二十七話
ジェレミーが辺境伯邸に現れたと聞いたレオノーラはひどく動揺した。
彼はもともとクリストフと同じ騎士で、今は出世をしたのか近衛騎士になったとちらりと耳にしていた。
その近衛騎士というものは、精鋭部隊といわれるだけあって数はそれほど多いわけではない。主な仕事が国の重要人物――主に王族の護衛ともあって、誰でも彼でもなれるわけではないからだ。
その彼が付か走りのようなことをするなんて予想外もいいところだ。
だが、持ってきた内容を見て、すぐに理解をした。
ジェレミーのもたらしたクリストフの婚約の話の出どころが、第二王子からのものだったからだ。
第二王子から婚約者アンリエッタへの私信ともなれば、誰かれかまわず任せられるようなものではない。だからこそ、ジェレミーが遣わされたというわけだ。
「そういうと恰好いいですが、実際のところは単に私が暇だったってだけですけど」
からからと笑うジェミーにアンリエッタは顔をしかめた。
その横でレオノーラは妙に落ち着いた気持ちで二人の話を聞いていた。
クリストフが長いこと思い続け、だが、決してその思いが通じることがない相手。そのクララと結ばれる。
何度も何度も繰り返し想像した。
そのたびに胸がぎりぎりと締め付けられたものだが、実際、現実ともなるとひどく遠くに聞こえる。
――ようやく、念願がかなった
彼が幸せになる。それはレオノーラにとっての長年の夢だったはずだ。
ゲームの中で、彼は愛する人とは決して結ばれることがなかった。
それが今、ようやく結ばれた。
想像は何度もした。その時にはきっと誰よりも一番喜んであげられると、そう思っていたはず。なのに、どういうわけかレオノーラの足元は妙に頼りなく、今にも崩れそうだった。
それからどのように過ごしたのか、レオノーラははっきりとは覚えていない。
アンリエッタの侍女たちはレオノーラを見るたびに、同情ともつかぬ表情を浮かべ、アンリエッタはというとひどく怒っているようにも見えた。
この知らせを運んできたジェレミーはというと、なぜかすぐに王都に戻ることはなかった。
そんな時だ。だらだらと辺境をぶらついていた彼が、ふいにレオノーラのところへとやってきて外に行こうと言い出したのは。
「え?」
眉を寄せるレオノーラに、ジェレミーはにこにこと笑いかける。
「君もまだ街とかにいってないって聞いたんだよね。だから、ぜひ、一緒にいってくれないかなーって思ってさ」
「いえいえ」
レオノーラは首を振る。
「この辺りのことなんて、私、何もわかりません。何もわからない私なんかよりも、知っている者に案内させたほうがよいのではありませんか?」
「いや、それじゃあつまらないでしょ」
ジェレミーは笑う。
「ここってなんか堅苦しいでしょ。暇そうにしているとすぐに訓練しようとか言われるしね。それになんだか男くさいし、汗臭い。嫌ですよ、騎士なんて男ばっかりなのに、なんで休みのときまで」
うんざりしたような表情を浮かべるジェレミーを、レオノーラは唖然としたまま見つめる。
「……まあ、ここは辺境ですからね」
辺境伯はこの国で唯一、国王以外で独自の軍事力を持つことを許されている。
そのせいか、他の領地に比べてやたらと武官が多く、屋敷の中庭では毎日のように訓練している姿を見かける。
彼らからしてみれば、ジェレミーのような近衛騎士と手合わせできる機会はそう多くないだろう。そのおかげで、毎日のように彼が追いかけられる羽目になるのだ。
ジェレミーは深いため息を落とす。
「冗談じゃないよ。せっかくの息抜きに町にいくのに、どうしてまた男なんか連れて行かなくちゃいけないだよ。だったらレオノーラ様のようになかわいくてきれいな人と一緒にいったほうが何百倍もマシってもんだって」
それに、とジェレミーは続ける。
「実は、もう辺境伯の許しもいただいちゃってるわけ」
「まあ……」
それではレオノーラの返事など端から必要ではないではないか。
憮然とする彼女に、ジェレミーはにこにこと笑いかけた。
ここの主である辺境伯が良いといったのならば、レオノーラが断る理由はない。レオノーラはしぶしぶジェレミーに連れられ、屋敷近くにある街へ馬車を走らせた。
レオノーラの部屋の窓から見える景色は閑散としているようにみえたが、近くまでくるとそれなりに大きな街だった。
考えてみれば侯爵は街道沿いの街への投資や道路補修などをおこなってきた。
そのため町には様々な商人や旅人が行き交い、同じ国でありながらも街のあちこちから異国の空気が漂っているように感じた。
町外れに馬車をとめたジェレミーは、未だ仏頂面を浮かべるレオノーラを下ろしながら、当たりを見回す。
「ねえ、どこか行きたいところはある?」
「いえ、特には……」
まったく乗り気がしないという表情を浮かべるレオノーラに、ジェレミーはにかりと笑う。
「じゃあ、ちょっとぶらぶらしようか。丁度、市もたっているみたいだし」
ジェレミーの言葉に、レオノーラは通りの向こう。人の声がするほうへと視線をやる。
大通りの両側には木と布でできたテントのような店がいくつも並び、その間を人々が行き交っているのがみえる。
王都では大半の人が同じ格好だったのに対し、ここにいる人の恰好は実に様々だ。
王都でよく見かけるようなものから、珍しい柄の服装の人まで。
それは出店の店主も同じだ。並ぶ品物も、見慣れたものから珍しいものと多種多様だ。
その中の一つ。木の細工物を売る店の前で、レオノーラはふいに足を止めた。
品物の大半はさして珍しくもない木でできた椀や皿といった日用品だ。丁寧なつくりで、人気があるのだろう。レオノーラが見ている脇からこまごまとしたものがうれていった。
その中に皿や椀とは違うものがあった。
木製の小さな鳥だ。
どうやら手慰みにつくったものらしい。
手のひらほどの大きさの鳥はわずかに首を傾げ、こちらを見つめている。
その鳥はどこかでみたことがあるように、レオノーラは思った。
「かわいいよね。ほしい?」
「え?」
驚いてふりかえったレオノーラに、ジェレミーが笑いかける。
「ずいぶん熱心にみていたからさ。ねえ、気に入った?」
「そういうわけじゃないの。ただ、どこかで見たことがあるような気がして」
ふっと笑ったレオノーラに、ジェレミーはあらためて木製の小鳥を見つめる。そしてややあってから、ああ、とつぶやいた。
「あれは月夜鳥ですね」
「月夜鳥?」
聞いたことがない。
首をかしげるレオノーラの耳に、大きなため息が飛び込んできた。ふとその声のする方を見ると、どうやら二人の話をきいていた店主が出したものだったようだ。
「なんてことだ。王都の者は月の女神様の使いもわすれちまったったんだな」
「女神様の使い? この鳥がそうなの?」
尋ねるレオノーラに、店主は肩をいからせふんと鼻を鳴らす。
「王都のものは薄情だとはきいたがな。まさか女神の使いも知らないとは」
そんなの初耳だ。戸惑うレオノーラの横で、ジェレミーがはは、と笑った。
「王都では女神の使いは聖なる乙女だといわれているんだよ。この辺りでは鳥か」
ふうんと顎を指でなでながら興味津々いったようにその鳥を見つめるジェレミーに店主は大きく頷く。
「乙女だぁ? 女神と使い取ったらこの鳥だろう。使いは祈る者の元へと女神の涙を運ぶ。実際、この鳥は夜にしか飛ばない」
「鳥は夜目がきかないときいたけど」
尋ねるレオノーラに、店主は再びふんと鼻を鳴らす。
「月の女神の使いが夜に飛べなくてどうする。月夜鳥は夜飛ぶから、月夜鳥っていうんだ」
「そうなのね」
前世の知識があると、どうもいけない。
この世界とは違うと思っていても、そちらに引っ張られてしまう。
小さく笑うレオノーラの横から、ふいにジェレミーが顔をのぞかせた。
「じゃあ、その月の女神の使いを一つ、もらおうかな」
わずかに広がるぎこちない空気の中、ジェレミーの明るい声に店主は眉を顰める。
どうやら冷やかしだと思われていたらしい。
「どれがいいんだい」
どうせ買わないのだおうという言葉が聞こえてきそうな店主の態度に、レオノーラはジェレミーの袖を引っ張ろうとした。
だが、ううーんとうなりながらも小鳥を眺めていたジェレミーはそのうちの一つ。わずかに首をかしげたようなしぐさをする小鳥を指さした。
「これがいいかな。店主、これをもらおう」
「……あいよ。包むかい?」
ごつごつと硬い手で店主がジェレミーの指した小鳥を手に取る。
だが、ジェレミーはいや、といって首を振った。
「彼女にあげるからいいよ。ほら、彼女、月の女神のように美しいだろう?」
「……は?」
突然の彼の言葉に店主は一瞬虚をつかれたように目を丸くした。
それから視線をゆっくりとレオノーラに向ける。その瞬間、レオノーラの頬がぼうと赤くなるのがわかった。
月の女神。よく美しい娘に対して使われる形容詞の一つだということは、レオノーラも知っている。
美しい女神にあやかってのことなのだろうが、残念ながらレオノーラは今まで一度だってそんなことをいわれたことはなかった。
クリストフにだって。
明らかにお世辞だと分かる言葉に、レオノーラはジェレミーをにらみつける。
それが店主にもわかったのだろう。先ほどまでのいかつい仏頂面はどこへやら、ガハハと歯をむき出しにして笑い出したのだ。
「たしかに! この鳥は女神の元に戻りたいのかもしれないなぁ! よし、あんちゃん。これはウチのサービスだ」
そういって店主は鳥をジェレミーに渡した。
「え? いや、そういうつもりじゃ」
「いいんだよ! あんたの女神様によろしくつたえてくれ」
がははと笑う店主に、ジェレミーはまいったな、とつぶやきながら頭を掻く。
周囲はその騒ぎにつられてだろう。人がわさわさとやってくるのがわかった。人に紛れる前にと、ジェレミーはレオノーラを連れ店から離れた。
少し歩くと周囲の様子が徐々にかわっていった。
通りの入り口付近が先ほどのような小物を扱う店がメインだとしたら、奥に行くにつれ飲食店が多くなっていった。
飲食店といっても軽食を売るだけのところから、テーブルとイスを並べ飲食スペースを設けているような大掛かりな場所までと実に様々だった。
ジェレミーはレオノーラに何か食べるかと尋ねた。
レオノーラは数日前から食欲がなく、素直にそのことを告げた。
するとジェレミーはわずかに眉をあげ、そうかとだけ返した。
この反応はレオノーラをひどく安心させた。
クリストフとクララの一件以来、レオノーラへの周囲の反応はまさに「腫物を扱う」がごとくだった。
当たり前だ。レオノーラだって逆の立場であれば、婚約破棄をされた娘に対して、一体どのような言葉をかけられるだろう。慰めか。それとも同情だろか。はたまた相手への怒りだろうか。
どちらにしても、当の本人であるレオノーラはそれらの何一つ望んでなどいなかった。
アンリエッタの言葉でさえ、今のレオノーラにはつらいだけだった。
かといって、今、王都に帰ったらこれよりももっとひどいことが起こるだろうことは目に見えていた。とにかく放っておいてほしかった。
だからこそ、ジェレミーのその、何でもないような態度がうれしかったのだ。
ジェレミーはレオノーラがいらないといったにもかかわらず、軽食の屋台で奇妙な色をした飲み物を二つ買うと市のはずれにある古ぼけたベンチへとレオノーラを誘った。
すでに塗装は剥げ、ささくれ立ったベンチを見、レオノーラは戸惑った。
だが、当のジェレミーはさっさと座ってしまい買ったばかりの飲み物をぐいぐいと飲んでいる。
このまま戻ろうにも、ジェレミーがいなければレオノーラ一人ではどうすることもできない。
しぶしぶ椅子に座ると、ジェレミーがレオノーラを見ようともせず持っていた奇妙な色の飲み物をぐいと渡してきた。
「え? あの、私は」
「これはこのあたりに伝わるナントカっていう薬草の茶だそうですよ」
「……薬草?」
茶というにはあまりに色鮮やかすぎる。
深紅色の薬草などあるのだろうか。ふいに興味をそそられたレオノーラは、差し出された茶を受け取り一口すする。と、次の瞬間、彼女は目をむいた。
「酸っぱい!!」
つん、と口いっぱい広がる酸味。
普通の茶だと思っていたレオノーラは予想外すぎる味に思わず目を丸くする。と、隣でジェレミーがげらげらと笑いだしたのだ。
どうやらわかって渡したらしい。
むう、と口をとがらせるレオノーラを、ジェレミーはわらいながら見つめる。
「俺も初めて飲んだときは驚いたよ。なんだ、これはってね。だってそうだろう? 真っ赤で、その上酸っぱいときた。まさかこんな味だと思わないだろう」
ジェレミーは笑いながら、また一口とすすりうぇえと顔をしかめた。あまりにひどい票所に、レオノーラもつられるように笑いだした。
「やっぱり、まずいな」
「まずいってわかっているのに、なぜこれを?」
「昔さ、これがうまいって言われたんだよ。信じられないだろ?」
「これが?」
薬草茶としてすすめられならば、まだ話はわかる。
だが、普通の茶となると話は別だ。こんな酸っぱい茶なんてどこにもない。
「一体、誰がこれをおいしいといったの?」
くすくすとわらいながら問いかけるレオノーラに、ジェレミーは浮かべていた笑みをすっと消した。そして静かな声で答えたのだ。
「クリストフだよ」




