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二十四話

「……そうですね」


 ぽつりとつぶやいたレオノーラに、アンリエッタはぱっと顔を綻ばせ、立ち上がる。


「でしょ! そうと決まれば善は急げよ! お父様に連絡をしなくては!!」




 それからアンリエッタの行動は素早かった。

 彼女の父である辺境伯から、レオノーラの父に連絡が入ったのはなんと、その日の晩のことだった。

 それを聞いたレオノーラは、父は決して許さないだろうとおもっていた。

 なにしろ婚約破棄を言い出した矢先のことだからだ。

 ヤケになったと思われても仕方がない行動だった。だが、レオノーラの予想に反し、父はやけにあっさりと許可してくれた。


「え? 良いのですか?」


 驚いたのはレオノーラの方だ。

 ぽかんとする彼女に、父は何を言っているんだとばかりに肩眉をあげた。


「辺境伯殿のお誘いだろう。ならば断る道理がない」

「でも……」


 父親の言葉をいまいち信用できないでいる娘に、彼は大きくため息をついた。


「お前も、時間と距離を置けば頭が冷えるだろう」


 ああ、そういうことかとレオノーラは腑に落ちた。

 父親はレオノーラのあの夜の言葉を、勢い任せで言ったものだとおもっているらしい。

 本気ではない。クリストフのうわさを聞いて、ショックのあまり思わず言ってしまったのだと思っているようだった。

 だからこそ時間がたてば忘れる。なかったことにできると思っているようだった。

 現に先日まで父はひどく落ち込んでいるようだった。だが、今の父は悩み事などすべてなかったかのように晴れ晴れとしているではないか。

 父親に軽い失望を覚えながらも、レオノーラはシーズン半ばにしてアンリエッタの領地へと向かった。彼女の父親は辺境伯といわれるだけあって、領地は王都から遙か西にあった。馬車でどんなに急いでも十日。普通に考えれば気の長い旅になることだろう。道はでこぼこするし、決して楽な旅ではない。

 だが、国でも屈指の大貴族である辺境伯家の旅はその常識といともたやすく覆した。最新鋭の馬車はどんな悪路であってもクッションはふかふかで、お尻が痛くなることはない。さらに途中で立ち寄る宿屋は、どこも豪華なものだった。

 レオノーラも領地と王都を何度も行き来したことがある。

 レオノーラの家の領地はアンリエッタほど遠いわけではないが、それでもどんなに急いだところで三日はかかる。それだって真っ当な宿がある街道を選んでいるからだ。宿を選ばなければ、もっと早く着くだろう。

 そもそも真っ当な宿といっても、他と比べたら「まとも」なだけだ。

 アンリエッタの馬車がたどり着いたような豪奢な宿屋――いや、宿屋というよりもむしろお屋敷に近い――があるなんて知らなかった。

 すでに四つ目になる宿屋の貴賓室のふかふかのクッションを抱きしめながら、レオノーラがそうぽつりと漏らすと、アンリエッタはくすくすと笑った。


「それはね、父がここ一帯に投資をしているからよ」

「投資?」

「ええ」


 アンリエッタはうなずく。


「昔、このあたりは荒地でね。さっき通った道だって荒地のほうがずっとましだったのよ。宿もなかったしね」

「でも、東側のほうには街道がありますよね」


 その街道は遙か昔、この国ができたころに作られたものだ。古い石畳で、整備もまっとうに行われていないせいだろう。歩いていても、馬でも馬車でも、デコボコで乗り心地はとにかく最悪だった。

 それはアンリエッタも同じ考えだったようで、あきれたように目をぐるりと回した。


「あの道? あれを道というならばまだ獣道のほうがまだましよ。でも、もう今では古すぎて話にならないでしょ」

「でも……」


 あの道はただの道ではない。

 それをいいかけたレオノーラに、アンリエッタはふっと唇をゆがませる。


「ああ、聖なる乙女の凱旋ね」


 かつてこの国に乙女がいた。

 聖なる力を持つその乙女は古い石畳の街道を通って、その果てにあるこれまた古い遺跡の奥に巣食う魔物を封じた。

 偉業を達成した彼女は、再び王都へと戻った。

 来た道と同じ道を通って。

 それ以来、あの古い石畳の道は聖なる乙女の凱旋と呼ばれるようになった。

 ちなみにクララはその乙女の再来といわれているのだ。


「確かにあの道は偉大だと思うわ。でもね、レオノーラ。時代は変わっていくのよ。それなんいに、未だにあんな古い道を後生大事にした結果どう? 小さな荷一つ運ぶのだって苦労しているじゃない」

「確かにその通りね」


 レオノーラもあの道は王都からの行き帰りに通るが、ひどいものだ。


「どうして直さないのかしら? 直せばもっと便利になるし、みんなも使いやすいのに」

「レオノーラったら、忘れたの? あそこを管理しているのは神殿よ? あの、カビがはえたような古臭い考えの神殿が直すなんてそれこそ大反対でしょうよ。何しろ彼らは聖女だけがすべて。彼女だけを崇め奉っているんだから」


 アンリエッタは薄く笑う。

 神殿が祭っているのは月の女神だ。聖なる乙女は月の女神の娘といわれており、神殿はそのすべてを管理している。あの古い道も例外ではない。

 そんな彼らが乙女の歩いた道を壊して新しくするなんていうことを、するわけがないのだ。

 そもそも彼らは国とは全く別の約束事で動いている。

 国だって神殿に斟酌する必要などまるでないはずだが、実勢は違う。何しろ彼らは多くの信者を抱えている。

 実際、アンリエッタやレオノーラも聖月祭に参加もするし、神殿で祈りもささげる。

 そういった意味では神殿も国と同じぐらいの権力を持っていると言っても過言ではない。

 だが――アンリエッタは小さく息を吐く。


「確かにかつて、あの道は重要だったかもしれない。けれども、多くの民が不便だと言っているのに、昔がよかったからといって直さない理由にはならないわ」

「だから辺境伯様はここに道を作られたの?」


 首をかしげるレオノーラに、アンリエッタはちらりと笑う。


「もちろん、それだけの理由ではないわ」


 辺境伯としては自分の領地に便利な道が必要だったのだろう。

 特に領地が他国と面しているとなれば、交通の便が良ければ人の出入りも多くなる。人が多くなれば街だってできるし、発展だってする。

 街道沿いの街がこれほどまでに立派になったのは奇跡でもなんでもない。

 必然だったのだ。

 なるほどとうなずくレオノーラに、アンリエッタは苦笑いを浮かべる。


「まあ、おかげで神殿の方々には随分にらまれてしまったようだけど」

「……え? じゃあ、まさか、聖女様が城に上がられたのは……」

「おそらく我が家へのけん制でしょうね」


 神殿としては聖女にまつわる道と並行するように作られた新しい道が辺境伯の手によるもので、さらにそこが聖女の道よりもずっと発展したともなれば面白くもないだろう。

 さらにその娘が王族に嫁ぎ、堂々と城に入ってくるともなれば邪魔だってするだろう。

 彼らとしては神殿を軽視する辺境伯の権力を削げるだけ削ぎたいだろう。

 アンリエッタはあきれたようにため息を落とした。


「もともと神殿は隙あらば国に干渉しようとしてきた歴史があるわ。まあ、王太子殿下には他国の王族の姫君という揺るぎない血統の方が嫁ぐとなれば、もう一人に目を付けたとしても不思議ではないわね」

「だから、ヴィクトール様に……」


 聖女を近づけたのか。

 唖然とするレオノーラに、アンリエッタは申し訳なさそうな顔をした。


「……そのせで、クリストフが迷惑をかけてしまうことになってしまったわ。あなたにも本当に申し訳ないことをしたと思っているのよ」

「アンリエッタ様」


 クリストフはいわば、神殿の干渉を防ぐために盾となったのだろう。

 王家としても、聖女の存在は無視できるものではない。下手なことをすれば、逆に神殿が王家に干渉する口実をつくることにもなりかねない。

 かといって、ヴィクトールに近づけさせることは危険極まりない。

 そこでクリストフに白羽の矢がたったというわけだ。

 クリストフは立場上、ヴィクトールのそばにいてもおかしくはない。

 それに彼の家は神殿とは関わりは浅く、その上ヴィクトールの腹心だ。さらに好都合なことにクリストフには婚約者がいた。レオノーラだ。


「私?」


 目をしばたかせるレオノーラに、アンリエッタは頷く。


「そうよ」

「でも……、私なんか別に何も……」

「そんなことはないわ」


 アンリエッタは眉を吊り上げ、ぐいっとレオノーラに顔を近づける。


「レオノーラ、知っている? 神殿にとって一番大切なものは神よ。では、その神がもっとも大切にしているものは何だと思う?」

「え? 大切……?」


 レオノーラは首をかしげる。残念ながら、レオノーラは神殿についてあまり知らなかった。知っていることといえば、町に神殿があること。国とは別の組織であることと、そして


「なんだろう……。人々」

「まあ、それも大切よね。でもそれと同じぐらい大切なものよ」

「大切?」


 神様以上に大切なものがあるのだろうか。眉を顰めるレオノーラに、アンリエッタがふっと笑う。


「約束よ」

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