31.南国
「……行ってきます」
時刻は午前一時を過ぎた頃。
周りの家の明かりは消え、誰も居なくなったかのように感じるほど静かな夜。
七不思議討伐のため、僕はそっと家を抜け出した。
こんな夜中に出歩いているのは僕だけだ。
コツ、コツ、と僕の靴音だけが微かに木霊する。
反響する靴音を聞きながら、僕の頭は七不思議弐番の事でいっぱいだった。
「弐番の本質、か……」
数時間前、放課後の空き教室。加茂忠行の遺した巻物を発見し読み解いた後、魔使君が零した言葉。
『君なら弐番の本質が分かると思ったんだが、そうか。分からないか』
何故人を襲い、何故人を喰らうのか。
そう疑問を口にした後に発された彼の落胆。
それはつまり、この問いに対する答えこそが弐番の本質。
あれからずっと考えていた。
抑圧された環境にいたが故の反動――。
満足に食事ができないほど貧しかった――。
人を食うことを強制された――。
それらしい理由はいくつか考え付いた。
ただ、解せないのは、僕が理解できないと分かった時の魔使君の落胆。
彼は、僕も本質を理解できると考えていたことだ。
……何故僕には本質を理解出来ると思ったのか?
勿論、僕にはカニバリズムの趣味は無いし、人肉を食べようという気持ちすら湧いてこない。
もし仮に、僕が弐番と同じ立場だったとしても『人を食べる』なんて選択はしない。いや、選択肢にすら無いだろう。
僕は彼にそう思われているんだろう……?
「こんばんは、吉岡くん。ボーッとしてたらぶつかっちゃうよ」
「え・・・・・・あ、委員長」
声をかけられてようやく気がついたが、いつの間にか学校の裏門に着いていたようだ。
委員長が声をかけてくれなかったら、きっと気づかずにしばらく歩き続けていただろう。
そんな委員長の服装は、前回と同じ動きやすいスポーツウェア。
しかし髪型が違う。
前回はポニーテールにしていたが、今回の委員長は長い髪をお団子に纏めている。
最近気がついたが、普段ヘアアレンジをしていない委員長のこう言う姿は新鮮だ。
ポニーテールも似合っていたが、今回のお団子も凄く似合っている。
「どうしたの? 凄い考え込んで」
「え⁉ ・・・・・・いや何も考えてないよ」
「そんなわけないでしょ⁉ ブツブツ言いながら通り過ぎようとしてたのに」
あ、何だ。そっちのことか。
「・・・・・・弐番のことを、ね」
「やっぱりその事よね」
どうやら委員長も弐番について考えていたらしい。
けれども結論は僕と同じ。わからない。
何故弐番は人を襲い、何故人を喰らうのか。
僕達は、回答を出せないでいた。
腑に落ちないのはやはり、倫理観や道徳。
人が人を喰う。その禁忌に足を踏み出すほどの何かがあるはずなのに、その『何か』が見えてこない。
「魔使には何が視えているのかしら」
「おや、また私が最後か。まだ丑三つ時の三十分前だというのに、君達は集合が早いね」
良いことだ、と少し笑った後、僕達を数秒見つめた魔使君は感嘆を漏らした。
「あれからずっと考えていたのか? 殊勝だな。だがもう忘れたまえ」
「……何ですって?」
「その一歩で止ってしまうなら、もう無理だ。理由を知ったとしても、理解までは至れない。なら無駄だ。意味がない。だからもう忘れるべきだ」
その言葉はどこまでも冷酷だった。けれど悪意などは一切感じない。ただ事実を述べるように、淡々と彼は告げた。
「それじゃ、行こうか」
言いたいことだけを言って、魔使君は一人でさっさと行ってしまった。
「・・・・・・何それ。ほんっと自分勝手」
委員長はため息交じりに吐き捨てると、すぐさまその後に続く。
それから少しして、置いて行かれないよう僕も裏門を飛び越えた。
今回の目的、弐番の結界があるのは『中央階段』。
全学年の教室がある第一校舎にあり、生徒教師問わず、多くの人間が毎日利用している。
・・・・・・まさか、怪異を封印している結界がある場所だったなんてね。
校舎内に侵入した僕達は、そのまま階段を上り、四階へやってきた。
「今回は確か、手順踏まないといけないんだよね」
「えぇ、少しめんどくさいけど」
僕の言葉に、踊り場にいる委員長が同意する。
過去の記録を読み解いてわかったのは、弐番の結界は特別だ、と言うこと。
『三階踊り場に発生する結界に入るには、まず四階に上がり、そこから踊り場の結界に向けて落下しなければならない』。
幾つもの記録に、そう書かれていた。
「壱番はそのまま入れたのに、なんで弐番はこんな手順が?」
「恐らく丑三つ時と同じだろう」
隣の魔使君が見解を述べる。
「先の音楽室と違い、階段は多くの人間が利用する。被害を抑えるために、他よりも隔たりを強固にしたのだろう。その境界線を越えるため、死を連想させる『四』と『十三の階段』を手順として組み込んだんだろうね」
四。死を連想させるという数字。
十三の階段。絞首台に上る階段の段数と同じとして不吉とされている数字。
どちらも丑三つ時のように死や彼岸と結びつきがある。
死を纏う事で、彼岸に近づいた存在へなる。
そうすることでようやく、弐番が封じられている結界へ足を踏み入れることが出来る、という訳だ。
「なるほどね……」
「さてと。二人とも、そろそろ時間よ」
彼の見解に納得すると同時に、踊り場で確認を行っていた委員長が四階に上がってきた。
「役割は前回と変わらない。戦闘は魔使、核探し及び破壊は私と吉岡くんで行う」
――空気が一変する。
ケタケタとナニカが嗤う声が、廊下中に木霊する。
階下から吹く風が、僕の首に不快に纏わりつく。
暗い夜はより深く、より冥く校舎を塗りつぶす。
午前二時。丑三つ時。
「――『我が血に応じ、その門を開き給へ』」
その言葉に呼応するように、空間に波紋が広がっていく。
やがて踊り場は光を失ったかのように黒く染まり、中からぼんやりと黒い球体、弍番が封じ込められている結界が浮かび上がってきた。
と同時に、結界がドクン、と脈動した。
前にはなかった鼓動。
違和感を覚えるよりも早く。
結界の表面が歪み、黒い手が溢れ出る。
まるで氾濫した濁流のように溢れ出た無数の黒い手は、勢いのまま僕を呑み込んだ。
腕を、足を、胴を、首を。
生気を一切感じない手が僕を掴む。
「――っ!」
抵抗できない。
引き摺り込まれる。
僕に纏わり付く手は、がっしりと絡みつき離れない。
「吉岡くん!?」
委員長が伸ばす手に、応えることは出来ない。
次第に視界も、音も、光さえも、塗りつぶされていくかのように消えていく。
溺れるような息苦しさを抱えたまま、やがて僕は意識を失った――・・・・・・。
◇ ◇ ◇
「――……ん」
ジリジリと熱されるような暑さに目を覚ます。
穏やかに風で揺れるヤシの葉。その隙間から覗く、雲一つない青空に、灼熱の太陽が浮かんでいる。
起き上がると、目の前にはどこまでも続く青い海が広がっていた。
「あ、起きた。良かった」
横を向くと、ヤシの木にもたれながら木陰で涼む委員長がいた。
「気絶してたけど、大丈夫? 何が起きたか覚えてる?」
「えぇと、確か……黒い手に纏わり付いて、それで……」
「吉岡くんが引き摺り込まれた後、私たちもすぐに結界に入ったの」
結界に入ったまでは良かったが、どうやらスポーン位置が空中だったそう。
魔術の扱いに長けている委員長と魔使君はともかく、僕は空中で気を失っていた。
落ちていく僕をすぐさま回収し、近くの砂浜に寝かせてくれていたらしい。
やっぱりここは結界内……怪異が創り出した領域で間違いないようだ。
まるで南国。壱番の豪華絢爛な街とは随分違う。
封じられているとは言え、怪異達は結界内を侵蝕し、自らの領域を形成していると委員長は以前言っていた。
・・・・・・まさかここまで違うなんて、思わなかった。
「……そういえば魔使君は?」
周りを見渡しても、白い砂浜だけ。
どこにも人影は見当たらない。
「あぁ、あいつには探索に――」
「ん、目覚めたか」
噂をすればなんとやら。
委員長の言葉を遮るように、魔使君が山の裏手から現れた。
「この島全体を一度周ってきた」
そう言いながら魔使君は、かけていたサングラスを木の棒へと変化させ、砂浜に簡単な絵を描き出した。
「この領域は非常にシンプルな造りだった。飛樽のとは大違いだ」
砂浜に、この領域の略図が描かれた。
どうやらこの領域にある島は、今僕達がいるこの島だけ。
周りを、何処までも広がる海に囲まれている。
そしてこの島には、建物はおろか、人影すら見当たらない。ただ砂浜が広がっているだけ。
しかし。
「この島の中心には山がある」
そう、この島には山がある。
標高は・・・・・・百メートルくらいかな。
まるで超高層ビルのようにそびえ立つ山が、この島の中心にある。
階段のように段々になっていて、登ることは出来そうだ。
「十中八九、頂上に何かあるわね……。もう登ったの?」
「いや。何かあるのは分かりきってるから、一度戻ってきた」
当たり前だけど、下からじゃ頂上に何があるかは全く見えない。
それにしても、何もない島に唯一ある山。
こんなの僕でも分かる。
「……どう考えても罠、だよね?」
「罠でしょ」
「罠だろうね」
珍しく三人の意見が揃う。
そりゃあ、唯一行ける場所に何も無いわけがない。
恐らく七不思議弐番もそこにいるだろう。
「バカ正直にこのまま行くのは論外として……魔使、空から偵察できる?」
「あぁ。でき――」
魔使君は、途中で言葉を止めた。
その目はどこか遠く――穏やかな海を映している。
「・・・・・・魔使?」
「――来る」
直後、領域全体が大きく揺れた。
穏やかな海は荒れ、雲一つなかった青空を暗雲が埋め尽くしていく。
響き渡る海鳴りは、体の芯を震わせるほど重く、深い。
「――っ!」
荒れる波間に、ぼんやりと黒い影が浮かび上がった。
ゆっくりと。まるで首長竜が身を起こすように、ソレは姿を現す――。
海中から姿を現したのは、巨大な黒い腕だった。
ふたつ、みっつ・・・・・・。後を追うように、黒い腕は次々と海中から浮かび上がってくる。
ゆらゆらと海藻のように揺らめき、それらの手のひらに、雷が走るように亀裂が入る。
食い破るように亀裂は広がり、そして――。
こじ開けるように、ギョロリと赤い眼が見開かれた。
海を、空を、島を。赤い眼はギョロギョロと、領域内にある物全てを見回し――・・・・・・。
やがて、獲物を見つけたかのように。
僕達に焦点を合わせた。




