十五話
「レオノーラ様、奇妙なお話を聞きましたわ」
王都での祭りから数日後のこと。
いまだ王都での騒ぎや噂はあいかわらずやむ気配はない。そんな矢先、レオノーラは母に連れられ、とある屋敷で開かれた茶会に出かけた。
母の知り合いともあって、堅苦しいものではないものの参加者の顔ぶれを見ると、社交界でも名の知れた面々がそろっていた。
そのせいだろう。
出がけに母が妙な気合を入れていたのは。
一通り挨拶を終え、すこしばかり覚めてしまった茶をすすっていたその時だ。
遠巻きに見ていたレオノーラと同じ年の令嬢だろうか。数人、ふいに近づいてきて興味津々といった様子で話しかけてきたのだった。
「奇妙な……ってなんのことでしょう?」
首をかしげるレオノーラに、声をかけてきた娘とその周囲にいた人たちが一斉に顔を見合わせ、小さくため息を落とす。
「やっぱり」
「ご存知なかったのね……」
互いにささやきあう声は潜められたものだ。
だが、この近さではどれほど声を小さくしたところで聞こえないはずがない。
いや、むしろ、聞かせようとしているのか。
尋ねるでもなくただ黙って見つめるレオノーラに、娘の一人が意を決したように口を開いた。
「先日、私の伯母が町でクリストフ様をお見掛けしましたの」
「まあ、そうでしたの。お仕事の途中だったのかしら?」
予想通りの言葉に、レオノーラは驚くでもなくあえてとぼけて見せる。
すると、その反応に彼女たちは戸惑ったように視線を交わした。
「……いえ、お仕事の最中というわけではなさそうでしたわ」
「あら、そうでしたの?」
「ええ、伯母が言うにはいつもの騎士の服をお召しになっていらっしゃらなかったようですわ。それに、クリストフ様はおひとりではなかったようでして……」
「ひとりではない?」
「ええ」
最初は言いにくそうにしていた少女も、遠慮がなくなってきたのか。大きくうなずく。
「栗色の髪で青い瞳の女性ですわ。騎士の紋章をつけたブローチをつけていましたら、きっと騎士団の関係者だとおもいますわ」
その言葉を聞き、レオノーラは胸がかすかに軋みをあげる。
胸のブローチは、ゲームの中でクララが攻略対象者の好感度を一定以上あげたときに渡されるものだ。
王子の場合は王家に伝わるもの。魔導士ならば魔石と、攻略対象者ごとにそのデザインは異なる。
しかし、どのキャラの好感度もある一定以上に行かなかった場合に渡されるものこそ、クリストフが所属する騎士団のブローチだ。
ゲームにおいて、このイベントはまだ前半部分にもあたり、このイベントにおける好感度のノルマは難しいものではない。
お目当てのキャラクター寄りに選択肢を選んでいれば、ほぼクリアできるといった具合だ。つまり、騎士団のブローチをつけていたということは、わざとクリストフよりの選択肢をしたということになる。
ゲームの中で彼は攻略対象者でないため、どんなに彼よりの選択肢をしたところで彼と一緒になるエンディングは存在しない。
だが、この世界がそれと同じだとどうしていえるだろうか。
そう思いながらも無意識に視線を落とすレオノーラに、周囲の令嬢たちは慌てた。
好奇心が有り余るものの、元々世間ずれしない純粋な少女たちばかりだ。
クリストフの裏切りというものがどれほどレオノーラを傷つけるか。それが理解できないほど、捻くれてはいないのだろう。
「レオノーラ様……、きっと何かの間違いですわ」
「ええ、そうですとも」
少女の一人が大きく頷く。
「あの方を私、他の場所でも見ましたわ」
「まあ、どちらでご覧になりましたの?」
不思議そうに見つめる周囲に、少女はわずかに声をおとした。
「王宮ですわ」
「え?」
ぽかんとする周囲に、少女は慌てたように付け足す。
「本当ですわ! 私、兄が近衛にいますでしょう。この前のたまたま夜会で兄が友人たちにこぼしているのを、こっそり聞きましたの!」
それは立ち聞きというやつではないだろうか。
だが、少女たちは飛び込んできた新しい情報に一気に色めき立つ。
「そういえば、あなたのお兄様って近衛隊の副隊長ですわよね? 一体、なんておっしゃっていたの?」
近衛隊の副隊長という言葉に、レオノーラの脳裏で何かがカチリと音をたてる。
その瞬間、浮かび上がったのは明るい快活そうな男性だった。
おそらく攻略対象の一人だろう。
そしてこの少女は、その彼の妹だろう。明るい髪色に、同色の瞳。見ればどこかしら面影があった。
彼女は僅かに眉を寄せ、頬を膨らませた。
「彼女、最初は騎士団の方にいたらしいの。ほら、あの方、珍しい術を使えるでしょう。彼女の身を守るためってことだったのですけれども、第二王子のヴィクトール殿下が興味を持たれたらしく、直々に彼女に声をかけられたらしいわ。おかげで今は王宮にいるらしいのよ」
「まあ! ヴィクトール殿下が?」
ヴィクトールは現国王の二番目の子だ。
王太子が知的でやわらかなな印象を与えるのに対し、彼はその逆。大柄な体躯と相まって、彼の印象は厳つい。その彼がぽっと出の少女を見初めるなど、周囲の少女たちには想像ができなかった。
互いに視線を交わしあう少女たちを前に、近衛を兄にもつ彼女は小さくため息を落とした。
「そのせいと言ってはいけないのでしょうけれども、彼女一人のせいで余計に人手を割かなくてはならないらしいの。ほら、近衛は誰でもなれるわけではないでしょう? 元々人数はそれほど多いわけではないから、兄もずいぶん苦労しているらしいわ」
「まあ……、それは大変ね」
近衛は騎士の中でも精鋭部隊だ。
国の重鎮。特に王族を守るために選ばれた者たちだ。剣の腕もさることながら、王族のそばに近づけるために家柄まで厳密に精査される。
そのためなれるものは一握りしかいない。
たださえでも警護対象となる現王族は王に王妃、王太后に、王太子、ヴィクトールに第一王女と多い。その上、聖なる術の使い手の少女までとなれば人手が足りなくなるのは目に見えている。
「それにしてもどうして近衛なのかしら? 彼女は王族でないのだから、騎士でもよいのではないかしら?」
「そうでもないのよ」
近衛副隊長の妹が、訳知り顔で首を振る。
どうやらかなりの間、立ち聞きをしていたらしい。
まるで当事者のように少女はため息をついた。
「どうやらヴィクトール殿下がその方を大層気に入られているらしいのよ」
「まあ……」
ふいに背後から聞こえてきた声に、少女たちは一斉にふりかえる。と、そこにいたのはひとりの少女。レオノーラと同じ年ぐらいだろうか。
赤を基調とした衣装をまとった少女は、そのあでやかなドレスに負けない華やかな容姿をしていた。透き通るような白い肌。滑らかな曲線を描く頬を縁どるのは、緩やかに波打つ髪。すっと通った鼻梁に、ぱっちりとしたやや釣り気味の瞳。
美しい人形のよう、といっても過言ではない少女に、周囲ははっとしたように息をのんだ。
「……アンリエッタ様!」
周囲にいた少女の一人がぽつりとつぶやく。
アンリエッタ・ヴィゴ。それが彼女の名前だ。ヴィゴ家はこの国ではおそらく王家に次いで二番目に古い家柄だ。領地は隣国との境にあり、代々辺境伯と呼ばれている。
戦時下においては前線基地であった名残として、この国では王族以外唯一武力を保持することを許された家だ。
その家の一人娘であるアンリエッタには婚約者がいる。
その人は――するりと周囲に視線をすべらせながら、アンリエッタは形良いくちびるにわずかに笑みを浮かべる。
「今のお話、私にも聞かせていただけないかしら?」




