8.吉岡悠馬
魔使君と委員長の戦闘があった翌日、僕はいつもより早く家を出ていた。
ある一点、気になる事があるからだ。
空き教室を後にしてすぐ、僕と魔使君は解散したのだが、その時校舎はボロボロの半壊状態なっていた。
一晩経った今、それがどうなっているのか。
「ハァ……ハァ……」
学校が近づくにつれ、はやる気持ちが前に出て、徐々に歩く速度も速くなっていく。
今では駆け足になっていた。
この角を曲がった先に――。
そこにあったのは、いつもと変わらない普通の校舎。
とても昨日半壊していたとは思えない、至って普通の校舎だった。
荷物を自分の席に投げ捨てて、僕は急いで階段を駆け上る。
四階に着いても、戦闘の跡は何一つ残ってはいなかった。
廊下に散乱したガラスの破片も、ひしゃげた窓枠も、校舎を貫通した穴もない。
見た目だけ取り繕っているだけかも知れない。
そう思って窓枠に触れてみたが、硬い感触が返ってくる。
穴があった場所に恐る恐る脚を乗せてみても落ちない。
幻覚などでは無い。
本当に、何事も無かったかのように元通りになっていた。
「随分と早いのね」
「……委員長」
僕が色々試していると、委員長に声をかけられた。
「……す、凄いね。あんなに激しい戦闘があったのに、全部元に戻ってるなんて」
窓枠を確かめるように触ったり、廊下のど真ん中で恐る恐る脚を伸ばしている姿を、おそらく見られた。
顔が赤くなっているのを感じながらも、少しでも悟られないよう平静を装う。
「貴方達が帰った後、魔使恵の『使い魔』を名乗る異形が現れたの。ソイツが校舎を一瞬で直していったわ」
この校舎を一瞬で直したのは、間違いなく魔術の力だろう。
昨日はその圧倒的な火力を目の当たりにしたが、一瞬で半壊した建物を修繕出来る柔軟性も持っているのか――⁉
「ねぇ」
魔術に感銘を受けている僕に、委員長が声をかける。
「吉岡くんは、どうしてアイツと……魔使恵と一緒にいたの?」
委員長が問う。
その真っ直ぐな目が、混じり気の無い眼差しが僕を貫く。
「なんで貴方はこの世界へ足を踏み入れてしまったの……? 分かってる⁉ 簡単に命が失われてしまう恐ろしい世界なのよ⁉ それなのに、それなのに何で……何で貴方は来てしまったの?」
たたみかけるように、委員長は僕に疑問をぶつける。
管理者として怪異の脅威から一般人を護ってきた彼女にとって、僕は護るべき内の一人にすぎない。
そんな僕が何故、魔術の世界に脚を踏み入れたのか、疑問に感じているようだ。
「……もしかして、魔使恵に脅された⁉」
「ううん、違うよ」
即座に否定する。
僕は、僕の意思でこの道を選んだのだから。
「……僕は『人の役に立つ存在』になりたいんだ」
「……え?」
「誰かに必要とされたい、誰かに僕を認めて貰いたい。――そうなれば、僕は吉岡悠馬の事を、生まれてきて良かったって思えるだろうから」
「……」
僕の答えに、委員長は何も言わなかった。
命の危機を訴えている委員長にとって、こうなりたいと夢を語る僕に言葉を失っているのだろう。
そう思っていたけれど。
「……どうして、魔術の世界に執着するの?」
少しして、委員長が口を開いた。
「……お願い、聞かせて。貴方のこと。今までの事を、その胸に秘めたものを、私に教えてくれないかしら」
「――……」
嬉しかった。
わからないと終わらせるのでは無く、歩み寄ってくれている。
知ろうとしてくれている。理解しようとしてくれているんだ。
それがたまらなく嬉しくて。
彼女なら、僕の苦しみを理解してくれる。そう、思ってしまった。
◇ ◇ ◇
小さい頃、僕は色んな人に憧れた。
スポーツ選手に警察官、消防士や教師に科学者。
物語に登場する勇者やヒーローにまで思いを馳せた時もあった。
彼らのようになりたくて。
彼らに少しでも近づきたいその一心で、僕は思いつく事を全てやった。
勉学に励んだ。
知識を蓄えた。
体を鍛えた。
人に優しく接した。
妥協したつもりも、手を抜いたつもりもなかった。
それでも、僕は前に進めなかった。進むことが出来なかった。
何も身につかなかった訳じゃ無い。
賢くもなれたし、体力もついた。視野も相応に広がった。
だがそれだけだった。
何をしても、どこを向いても、僕の前にあるのは虚空へと続く奈落だけ。
同じ志を持った仲間は、夢へ歩いて行けるのに、僕は一歩も進むことが出来ない。
夢へ続いている道なんて、どこを向いても、何をしても現れることは無かった。
拒絶されているようだった、否定されているようだった。
僕はいつの間にか、『生きてて良かったのか』と疑問に思い始めていた。
『あの人のようになりたい』という具体的な憧れは、いつしか『役に立つ存在になりたい』というあやふやなものへなっていた。
せめて、誰かに必要とされる何かになりたい。
自分で自分を生きてて良いと思えるようになりたい。
そんな些細で儚い、夢と呼べるか怪しいモノへと成り下がっていた。
何者にもなれず、進むことも許されない。
そんな絶望が、そんな諦念が僕の心を包みだした――……その時だった。
――彼と出逢った。
怪異という超常と遭遇した。
死を、生を感じた。
虚無に閉ざされた視界に光が差し、虚空が広がっていた地面に道が出来た。
あの日あの時あの出逢いが、僕の人生を変えた。
……いや、あの瞬間に僕の人生が始まったんだ。
あぁ、まだ、僕はまだ何者かになれるかも知れないんだって。
僕は、生きたいって願えるんだって。
希望を見たんだ。
だからこの世界に居続けたい。
そのために魔使君を利用する。
この世界に存在している彼の側にいることで、僕もこの世界で生きていられる。
彼が何者かはどうでもいい。
僕はただ、光を失いたくないんだ――……。
◇ ◇ ◇
気がつくと僕は、今まで僕を苦しめていた絶望と孤独を、そして魔使君との出逢いを語っていた。
「その気持ち、少しは分かるわ……。どこへも行けず、手を伸ばしても何も掴めないというのは、とても寂しくて……虚しいもの」
黙って全て聞いた委員長は、ゆっくりと口を開く。
その顔はやや曇っていて、複雑な表情を浮かべていた。
「……だとしても。死に向かって行く貴方を、見過ごすわけにはいかない」
委員長は僕の苦しみを分かってくれた。
……それでも、委員長の意見は変わらないらしい。
「……そっか」
死んで取り返しの付かない事態になる前に、引き留めようとしている。
その目に灯った光は、彼女の意思が固い事を物語っている。
だが僕も同じように、意見を変えるつもりは無い。
これ以上の話し合いは平行線になるだけだ。
「僕の意見も変わらない。魔使君の側にいる。この世界で生きていくよ」
「――でも!」
「委員長には関係ないだろ!」
違う、そんなことを言いたいんじゃない。
心配してくれてありがとう。でも引き返すつもりはない、と。
そう言わなければならないのに、溢れる想いが口をついて出てしまう。
感情のままに、声を荒げてしまう。
「やっと……やっとなんだ。僕の前にやっと道が現れたんだ! この機を逃したくない見過ごせない引き返したくはない!」
ダメだ、止まらない。止められない。
感情の濁流を、言葉の奔流を、止める事が出来ない。
「……引き返すわけにはいかない。この先に何が待ち受けていようとも、僕はこの道を進んでいく。この世界で生きてみせるから」
そう吐き捨てる。
……これはただの八つ当たりだ。
委員長は何も悪くはないのに、ただ彼女を悪者にして、全ての捌け口にしてしまった。
その事実にいたたまれなくて、彼女の顔を見ることが出来なくて。ただこの場から離れたくて。
僕は逃げ出した。
◇ ◇ ◇
「……どうせ、全部聞いてたんでしょ?」
吉岡悠馬がいなくなり、残された加茂茜は、誰もいない背後へ向けて声をかける。
「――いやいや、今来たばかりだよ」
朝日に照らされ生まれた影が揺らめき、中から魔使恵がその姿を現した。
「何やら四階で話している様だったから様子を見に来たんだが……何かあったのかい?」
ニヤニヤとうざったい笑みを浮かべてはいるが、どうやら嘘ではないようだ。
ハァ、と大きなため息を吐き、加茂茜は話す。
「――彼は、吉岡くんは一体何者なの?」
「……おかしな事を聞く。彼はただの非力な一般人じゃないか」
「そうじゃなくて!」
口にしたくない。
この事を口にして、事実として認めたくないのだ。
チラリと魔使恵を見る。
きっと、この男も気づいているだろう。そして残酷なこいつは、あっさりと事実と認め、躊躇いも無しに肯定するのだろう。
「……彼の、吉岡くんの心にあるのは虚無感じゃない」
そう、彼の心を支配しているのは虚無感じゃない。
それは――。
「彼の心にあるのは破滅願望……そうよね?」
「あぁ、そうだ。彼は死を、破滅を望んでいる」
死が常に隣にある状況に歓喜し、得体の知れない存在を利用しようと考える。
ソレが為せるのは警戒心がないとか、豪胆さが理由ではない。
破滅を望んでいるだからだ。
彼は心の奥底で、死を望んでいる。
だからこそ死が身近な環境を良しとし、そんな世界を望んでいた。
「でも彼は生きたいって願ったんでしょ⁉ 貴方にそう言ったって、吉岡くんが言ってたわよ⁉」
矛盾している。
死にたいと願っているのに、生きたいと他者に乞う。
同じ人間が願っているとは思えない。矛盾しているのだ。
「『死にたい』という願いも、『生きたい』という願いも、どちらも紛れもなく吉岡悠馬の本心だとも。と言っても、前者は彼自身自覚していないだろうがね。それほど根底にある願いなのだろう」
「それが矛盾してるって言ってるの! まるで、まるで二人いるみたい――」
「加茂茜」
加茂茜の言葉を、魔使は遮る。
「彼は何なのか。どちらが彼の本心か。……違うだろう? 彼には二つの望みがある。ならば君は、どちらの望みを叶えたい?」
「……わたしは――」
彼女の返答は、朝礼の開始を告げる予鈴によってかき消されてしまった。




