十四話
美しく華奢なヒロインはこれ以上ないほど青ざめ、小さく震えている。
その彼女がまるですがりつくかのようにクリストフに寄り添っている姿に、レオノーラの体が凍り付いた。
「……大丈夫ですか?」
警備の人間のひとりだろうか。
ふいにかけられた言葉に、レオノーラははっとする。そしてぎこちなく頷きかけ、のろのろと声がした方へと振り返った。
と、そこにいたのはやけに美しく整った容姿をした男性だった。
まとっている衣装は警備のものとは違う。神官だろうか。
どこかで見た事のある顔立ちにレオノーラはわずかに首を傾げ、目をしばたかせる。と、その時だ。
クリストフの叫ぶ声がレオノーラの思考を遮った。
「彼女をどこか安全な場所へ!」
「でも……!」
見れば彼は右腕にけがをしていた。おそらく先ほどの乱闘でけがをしたのだろう。
切り裂かれた服の下から、赤いものがじわじわと広がるのが見える。レオノーラが慌てて駆け寄ろうとした。と、その時だ。
「動かないで」
そう叫んだクララの手から、やわらかな光が放たれる。
陽光よりももっと柔らかい。ほのかなぬくもりすら感じられるような光が、クリストフの腕を包み込む。するとどうしたことだろうか。刃で切り裂かれ、血がしたたり落ちる腕の傷がみるみる消えていく。その瞬間、周囲から驚きともつかぬ歓声があがった。
「……女神様の力だ」
ぽつりと誰かがつぶやく声がする。
その言葉に、周囲が明らかに動揺したようにみえた。
だが、それは魔術が珍しいといった理由ではない。この世界では魔術というものは大なり小なり誰でも持っているものだからだ。
レオノーラだってそうだ。
かなり根性入れれば、ろうそくの明かりをともすぐらいのことはできる。
しかし、怪我や病を治す癒しとなれば話は別だ。
けがを治すというものはろうそくに火をともすといったような単純なものとはわけが違う。傷ついた個所を復元し、さらに癒すといった行為は、様々な要素が絡み合った結果できるものだ。それ故に、扱える人間はごくわずかしかいない。
実際、神官や魔術師でも癒しの術を使えるものは少ないときいたことがる。
それなのに、神官でも魔術師でもなさそうなごく普通の少女がまるで当たり前のように、こともなげにやったのだ。
一気に気配が険しくなるのがわかる
ざわりと揺れる気配の中、クリストフがレオノーラに近づいてきた。
「君はすぐに屋敷に戻るんだ」
「……え、でも、クリストフ様は」
尋ねるレオノーラに、クリストフは小さく笑う。
「ごめん。このまま仕事になりそうだ」
「……そう、ですよね」
ちらりと通りを見れば、先ほど逃げ出した男たちが警備のものたちにとらえられているのが見える。
警備のものも少なくはないが、それでも十分とはいえないだろう。
レオノーラは小さく息を吐きそうになるのを堪え、ぎこちなくほほ笑む。自分がこれ以上ここにいても、できることはない。
むしろここ居れば、クリストフとクララが出会うあの運命の場面を、自分の目でみることになるだけだ。それだけはどうしても耐えられなかった。
うなだれつつ、レオノーラは歩き出した。と、その時だ。
「ノーラ、大丈夫?」
「……ええ、……え?」
うなずきかけたノーラは、ふいに視線を上げる。
――ノーラってさ……
彼女のことをノーラと呼ぶ人は、レオノーラが知るだけでもたった一人しかいない。
だが、彼がここにいるわけがない。
ノーラという名前は別に特段珍しいわけでもない。だけど、と声のする方へと振り返ると、そこにいたのはあの美しい容姿の男だった。
「……あの?」
纏っているのはどうやら神官の衣装らしい。だが、どうやら階級はそれほど上の方ではないようだった。みならいの一つか二つ上だろうか。ならば、もしかしたらどこかの街の神官だろう。
神官は衣装が特徴的なため、誰も似たり寄ったりな印象を受ける。
だが、白い髪に黄金色の瞳。そこだけ見れば彼と同じだ。でも――レオノーラはじっとその神官姿の男を見つめる。
「……あの騎士団の方、ですか?」
「いや」
くすりと笑いながら、彼はかぶりをふった。
「では、神殿の神官様ですか?」
「ああ、そうだよ」
「まあ……、そうでしたか」
ああ、なるほどとレオノーラはうなずく。
見かけたと思ったのは、どうやら神殿で会ったのだろう。
大半の神官は一度配属が決まるとそう頻繁に移動はしないものだ。だが、神官になりたての時は別だ。
仕事に慣れるためにと様々な神殿をめぐると聞いたことがあった。
おそらく彼もそういったことで、王都の神殿にきたことがあったのだろう。
忘れてしまったことを詫びようとしたその時だ。彼はくすくすと笑いながら「タマゴ」といった。
その瞬間、レオノーラは、ああ! と叫んだ。
「あなた! もしかしてルウ!?」
「ようやく思い出した?」
ぽかんと口を開くレオノーラに、ルウはくすくすと笑う。
その笑い顔はあの時、神殿の中で話した少年の面影をわずかに残していた。
だが、それ以外はまるで違う。
あの時、ルウの背丈はレオノーラと同じぐらいだったのに、今ではどうだ。身長はレオノーラをはるかに越し、面差しはあの時と同じまま。整っているが、青年らしい精悍さもある。
かつて頬に泥汚れを残して、神はいないと言い放った少年とは思えないほどの成長ぶりだった。きっと神官の恰好でなかったならば、町中の女の子の視線をさらったことだろう。
まじまじと見つめるレオノーラに、ルウはわずかに身をかがめ、顔をのぞき込む。
「……本当にケガはない?」
「ええ、大丈夫だけど……、クリストフ様が」
レオノーラは振り返る。
すでに先ほどまでいた路地の周辺は、警備のものたちでごった返しその奥にいるであろうクリストフとクララの姿は見えない。
「……大丈夫かな」
「平気だろ。さっき警備の中に治癒師がいるのがみえた」
治癒師とは数少ない軍における癒しの術を使える者たちの総称だ。
貴重な人物故に、近衛にしかいないと思っていたが。その疑問に気が付いたのだろう、クリスは肩をすくめた。
「今日は祭りだからな。毎年決まって騒ぎが起きるからね、必ず治癒師を一人、配置してるんだよ。もちろん神官もこうして駆り出される」
「そうだったの」
ならばクリストフのあの傷も、そうひどいままというわけではないだろう。
ほっと息を吐きながら、レオノーラは先ほどの光景を思い出していた。
「ねえ、ルウ。さっきの見たよね」
「ん? さっきのって?」
「だから!」
レオノーラは少し興奮したように声をあげる。
「彼女、癒しの術つかっていたじゃない!」
「え? そうだっけ?」
さほど驚いていない様子のルウに、レオノーラはわずかに眉を顰める。
「ええ……、神殿だと癒しの術なんて珍しくないの?」
「いや、珍しいね」
ルウは肩をすくめる。
「けど、あれは癒しっていうよりも光の術だな。ただ、光の術を詠唱もなしにあんな風に発動できるってやつは確かに珍しい。だが、まったくゼロというわけじゃない」
「そうなの?」
レオノーラも少しは術が使えるが、それだって必死にやってランタンに明かりをともす程度のことだ。結局火打石でつけた方が早いぐらいだ。
それを彼女はこともなげにやってのけたのだ。それも誰もできない術を。
さすがはヒロイン。ゲームをやっているときはなんとも思わなかったが、いざ、目にするとそのすごさに言葉も出なかった。
圧倒的な能力の差。
だからこそクリストフは彼女にひかれていくのだろう。そう考えると一層、心が沈んだ。
黙ったままレオノーラが向かった先には、クリストフの家の馬車が待ち構えていた。
すでに騒ぎを聞きつけていたのだろう。落ち着かない様子を見せていた御者たちは、あらわれたレオノーラの姿にあきらかにほっとしたようだった。
「……あの、クリストフ様は」
駆け寄ってきた御者に、レオノーラは小さく頷く。
「仕事があるとおっしゃっていたわ。申し訳ないけれども、屋敷まで送ってもらってもいいかしら?」
「もちろんです」
うなずく御者を見、レオノーラは数歩うしろでたたずむルウを振り返った。
「ルウ、送ってくれてありがとう」
「いや。こちらこそあえてよかった」
ニッと笑ったルウに、レオノーラは首をかしげた。
「そういえばあれから何度か神殿に行ったのよ。でも、あなた、いなかったわね。ルウってば、一体、どこにいたの?」
「あれからすぐに別の場所に移ったんだ」
「別の場所?」
首をかしげるレオノーラに、ルウは笑う。
「実はさ、あの時、面倒くさいからもう全部やめちゃおうかなーっておもってたんだ」
「え?」
辞める? 神官をだろうか。ぽかんとするレオノーラに、ルウは肩をすくめる。
「まあ、そんなことを考えているときに君がやってきたんだけどね」
「私?」
首をかしげうレオノーラに、ルウはうなずく。
「そう。君に会ってさ、まあ、もうちょっとがんばろうかなーって思ってさ。それで、大聖堂にいったんだよ」
「そうなんだ……」
神殿と呼ばれる場所は区画ごとに置かれている。
それらはいわば末端組織だ。その末端組織をまとめ上げているのが大聖堂と呼ばれるところだ。
大聖堂は大陸の中央に位置する。
国境にある四方を山に囲まれた場所にあり、たどり着くのは非常に困難とされている。位置的にいえばこの国にあるのだが、実は神殿自体はこの国の組織ではない。
所謂、独立した組織といえばいいだろうか。
もちろん、ゲームの中でそのような説明などは全くない。
ヒロインとの恋愛には関係ないせいだろう。
ふうん、とつぶやきかけたレオノーラの耳に、かすかな馬の嘶きが聞こえた。
「レオノーラ様! お早くお乗りください」
御者の声に、レオノーラはうなずく。
「ルウ、また会える?」
「ああ、必ず」
うなずくルウに、レオノーラは小さくほほ笑む。
馬車に乗り込んだレオノーラが窓からのぞくと同時に、ゆっくりと動き出す。遠ざかる景色の中、軽く手をあげたままのルウの姿はすぐに雑踏に紛れ、レオノーラの視界から消えてしまった。
行くときには混雑していた道も、どうやらひと段落ついたのか馬車はすんなりと先を急ぐ。王都からレオノーラの屋敷までは離れているわけでもなく、馬車はしばらくするとすうと速度を落とした。
屋敷にたどり着くとすでに王都での騒ぎが届いていたのだろう。慌てたように執事と侍女頭が駆け寄ってきた。
「お嬢様!!」
「まあまあ!」
侍女頭がレオノーラの手を取る。
「お怪我はありまえせんか?」
「大丈夫よ。怪我ならば私よりもクリストフ様のほうが」
「まあ!!」
レオノーラを見、それからレオノーラを連れて帰った従者に鋭い視線を向けた。
「お嬢様を危険な目に合わせるなど……! すぐに旦那様に申し上げなければ」
「いいのよ」
慌てたように侍女頭の言葉を遮る。
「クリストフ様は怪我までなさって、私をかばってくださったわ。むしろ、私のほうがお礼を言わなくてはいけないわ」
「ですが……」
言いよどむ侍女に、レオノーラは笑みを浮かべる。
それからレオノーラは恐縮する従者を振り返った。
「クリストフ様によろしくお伝えください」
「……はい」
頭を下げると、転がるように飛び出していった。
祭りでの騒ぎはそのあとずいぶん噂になった。それは王都にならず者が出たというだけではない。
奇妙な噂がついたことで一気に広まったのだ。それは、クリストフといつも一緒に娘がいるというものだ。




