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十話

「は?」


 眉をひそめたルウを、レオノーラは頭の天辺からつま先までじろじろと眺める。

 薄汚れているが、おそらく髪の色は月の光と同じ。淡い金髪。瞳も髪と同じ黄金色で、鼻梁はすっと通り、ヘの字に引き結んだ唇の形はみごとなものだ。

 クリストフも整った容姿をしているが、ルウは比べるまでもない。

 例えるならば、礼拝堂にある月の女神によりそう太陽の神とでもいうべきだろうか。


「黙っていれば綺麗なのに」

「はあ?」


 少年は顔をしかめる。


「なんだよ! 失礼だな!」

「あら、ごめんなさいね。今のは聞かなかったことにして」

「お前な……」


 はあ、とため息をつくルウを横目に、レオノーラは先ほど座っていた椅子に戻りそして再び指を組む。

 それを見ていたのだろう。ふいにルウが口を開いた。


「……で、今日は何しにきたんだよ」

「何って、ここをどこだとおもっているの?」


 ふんと鼻をならすレオノーラに、ルウは唇をゆがめる。


「まさか祈りにきたとでも?」


 ルウの言葉は、どこかあざけりの色がにじんでいるような気がした。

 彼は確かに容姿は整っている。神の使いといわれてもおかしくないような美しさだが、言葉遣いは容姿とは正反対。今でこそ軽口をたたきあう関係ではあるが、出会った当初は互いの印象はそれこそ最悪だった。

 いや、未だってすべてを許せるわけではない。


「あら、祈るのがいけないこと?」


 くるりと振り返ったレオノーラの鋭い言葉に、一瞬目を見開いたルウは、すぐに肩をすくめて見せる。


「別に。悪いなんていってないだろ」

「じゃあ、何よ」

「ただ、祈ってどうすんのかなーって思っただけ」

「え?」


 仮にも神殿の人間が言うセリフだろうか。

 眉をひそめるレオノーラに、ルウは肩をすくめる。


「だってさ、神様なんて誰もみたことないんだぜ。その見たこともない神様とやらに祈ったところで何か変わると思うか? そもそもこの大陸にいったい何人の人間がいると思うのさ。そいつらの願いを全部聞いているほど、神様ってやつは暇なのかい? いや、聞いてくれるだけならまだマシだ。もしかしたら聞いてさえもいないかもしれない。そんな奴に祈る?」


 肩をすくめ薄笑いを浮かべるルウを、レオノーラはまじまじと見つめる。

 口の悪さは今にはじまったことではない。だが、今のルウの物言いは、ただ口が悪いというだけではなかった。

 思わず黙りこんでしまったレオノーラに、ルウはさらに唇をゆがめ、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「そんな、他人任せの願いなんて祈ろうがなにしようが同じだろ」

「確かに、その通りだわ」


 レオノーラはこくり、とうなずく。

 今までのレオノーラはどこまでも他人まかせだった。

 いや、今もそうだ。いろんな理由をつけては、レオノーラは決定的なことは何もしない。

 いや、しない、のではない。していない、のだ。

 この先、クリストフがヒロインに出会ったとしても自分の存在はどこまでも彼の枷にしかならないと分かっているのにもかかわらずだ。

 ならば、自分から動かなければなにもかわらない。

 彼が自分をあれほどまでに――レオラの葉を贈ってくれたように、自分だって彼のために何かしたいと思うならばなおさら、だ。

 静かに頷くレオノーラにルウは驚いたように目を丸くした。

 彼としては挑発的な言葉にレオノーラが噛みつくか、憤るかのどちらだとおもっていたのだろう。


「ええ、確かにその通りだわ。他人任せでいいわけがなかったのよ」

「……ノーラ?」

「ありがとう、ルウ! 目が覚めた心地よ。そうよ!」


 ぐっとこぶしを握りしめるレオノーラに、ルウは怪訝そうに眉をひそめた。


「お前……?」

「ああ、気にしないで。私は別に女神様にどうにかしてもらおうと思ってここに来たわけじゃないわ」

「え? じゃあ……、どうして、こんなところにひとりでいるんだよ」


 祈るわけではないならば、なぜここにいるのだろうか。

 ここは確かに神聖な場所だ。神に守られているという建前があるものの、年ごろの娘が一人でふらりとやってくるような場所ではない。

 首をかしげるルウに、レオノーラは肩をすくめた。


「決まっているじゃない。ここが静かな場所だからよ」


 レオノーラは何を当たり前のことを聞くのだというような顔をする。

 祈りの時間外ならば、執事が言うとおりここは考え事をするには持ってこいの場所だ。屋敷のように母の目を気にする必要もないし、なにより静かだ。

 そういうと、ルウはひどく驚いたような顔をした。


「え? それだけ?」

「そうよ、悪い?」


 レオノーラは肩をすくめる。


「もちろん神様が聞いてくれたらいいなとは思うけどね。でも、残念だけど今までだって、神様は私のお願いごとなんて一度も聞いてくれたことがなかったわ。きっと神様はお忙しいのね」


 前世でもそうだ。

 苦しい時の神頼みという言葉があったが、実際のところ苦しいときにいくら祈ったところで助けてくれた記憶はない。


「ノーラ……」


 今度はルウが絶句する番だった。目を丸くするルウを前に、レオノーラは心の中でしまったとつぶやく。

 確かにルウは神を疑うような発言はした。

 だが、そもそもこの世界はレオノーラの前世とはまるで世界が違う。常識が違う。

いくら神を疑うような発言をしたとはいえ、ルウは神に仕える者だ。そんな人に「神様なんてアテにしてない」など言っていい話ではなかった。

 しかし今更後悔したところで飛び出た言葉が戻るわけもない。

 落ち着かなさげなようすを見せるレオノーラに、ルウはしばらく沈黙したのちはじかれるように笑った。


「確かにそうだな」


 涙をにじませ笑うルウに、レオノーラはやや顔を引きつらせる。


「わ、笑いすぎじゃない?」

「だって、お前、面白いこと言うからさ……」


 それほど面白いことをいったつもりはなかったのだが。

 だが、ルウはよほど面白かったのだろう。浮かんだ涙を指先で拭いながら、長椅子においたままだったタマゴの入った箱を手に取る。

 藁でも敷いているのか。かさかさと乾いた何かがこすれる音が聞こえた。


「神殿まで来ておいて、必至に祈っているかと思いきやそんなことを考えているなんてな。女神さまもさぞあきれているだろうな」

「確かにその通りだわ。次からは、ここを使わせてもらうことへの感謝を込めて祈ることにするわ」


 至極真面目に答えるレオノーラに、ルウはまたしてもげらげらと笑う。

 一体、何がそんなに面白いのか。

 顔をしかめるレオノーラにルウはそうだとつぶやいた。


「ノーラ、今日はゆっくりしていけるんだろ? いいものがあるんだ。みせてやるよ」

「え!いいものって……」


 ルウはレオノーラにいろんなものを見せてくれた。

 神殿に古くからある挿絵がふんだんに描かれた本や街で見つけた舌が真っ赤になる飴玉、さらには指でこすると煙が出る奇妙な粉とか。

 昔からルウの見せてくれるそれらは、レオノーラの日常では決して触れることのない物だ。思わず前のめりになったレオノーラの視界の端に、ふっと何かがよぎった。振り返ると、戸口から従者が覗いているのが見えた。

 どうやら時間切れのようだ。


「……ルウ、ごめんなさい。すごく興味はあるんだけど……」

「ああ……」


 ルウもレオノーラの視線の先に気が付いたのか。姿を隠そうともしない従者たちに、顔をしかめた。


「しょうがないな」


 しょんぼりとうなだれるレオノーラの肩を、ルウはぽんと手を乗せた。


「また来るんだろ? そん時に見せてやるよ」

「本当?」


 まじまじと見つめるレオノーラに、ルウは大きく頷く。


「ああ、約束だ」


 差し出されたのは小指。レオノーラの前世では約束を交わすときのおまじないのようなものだ。レオノーラは指を絡ませ、そして小さく振った。


「約束よ」


 そういって、指が離れる。

 レオノーラは椅子から立ち上がり、従者の待つ戸口へと向かった。

 帰りの馬車に乗り込んだレオノーラは久しぶりに友達に会えたことで、かなり浮かれていた。それは周りにも伝わったのだろる。

 あまり無駄口のたたくことのない御者までもレオノーラに「何か良いことでもありましたか?」と聞いてきたぐらいだ。

 前世を思い出してから思うことは、レオノーラにはあまり友人というものがいない。

 周囲に人は大勢いるが、彼らはレオノーラの両親に雇われている者たちであり、どれほどレオノーラが好意をよせたところで友人にはなりえない。

 だからこそ、ルウはレオノーラにとっては唯一無二の存在だった。


――そうよ! こうなったらやるしかないんだわ! 


 膝の上でこぶしを握り締め、意気込むレオノーラを乗せた馬車はゆるゆると屋敷へと向かう。

 すっかり日が落ちた屋敷。

 あたりはいつもにのように静まり返っている――はずが、ふいに馬車がとまり、慌てたように御者が下りてきた。


「どうかしたの?」


 尋ねるレオノーラに、御者がおろおろと声をかけてきた。


「何やら屋敷が騒がしいようで……」

「……こんな時間に?」


 事前に来客の予定があるならば、執事のローランドが知らないわけがない。

 突然、誰かやってきたのだろうか。

 ぼんやりとそんなことを考えながら馬車を降り立ったその時だ。

 突然、屋敷の扉が開き、侍女が飛び出してきた。

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