ぐったりともたれかかるレオノーラの体を、ルウはゆっくりと引き寄せるように抱きしめる。


「レオノーラ、ようやくだ。ようやく君に触れることができる」

「……だれなの、あなた……は」

「俺? 俺の名前はね」


 背中に回された手に力がこもるのが分かる。

 耳をかすめるルウの声。だが、それをつかもうとした瞬間、レオノーラの意識は、ゆっくりと深い闇に落ちていったのだった。


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