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十七話

 階段を下りていくとそこにいたのは派手な儀礼用の近衛騎士の衣装をまとったクリストフだった。

 驚くレオノーラに、彼は照れたように笑う。


「親がこれを着て行けとうるさくてね。似合わないだろう?」

「いえ……、とてもお似合いですわ」


 お世辞でもなんでもない。

 もともとクリストフは顔立ちが整っている。見栄えのする衣装にも全く負けていない。

 彼は日に日に素敵になる。それは外見だけではない。

 近衛騎士というのはただ家柄や地位があればいいという者ではない。護衛対象者が高位であればあるほど、一緒にいても見劣りのしない華やかさと、そして彼らをどのようなものからも守り通すだけの高い身体能力が求められる。

 そのためにクリストフがどれほど努力を積みかさねているか、レオノーラは誰よりも知っているつもりだった。

 だからこの時ばかりは素直におめでとうと告げた。

 それと同時にすぐに困ったような顔をしてしまった。


「どうしたの?」

「あ……、いえ、あの……」


 もっと早くに知っていたらお祝いを用意できたものを。

 申し訳なさそうにつぶやく彼女に、クリストフは驚いたような顔をした。それからすぐにふんわりと笑った。


「では、あとで一つだけお願いをしてもいいかな?」

「え? ええ、もちろん」


 一つだけ。その言葉に、レオノーラは目を伏せる。

 おそらくこれが最後の願いになるのだろう。

 そしてかなえられるのも自分しかいないことも。

 いつもは彼と一緒にのる馬車は楽しい時間であっという間だった。だが、今日は同じ道だというのにどこまでも遠く、長く感じたのだった。

王宮はすでに馬車が連なり、招待客だけではなく御者や王宮で働く従者たちでごった返していた。

 ようやく入った王宮は、夜中だとは思えないほどきらびやかな光とそしてあふれ出る音楽。そして人のざわめきに包まれていた。


「レオノーラ、ほら」

「え?」


 あっけにとられていたレオノーラに、クリストフが笑いながら腕を差し出す。

 慣れたように腕を絡め、歩き出す二人。いつもならば心が弾むところなのに、今日に限ってどんよりと沈んだままだ。

 それに気が付いたのだろう。クリストフが心配そうな顔をしてのぞき込んでいた。


「……すみません、あの」

「いや」


 クリストフは心配そうに眉を顰める。


「気分でも悪い?」

「え、ああ、いえ」


 慌ててかぶりを振る。


「人があまりに多くてびっくりしただけです」

「ああ、確かに」


 そういってクリストフはあたりを見回す。


「国王主催の聖月祭だからね」


 聖月祭とはこの国の宗教行事の一つだ。1年でもっとも美しく月が輝く夜に、明かりを消しその光を浴びることで無病息災を願うものというのがもともとの由来だ。

 だが、今はというと月の女神が結婚や出産の守護者でもあることもあってか、恋のイベントの一環となってしまっている。

 思いを寄せる相手に、月の花と呼ばれる花を差し出すのだ。

 受ける場合は女性なら髪にさし、男性ならば胸のポケットにさす。

 そのためかいつもは様々な花々で彩られている王宮も、今日は月の花一色だ。

 夜に咲くためか。甘い香りが濃厚に立ち込めている。

 そして月の催しのせいか、参加者の多くはきらきらと輝く糸が織り込まれたドレスを身にまとっている。

 それはレオノーラも同じだ。

 月明りのようなクリーム色のドレスには冷たい光を模した銀糸が織り込まれ、王宮の明かりに照らされきらきらと輝いている。

 流行りのデザインではないが、落ち着いた風合いが気に入っていた。


「似合っている。とても」


 クリストフの言葉に、レオノーラは頬を緩めありがとうと返そうとしたその時だ。

 レオノーラのドレスがかすむような華やかな空気があたりを包む。現れたのはあの時の少女。このゲームのクララだ。


「クリストフ様!」


 クララがぱっと駆け寄る。そして腕をつかもうとしたその時だ。

 傍らにレオノーラがいることなど微塵も思っていなかったのか。彼の腕に絡めたままのレオノーラの姿に思わず立ち止まった。


「……あ、あの」


 クララがあからさまに戸惑っているのが伝わってくる。

 おそらく彼とここで会えるのを楽しみにしていたに違いない。ゲームではクリストフがいるのはいつもヒロインの傍らであり、その他の人間がそばにいることなどほとんどなかったから。

 彼の存在はクララを守り、そして支える。

 きっとクララだってそうだ。彼を誰よりも信頼しているはず。

 それが見たこともない女が傍らにいるなんて、動揺しないはずがない。

 レオノーラは慌てて絡めた腕をほどいた。


「……レオノーラ?」


 驚いた様子を見せるクリストフに、レオノーラはにこりと微笑む。


「あちらで飲み物を取ってまいりますわ。失礼します」


 軽く頭を下げ、そのまま人込みの中へと進む。

 これほどの人ならばあっという間に自分の姿は消えてしまうことだろう。

 さらに言えば、今日は月の宴。あと少しで王宮はランタンの明かりを残し、ほとんどの光が消える。

 レオノーラはざわめく人をかき分け、ホールを後にする。

 ホールを出ると庭へと続く回廊がある。もちろんそこにだって人はいるが、ホールほどではない。

 途中にあったベンチに腰を下ろし、レオノーラは小さく息を吐く。

 この月の宴のイベントは自分だって大好きだった。

 ロマンチックだったし、好感度がすでに高くなっているせいか攻略対象のセリフは今までと比べ物にならないほど甘い。

 それは攻略対象でなかったクリストフだってそうだ。

 そう考えた瞬間、重いため息が口からこぼれる。

 膝の上で握りしめたこぶしを固くしながら、レオノーラはぎゅっと目をつむった。

 自分がこれほどまでに自分勝手だとは思わなかった。

 彼を幸せにできるのはクララだけ。それをわかっていながら、純粋に心から応援できない。彼が幸せになるのを見たいと思いながらも、本当にそれがかなうとなると見ることができない。

 これが自分勝手でなくてなんだろう。


「……どうかしましたか?」


 ふいに聞こえた声に、レオノーラはぱっと顔を上げる。

 と、そこにたのはクリストフの同僚で、前に町で襲われかけたときに一緒にいた、クリストフと同じ騎士の人だ。


「あ……あの……?」

「ああ、申し遅れました。私は王立騎士団第二隊副隊長をつとめております、ジェレミーと申します。つい最近まではクリストフ殿とは同じ隊にいたもので、先日も……って、ご存知ですよね」


 はは、と頭を掻く彼に、レオノーラはあ、と声をあげる。


「あ、あの、あの日は、キチンとお礼も言わず。申し訳ありません」

「いえいえ! あの日、オレは特になにもしてなかったって……あれ?」


 ジェレミーはあたりを見回す。


「えー、と。クリストフはどちらに?」

「あ……えと、あの……」


 口ごもるレオノーラにジェレミーは眉を顰める。

 それはそうだろう。パートナーと離れて一人、こんな場所にいるなんて。何かあったといわんばかりの態度ではないか。


「……何かあった?」

「えと、そういうことじゃないの。あの、ちょっと疲れてしまって。そう、ほら、あんなに人がいるでしょう?」


 そういってレオノーラはちらりとホールへと視線をやる。

 続々と人が集まり、声がここまで聞こえてくる。

 どうやらその答えは、彼にとってとても納得がいくものだったらしい。「そうだな」とつぶやき、それから小さくうなずくのが見えた。


「確かにな。オレもうんざりしてここに逃げてきたところ」

「まあ」


 いたずらっぽく笑いかける彼に、レオノーラはわずかに頬を緩める。


「そんなことをおっしゃって……、ジェレミー様のパートナーの方がお待ちなのでは? 私のことは気になさらずに」


 若い騎士は年ごろの娘にとっては憧れの存在だ。

 ジェレミーのような騎士は言い方は悪いがほどほどの家柄の者が多い。その上、彼はきさくな人柄のようにみえる。若い令嬢の人気は高そうに見えた。

 だからてっきり誰かと一緒だとばかり思っていたのに。

 ジェレミーは一瞬虚を突かれたような顔をして、それから大きなため息をついた。


「残念ながら、そんな色気のある状況じゃありませんよ」

「え? どうかなさったんですか?」


 首をかしげるレオノーラに、ジェレミーは苦笑いを浮かべる。


「騎士が全員、パーティに繰り出したら誰が護衛をするというのです? 今日の私は、寂しくホールの端で皆様をお守りする役目を仰せつかったというわけですよ」

「そうだったの……」


 いわれてみればその通りだ。

 騎士が全員パーティに出席したら誰が守るというのだ。

 もちろん警備のものや、兵士たちはいるが、パーティ会場に武装した警備が乗り込むなんて無粋な真似ができるわけがない。

 騎士や近衛はそれなりの恰好をするため、会場でも浮かないというわけだ。


「なら、なおさらこのようなところにいつまでもお引止めしては申し訳ないわ。私なら大丈夫ですから」

「えー、嫌ですよ」


 ジェレミーの言葉に、レオノーラはきょとんとする。え、と声を漏らすレオノーラに、ジェレミーはその琥珀色の美しい瞳をきらめかせる。


「せっかくの休憩時間、綺麗な方の隣にいたいじゃないですか。オレ、一度、レオノーラ様とお話してみたかったんですよ。なにしろ、レオノーラ様の隣にはいっつもあの、クリストフがまるで番犬のようにいますからねぇ」

「まあ」


 思わず笑ってしまったレオノーラに、ジェレミーもほほを緩める。


「ようやくいつもの君になった」

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