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十六話

「え……、あの……」


 先ほどまで饒舌だった近衛隊長の妹は、助けを求めるように視線をうろつかせる。だが、周囲を取り囲んでいた少女たちも同じように視線をそらすばかり。

 その態度に、アンリエッタは浮かべた笑みをさらに深くする。


「まあ、遠慮されることはないわ。ヴィクトール殿下の婚約者として、私には真実を知る義務がありますのよ」


 凜とした彼女の声に、少女たちはひゅっと息をのむ。

 当り前だ。先ほどまで無責任に盛り上がれたのも、すべて他人事だからだ。

 だが、目の前に当事者がいるとなれば話は別だ。

 そもそもこの国で王族以外に辺境伯と対等でいられる家がほかにあるだろうか。

 もともとアンリエッタの父、マルロー辺境伯ヴァレリアン・ヴィゴは華やかな王宮での催し物や、名誉などまるで興味がない人だった。彼は貴族の前に、一人の戦士であった。

 そんな彼が娘を王族の婚約者にする。

 彼を知る人ならば、とうてい信じられない出来事だった。

 だが、ふたを開けてみればなんてことはない。彼女を望んだのは王家のほうだった。

 国内でも有数の力を持つ家とのつながりを強くする。そのための婚約だった。

 それはこの国では周知の事実。

 それ故に、軽口とはいえ彼らの関係を揺さぶるようなことを口にしてしまった少女たちは、ひどく動揺した。

 そもそも婚約者であるアンリエッタがこの場にいるとは思っていなかったのだ。

 少女たちは、気まずそうに顔を見合わせこそこそと立ち去った。

 残されたのはレオノーラとアンリエッタの二人だけ。と、残されたレオノーラに、アンリエッタはにこりと笑みを向けた。


「気になさることはありませんわ、レオノーラ様」

「え?」


 驚いたように目を見開くレオノーラに、アンリエッタはあでやかな笑みを向けた。


「クリストフ様が誰よりも大事にされているのはレオノーラ様だたおひとりですわ」

「……いいえ」


 レオノーラは小さく首を振った。


「アンリエッタ様、それは違いますわ」


 レオノーラの言葉に、アンリエッタだけではなく周囲もぽかんとする。

 それはそうだろう。レオノーラの態度は、少女たちに噂を肯定するよううなものだったからだ。


「あなた、一体何を」


 真っ先に我に返ったアンリエッタが、険しい顔でレオノーラを見つめる。


「あれはただの噂。無責任なただの噂です。そのようなものに惑わされて、心にもないことを口にするものではありませんわ」

「いいえ、アンリエッタ様。別に惑わされたわけではありません。私の本心です」


 しずかに、だがきっぱりと言い放ったレオノーラは、その視線を周囲にいる少女たちへをすべらせた。


「皆さま、お騒がせして申し訳ありません」


 ゆるやかに頭を下げるレオノーラに、周囲は絶句する。

 はっきりとは口に出してないものの、彼女は言外に婚約が破棄されたことを暗に認めているようなものだ。

 先ほどまでの浮かれた空気は一変し、少女たちは黙り込む。

 婚約を破棄されることがどういうことか、この世界に生きるものならば嫌が応にもわかる。それなのにレオノーラは涙一つこぼさない。その気然とした姿に、なおさら周囲は同情した。

 それでも噂というものは無責任なものだ。

 センセーショナルなものならばなおさら広まるのは早い。

 なにしろ当の本人が認めただけではなく、相手のクリストフがそれを裏付けるような行動をとっているのだ。広まらないわけがない。


――……どうして


 レオノーラは自室の窓際からそっと夜空を見上げる。

 窓から見えるのは欠けた月。あと半月ほどでそれは丸くかわるだろう。

 そのかけた月を見つめていたレオノーラはそっと視線を手元へと落とした。

 青白い月の光が窓から差し込み、彼女の手の中にある一通の封筒を照らす。

 封蝋が施されたそれは、半月後に行われる夜会の招待状だ。


――どうして、クリストフ様は何もおっしゃらないのかしら……


 この噂をきっかけに、婚約が見直されるかもとレオノーラは思っていた。だが、クリストフからは何も言ってくることはなく、レオノーラは相変わらず婚約者のままだ。

 このままいけば、夜会のエスコートはクリストフが務めることになるだろう。

 レオノーラは小さく息を吐く。

 正直、行ってしまえばレオノーラは逃げ出したかった。

 あの夜会に行けばどうなるか、レオノーラは嫌というほど知っていたからだ。


――クリストフ様と彼女が一緒にいるところを見ることになるのね


 小さく息をはき、レオノーラはそっと目をつむった。

 



 個別ルート分岐直前の、好感度判定イベント。

 これは、乙女ゲームでは定番と言えるイベントだろう。

 基本、乙女ゲームは個別ルートに入るまでは股掛けが可能だ。

 もちろん、人によってゲームスタイルはことなり、1プレイ、一人までという一途なプレイヤーだっているだろう。

 しかし乙女ゲームは個別に入るまでは基本、同じルートをたどる。何周もしていくのは効率が悪いと思う人はある程度までは股掛けプレイをする。

 その際に、気を付けたいのが好感度判定イベントだ。

 こういったイベントはその後の個別ルートにつながるフラグになっていることが多い。そもそも好感度判定イベントは、その時一番好感度が高いキャラクターが相手になることが多い。複数股掛けをしたところで、イベントが起きるのはその中でもっとも好感度の高いキャラクターのみ。

 この夜会もそうだ。

 夜会用のドレスに身をつつみ、首元には白粉をこれでもかと叩き込まれながら、レオノーラはふと思い出す。

 この夜会で現段階、一番好感度の高い人がヒロインであるクララの相手役となる。

 その際のイベントもあり、そして恋のさや当てイベントも同時に発生する仕組みだ。

 その相手は好感度が次に高いもの。またはクリストフだ。

 というよりもその好感度もなかなか判定が微妙で、発生させるのが非常に面倒くさいものとなっている。

 そのためそのイベントはご褒美イベント。または鬼畜イベントとも呼ばれ、通常はクリストフがさや当ての相手として選ばれる。


――どちらにしても、クリストフ様とは今日でお別れなのね……


 夜会でそのようなことが起これば、婚約を続けることはほぼ不可能だ。

 それが分かっていたとしても、この夜会を欠席することはできない。

 ならばせめて、最後の思い出にと目いっぱいおしゃれをした。

 これは心が離れてしまったとしても、少しでもクリストフに良く思われたいのと、あともう一つ。どうせふられるならば、みっともない恰好でいたくないというちっぽけな矜持からだった。


――どうせふられるのに、綺麗も何もあったものじゃないわね


 ほろ苦く笑ったその時だ。侍従が彼の到着を告げた。

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