29.勘違い
GWが終わり、今日は登校日。
いつも通り、少し早い時間に学校に着いたのだが……。
「……はぁ」
教室のドアに手をかけながら、僕は大きくため息を吐いた。
億劫だ。
再度ため息を吐いた時、ガラッと教室のドアが開いた。
開いたドアの先、そこに居たのは魔使君だった。
僕が今一番会いたくない、気まずい相手。
「何で教室の前で突っ立って――……どうしたんだい、そんな暗い顔して」
彼はフッと顔を綻ばせる。
ずっと扉の前で突っ立っているわけにもいかないので、魔使君に促されるまま教室へ入った。
「学生にとって、休み明けの学校ほど憂鬱なものはないだろうね」
よいしょと自分の席に座りながら、魔使君はそう言った。
肘を付けながら、冗談を言うかのような口調。
「そんなに暗い顔をして、教室の前で突っ立ってたところを見るに、随分と足取りも重そうだ。余程楽しい休みを――」
「ううん、違う」
連休明けの学校が嫌なんじゃない。
「僕は、答えを見つけられなかったんだ。何者なのかという、君からの、問いに……」
『吉岡悠馬。君は一体何なんだ?』
GWに入る前、魔使君から投げかけられた問い。
体内に流れる魔力すら認識出来ない現代人であるはずなのに、何故か魔術を扱える吉岡悠馬は一体何者なのかという問い。
僕はこの問いに、答えを出すことが出来なかった。
その状態で魔使君に会うのが気まずくて、そのせいで気分が落ち込んでいたのだ。
「あぁ、なるほどね……」
「ごめん……何日も時間はあったのに、答えを、出せなかった……」
「何故君は、それ程までに急いている?」
「……え?」
目を合わせることが出来ず無意識に逸らしていたが、魔使君のその言葉で顔を上げた。
彼の目は、僕を見据えている。
「私は特に期限を設けたつもりはないんだが……何故それ程までに急ぐのかな」
純粋な問い。そこに悪意や真意など一切ない。ただわからないから、疑問に思ったから聞いている問い。
真っ直ぐに見据える目が、僕にそう訴える。
何故なのか。
確かに僕は、答えを求めていた。
それは僕自身、自分が何者なのかわからなくなっていたから。
それが怖かった。それが気持ち悪かった。
「え、……っと」
だが、言葉が続かない。詰まる。
自身の内に巣食うこのモヤモヤを言語化できない。
ただ怖いだけじゃない。ただ気持ち悪いだけじゃない。
他にも理由がある。けど、それが何かわからない。
「不安かい?」
「不安、は少し違う……かも」
「……なら怖い?」
「怖いは少しある……けど」
彼との問答をしていく内に、少し自分の気持ちを整理出来た。
ただ怖いだけじゃない。自分自身が何者かわからないから怖い、だけじゃない。
「ふむ・・・・・・なら、変化が怖いのか? 例えば、今の居場所がなくなるのが怖いとか」
「――・・・・・・」
図星をつかれたような、光が差し込むような、そんなスッキリした気持ち。
そうか、僕は、居場所がなくなるのが怖いんだ。
自分自身ですら何者かがわからない。
魔使君や委員長が、そんな僕を気味悪がって離れていかないとも限らない。
そうなった時、僕は彼らを引き留めることは出来ない。
何処にも行けない、何者にもなれなかったあの時と同じ状況。また一人になってしまう。
それが怖かったんだ。
だから自分でも納得できる理由が欲しかった。
「・・・・・・当たりのようだね」
僕の顔を覗き込んで、魔使君が微笑む。
その顔はただ特定できた、クイズに正解できたような喜び。
それから。
「君は、どうやら勘違いをしているようだね」
「――え?」
彼の目は、また僕を見据え始める。
その目は真っ直ぐで、これから語られる事が本心であることを先に告げている。
「私は、君をそんな簡単に手放しはしないさ」
加茂茜はどうかは知らんがね、と笑いながら続ける。
「君のその眼は、私には見えない光を映す。私では得られない情報を得ている。君がその光を失わない限り、私は君を手放さない。・・・・・・あの時のあの言葉は、取り繕ったでまかせではないのだろう?」
魔使君の言うあの時。僕の全てが始まった運命の日。
役に立つと宣言した僕に足して出したテスト、僕を襲った怪異がどう映ったかという問い。
不可解、恐怖、絶望、光、希望、期待。
それが僕の出した答えであり、僕が見た全て。
そこに嘘偽りなんて一切ない。あるはずがない!
「なら心配いらないだろう? あの言葉こそが本心だと言うのなら、君はただ、本心を、感じたままに言うだけで良い」
もう僕は、魔使君の目を見れている。彼と目線を合わせられている。
「・・・・・・まだ、答えを出せなくて焦っているかな?」
「――ううん、ううん! もう、大丈夫だよ!」
少し滲む涙を拭いながら、力一杯頷いた。
「でもいつかは出すよ。どれだけ時間がかかっても、僕が納得できる答えを」
「その日が来るのを楽しみに待っているよ」
魔使君はニコリと笑った。
僕を落ち着かせるための笑みじゃない。心から安心したかのような笑顔。
彼は僕を置いていったりはしない。そう確信するには十分な笑顔だった。
「さ、暗い話題はこの位で。せっかくの休み明けだ。その話をしようじゃないか。吉岡君。君、少し肌が焼けたか? この休みの間どこか遠出したのかな?」
ニコニコで尋ねてくる彼は、少し幼く感じる。長い休みの余韻を楽しむような、そんな幼さ。
「僕はね、おじいちゃんの家に遊びに行ったんだ。田舎に引っ越しててさ、最寄り駅からすっごく歩いてさ。まだ夏じゃないのに日差しがきつくて――」
山の麓にある家で食べたスイカの味。聞こえてくる川のせせらぎ。どこか懐かしさを感じる田舎だったこと。
僕の話を、魔使君は相槌を交え、時に笑いながら聞いてくれた。
「魔使君も休みの間何かしてたの?」
「ん、私か? 私はもっぱら研究に時間を費やしていたね。何しろ良い検体が手に入ったから――」
「おーす! おは&おひさ~吉岡!」
魔使君の言葉を遮るような元気な声で阿形君が教室に入ってきた。
「おはよう阿形君、元気だね」
「・・・・・・さて。では私は少し席を外すよ」
「え、あ・・・・・・」
魔使君は席を立ち、早々に教室から出て行った。
あまりに急だったので、何処に行くのか聞けなかった。
「ん? どうした吉岡。なんかあったか?」
「え、あぁ。ううん、何でもないよ」
「それより聞いてくれよ吉岡! 俺の冒険譚を!」
魔使君が何処に行ったかは別に気にしなくて良いか。
それよりも阿形君の話を聞かないと。
すごい興奮してるし、かなり凄いことがあったんだろう。
「おいおいおい、ちゃんと聞いてんのか~?」
「はいはいちゃんと聞いてますよ~」
「ホントか~怪しいな。仕方ねぇな。初めから話すからちゃんと聞いとけよ~。俺の冒険はそう、あの日から始まった――・・・・・・」
◇ ◇ ◇
「一応言っておくが、私は何もしていないからな」
校舎の端。人通りが無くやや暗がりな階段。
魔使恵は、踊り場から睨み見上げてくる人物に向けてそう言葉を発した。
「まだ私、何も言ってないんだけど?」
その人物、加茂茜はなお睨み続けている。
「あれだけ殺気と魔力をぶつけておきながらそれを言うか?」
「……貴方にとって吉岡くんは何?」
そうだな、と少し思案した後、魔使は答える。
「彼は貴重な協力者であり助手だ。私にとって替えの利かない存在だとも」
階下から睨み付ける加茂茜だったが、その言葉に嘘はないと悟ると、零すようにため息をついた。
「貴方も気づいてるでしょ?」
「勿論。あれだけ匂いがすれば誰だって気づくさ。吉岡悠馬、彼は魔術をかけられた」
魔術は魔力を用いて発動する。その後、魔力はその場に残留する。
本来であれば、魔術師は第三者に自身の存在が露見しないよう、残留する魔力を浄化する。
しかし、今日教室に現れた吉岡悠馬は、体中に魔力を纏わせていた。吉岡悠馬のものではない、誰かの魔力を。
「素人の仕業?」
「いや、我々に対する警告だろう。君の追跡を墜としたのと同様に、彼を探るなと言う、ね」
「……気づいてたの?」
「魔力を追えばすぐにわかる」
かつて吉岡悠馬を監視するために放った魔術『風に乗る白き追跡華』。即座に何者かに叩き墜とされるという結果に終わった。
そんな結果を魔使恵は見ていなかったが、魔力の流れを追ったことで、事の顛末は知っていた。
「吉岡くんにかけられたのは何の魔術か、わかる?」
「そうだな……。記憶改竄……いや、記憶操作といったところか。これ以上詳しいことはわからんな」
吉岡悠馬に付いているのはあくまで残留する誰かの魔力。
これだけでは、彼にどんな魔術がかけられたのか、誰の魔力なのかは断定することは出来ない。
「彼に魔術をかけた人、心当たりない?」
「さぁな、あるはずがない」
結局会話はそこで終わり、分かったのは、吉岡悠馬を探る者を敵対視している魔術師がいることだけだった。
「それじゃあ私はこのまま教室に向かうけど・・・・・・」
「遅れて行こう。変に噂にでもなったら面倒だ」
「そう? じゃあお言葉に甘えるわ」
教室に向かう加茂茜を、魔使恵は見送る――・・・・・・。
嘘。
魔使恵には、吉岡悠馬に魔術をかけた相手に心当たりはあった。
直前に聞いた『祖父の家に遊びに行った』事と、『何かしらの魔術をかけられた』事実。
魔術をかけたのは祖父であると予測していた。
いや、祖父だけではない。恐らくは彼の親族その全員がグルであると・・・・・・。
「すまないね、加茂茜。君にこの事は言えないね」
わかっていながら、魔使恵はあえて加茂茜にこの事を言わなかった。
理由はただ一つ。
「君はただ、七不思議討伐の事だけに注力していればいい」
加茂茜にとって、吉岡悠馬は保護対象。護るべきか弱い存在。
そんな者が、もし仮に親族から魔術をかけられたなど知ったら加茂茜はどうするか。
きっとこれ以上危険にはさらせないと遠ざけるはずだ。
しかし、これを魔使は善しとしない。
何故ならば、魔使にとって吉岡悠馬は替えの利かない協力者なのだから。
いずれ対峙しなければならない相手に思いを馳せながら、魔使も教室へ足を向けた。




