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十二話

 クリストフが近衛騎士になるとわかってからというものの、レオノーラは落ち着かない日々を過ごしていた。

 これで、クリストフがヒロインに出会う条件はすべてそろった。

 レオノーラとの婚約。

 近衛騎士所属。

 そして――レオノーラは小さく息を吐き、そして視線をきらきらとまばゆい光が照らす庭へと向ける。

 残る条件はあと一つ。ゲーム最初のイベントである王都での祭。

 その祭りの最中、ヒロインはクリストフと出会う。

 あのイベントこそ、レオノーラが最初に思い出したイベントだ。

 月の女神の祭事の前に行われる祭りで、王都中に様々市や催しものが行われる。

 収穫祭を兼ねた祭りとして市民にとっては年内を通して大きなイベントの一つだ。元は数代前の王の生誕祭だったらしいが、今ではそんなことを言い出すものはほとんどいない。 レオノーラも両親に連れられ、何度か行ったことがある。

 見たことのないような異国の珍しい装飾品や、華やかな大道芸人たち。

 少し前のレオノーラなら――記憶を取り戻す前ならば、きっと浮かれていたことだろう。だが、今の彼女はそんな気分になどこれっぽっちもなれなかった。

 当たり前だ。その祭りこそ、ヒロインとクリストフが出会うきっかけになるのだから。


「……レオノーラ、さっきから一体どうしたというの? あなた、さっきから手が止まっているじゃない」

「え?」


 クリストフからまたしても頼まれていた刺繍をしていたレオノーラは向かいに座る母の言葉に視線をあげる。


「……えと」

「それに、ため息」


 眉をひそめる母に、レオノーラはとっさに口をつぐむ。

 どうやら無意識にため息をついていたらしい。軽く目を伏せる娘に、母はやれやれというような顔をした。


「一体どうしたというの? あなた、このところおかしいわよ」

「……そうかな?」

「そうよ」


 母は不満げに鼻を鳴らす。


「クリストフ様が晴れて近衛になられたというのに、喜ぶどころか……。一体、何が不満だというの」

「不満なんて別に……」


 ゆるゆると首を振るレオノーラに、母はさらに顔をしかめる。


「あたな、まさかクリストフ様がいらっしゃらないのが不満だとか……」


 そう言いかけ、母はようやく合点がいったというような顔をした。


「なるほど、そういうわけね」

「お母さま?」


 一体何に納得したというのか。

 まるで見当がつかないでいるレオノーラに、母は頑是ない子をなだめるような表情を浮かべる。


「レオノーラ……。わがままをいってはだめよ。クリストフ様がお忙しいのは、王都で行われるお祭りのせいだと、先日手紙をもらったばかりでしょう?」

「……え、ええ」


 近衛といっても仕事はなにも王族の護衛やら、パレードばかりというわけではない。

 祭りの警護といった仕事も彼らの業務の一つだ。

 特に、今度の祭りは対外的には国王の先祖の霊を祀るといった意味合いもあるせいか他国からの賓客も多い。

 そのため、クリストフはここ最近とても忙しい。先日もそのことを詫びる手紙が届いたばかりだった。

 もちろん手紙だけではない。

 一緒に添えられていたのは趣味の良い小さな花束だ。

 レオノーラが渡したあの、奇妙な紋様が施された刺繍入りのハンカチとは雲泥の差だ。

 そのことを思い出し、わずかにうなだれるレオノーラに、母はまたしても小さくため息を落とした。


「近衛が忙しいのはわかっていたことでしょう? このようなことは日常茶飯事。今からこのようなことでいちいち気に病んでどうするのです」

「……別に、そういうつもりでは」


 レオノーラが口ごもる。と、その時だ。

 執事のローランドがサンルームの扉をノックした。


「失礼します。奥様、お嬢様、お手紙が届いております」

「まあ。どなたかしら?」


 差し出された手紙を受け取り、ペーパーナイフで封を切る。

 取り出した便箋を開き、視線を落とした母の顔がみるみる明るくなる。


「まあ! まあまあまあ!!」


 甲高い声をあげ、興奮する母を、レオノーラは仰天したように見つめる。


「お、お母さま?」

「レオノーラ!」

「は、はい!」


 頬をこわばらせたままのレオノーラに、母はゆっくりと唇に笑みを浮かび上がらせ、持っていた手紙を差し出した。


「クリストフ様からお手紙よ。王都の祭にご一緒しませんかですって」

「え!」


 レオノーラは差し出された手紙を受け取る。

 やわらかな色の便箋に書かれたインクの色。別に珍しい色でもないはずなのに、彼からのものだというだけで柔らかく見えてしまうのは、レオノーラのひいき目だろうか。

 静かに開いた便箋にかかれていたのは、会えないことへの詫び。そして


――王都の祭りの日、レオノーラ嬢をお誘いしたい


 というものだった。


「ほら、ごらんなさい! レオノーラ!」


 母のテンションは一気に高まる。


「近衛のお仕事でお忙しいのに、クリストフ様はレオノーラのことを忘れてはいなかったのよ! ああ、どうしましょう! 新しいドレスを用意するべきかしら。いえ、そうするべきね! ローランド!」


 母の呼び声に、ローランドはしずかに頷く。


「すぐに馬車を用意いたします」

「ええ、そうしてちょうだい! 行き先はマダム・マルラメにしてちょうだいね! 他のところではダメよ」

「承知いたしました」


 ローランドは静かに頷く。

 母のいうマダム・マルラメとは、最近人気の仕立て屋だ。

 店主のマルラメという女性は、元々老舗の仕立て屋で針子をしていた人だった。彼女が手掛けるドレスはというとどれも上品で、美しく、さらに目新しいデザインとの評判で、わざわざ彼女を指名する客も少なくはなかった。その彼女が独立したのが二年前。たったそれだけの年月で、今や王都では一二を争うほどの人気店だ。

 その彼女を母は以前の店から贔屓にしていたらしい。

 店にいくと、ふっくらとした感じのよい女性がレオノーラを迎えてくれた。

 興奮気味の母の言葉を聞きながら、彼女がいくつかのデザイン画を見せてくれた。そのどれもが派手過ぎず、かといって地味なわけでもない。

 おそらく着た人の美しさを存分に引き出してくれるだろうことは、デザイン画からでもよくわかった。

 そのドレスが出来上がったのは、祭りの前日のことだった。

 髪を結い上げ、おろしたてのドレスをまとったレオノーラを迎えに来たのは、近衛騎士の衣装をまとったクリストフだった。

 ドレスの力を借りたとはいえ、それなりになったと思っていたレオノーラだが、あらわれたクリストフの姿にはっと息をのんだ。

 見栄えのする近衛騎士の外套や飾りをまとったクリストフはまぶしいほどだった。

 思わず声を詰まらせ、立ち尽くすレオノーラに、クリストフが微笑みを浮かながら近づく。


「レオノーラ、ああ、それは新しいドレスだね?」

「え? ええ」


 レオノーラが頷くと、クリストフが目を細め、それから静かにゆっくりと見つめた。


「きれいだ。とてもよく似合っているよ」

「……あ、ありがとうございます」


 軽く目を伏せるレオノーラの手を、クリストフは取る。そして二人は、クリストフが用意していた馬車に乗り込んだ。

 ゆっくりと走り出した馬車の中で、レオノーラは改めて思い出していた。


 すべての始まりであるあのゲームのことを。

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