28.訪問
最寄り駅から電車に揺られ二時間。
更にそこからバスに乗り一時間。
更に更にそこから、歩いて一時間が経過しようとしていた。
気持ちが良いほど澄み渡った青い空。
五月なのに、かんかんに照りつける太陽。
火照った頬を、爽やかな風が撫でていく。
右を見ても、左を見ても、雄大な自然が広がっている。
何もないあぜ道を、僕は歩いていた。
十二年前の六月十三日に起きた迷子。
その詳細はネットにも書かれておらず、取り上げているニュースは無く、挙げ句の果てには新聞すら無かった。
更に頑なに当時のことを話したがらない両親。
この日に何かあったに違いない。
それはきっと、僕が魔力を扱えることに関する何かが――。
そう思い、僕は最後の頼みの綱として祖父母を訪ねに来たのだ。
「――それにしても」
歩きながら周囲を見渡す。
辺り一面を緑で囲まれた大自然。
聞こえてくるのは河のせせらぎと、風に揺られる木々の音。
本当に同じ日本なのか、と疑問に思うほど澄んだ空気。
「……ほんと、何も無いな」
あるのは大自然のみ。
家屋も無ければ、コンビニやスーパーも無い。
じぃじ達、以前は住宅街に住んでいたはずなのに、どうして最近こんな自然の中へ引っ越したんだろう。
「――……あれか」
大きな山の麓。
自然の中に溶け込むように、ぽつんと建った家が見えてきた。
小走りで近づき、インターホンを鳴らした。
「はいは~い」
すると中からは快活な声と共に、パタパタと忙しない足音が少しずつ大きくなってくる。
そして。
「あら悠馬ちゃん~! よく来たわね~。ささ、歩いてきて疲れたでしょう? ゆっくりしていきなさいな」
「おぉ! よぉ来たな! ほら、上がれ上がれ」
出迎えてくれたのは、祖母である吉岡政恵と、祖父の吉岡博正だった。
二人は父方の祖父母であり、小学生の時に何度か遊んでもらった記憶がある。
その時に、両親から迷子の事を聞いている可能性が高い。
「……お邪魔します」
二人からの歓迎に身を任せ、僕は家に上がった。
木造で、古き良き日本家屋といった外観。
中も勿論木造で、廊下は人が通るとキシキシと音を立てる。
そのまま僕は縁側に面した部屋に案内された。
襖が空いており、通気性の高い家の中を、風がすぅっと抜けていく。
「沢山歩いて疲れたでしょう? ほら、麦茶でも飲みなさい」
コップに並々につがれた麦茶を出された。
口をつけると程よく冷やされており、長時間太陽の下を歩き火照った体に染み渡る。
「ところで悠馬、こんな所に一人で何しに来たんだ?」
そう、僕は今日一人で祖父母の家まで来ていた。
目的は、十二年前の迷子のことを聞いていないか確認するため。
もし両親と共に来たならば、邪魔されてしまうのは目に見えているから。
タイミングを見て切り出そうと思っていたけど、そっちから聞いてくるならむしろ都合がいい……。
「実はね、じぃじ達に聞きたいことがあるんだ」
「ほぉ、聞きたいこと?」
うちわを仰ぎながら、じぃじは僕の向かいに腰を下ろす。
「それでわざわざ一人でこんなトコまで……。一体何を聞きに来たんや?」
じぃじはどこか嬉しそうに笑っている。
……よし。単刀直入に。
「……十二年前。僕が迷子になった時のこと、何か知ってる?」
じぃじのうちわを仰ぐ手が止まった。
少し俯いたその顔に、影が差す。
「――……あぁ、知ってる。知っているとも。何があったか、何が起きたかも全部な」
「――本当⁉」
来た! ようやく掴んだぞ!
さぁ教えて貰おうか。あの日一体何があったのか。
「じぃじ! その日、の、事を……?」
……なんだ?
何かが、おかしい。
頭がぼぉっとする。
それに何だか瞼が重い……。
だんだんと。
視界が揺らぎ、ぼやけていく――。
全身からすぅっと力が――。
「――……効いてきたか」
いつの間にか僕は、机に倒れ込んでいた。
力が入らず、起き上がることすら出来ない。
「耐性が想定よりもずっと強いな……。成長速度が目算よりずっと早い」
瞼が少しずつ降りてくる。
頭の中もだんだん霧がかかったように朧気に――……思考が纏まらない。
「――……じぃ、なん、で……」
「ん、あぁ。まだ意識残ってんのか。すまんなぁ、悠馬。司……お前の父さんから話聞いてんだ」
父さんから、話……。
先手を、打たれてたのか……。
「く、そ――……」
「なぁに、少し眠るだけだ。大丈夫、起きたら今まで通りに戻るだけだ」
「ふ――」
ふざけるな。その五文字すら言えず、僕は深い眠りへ堕ちてしまった……。
◇ ◇ ◇
『おや、久しぶりですねぇ貴方からの電話だなんて』
電話から聞こえてくるのは、飄々としながらも騒々しい声。
聞いているだけで吉岡博正の苛立ちは募っていく。
『本当に久しぶりだぁ……何年ぶりです? 10年とか?』
「十二年だ」
苛立ちを隠しもせず、博正は答えた。
『あそう。それで? どういったご用件で』
「悠馬が家に来た」
『ゆーま……あぁ、お孫さんでしたね。良かったですねぇ、孫が家に来てくれるなんて今時ないですよぉ?』
人の神経を逆撫でするかのような声。
受話器を握る手に力が入る。
「十二年前の事を聞いてきたぞ」
『へぇそうなんですね』
「あの日の事は、お前らが全部消したはずだろう!!!!」
博正の怒号に空気が揺れる。
『あぁ~……えぇ消しましたよ、全部』
「じゃあ何故――」
『ないからでしょ。記録が、一つも』
「あ?」
怒りを露わにする博正とは対照的に、電話の相手は酷く冷静だった。
『どういうわけかは知らないが、ゆーま君はあの日の事を知りたかった。でも調べても何も出ない。両親は口を割るはずがないし、知っている可能性があるとすればぁ、祖父母である貴方達だけだ。彼には母方の祖父母なんていませんしねぇ』
「……」
あの日に関する全ては消えた。
何で調べても、何処を調べても、痕跡一つ出てこない。
知っている肉親は決して口を割りはしない。
記録として残っていない現状、知っている可能性があるのは血縁者。
つまり祖父母である博正達の元へ来るのは必然的だった。
「……どうすればいい?」
『どうすれば、と言うと』
「どうすればあの子はいつも通りの日常へ戻れる?」
博正の願いは、ただ悠馬に平穏を生きて欲しい。ただ、それだけだった。
『簡単なことです。無意識の領域まで落とせば良い』
電話の相手は、あっさりと解決策を口にする。
『そうすれば『十二年前の六月十三日』について一切の興味がなくなり、『それに関する情報がない』事を考えることもない。ただ忘れさせるよりよっぽどいい』
提示された解決策。
それは無理矢理無意識へと押し沈めることによって、吉岡悠馬の中にある疑問を全て消し去る方法だった。
『貴方には出来るでしょう? 魔術協会日本支部元支部長、吉岡博正さん』
「――……わかった」
欲しかった回答は得られた。
もうこいつと話す価値はない。
そう思った博正は受話器を耳から離す……。
『……そうですか。ゆーま君が、貴方の所へ来ましたか』
「――何が言いたい」
『貴方方もそろそろ向き合う時が来たのでは? 彼も大切な、貴方の孫でしょう?』
その言葉を聞くや否や、博正は電話を切った。
叩きつけるかのように、否定するかのように受話器を投げ捨てた。
それから落ち着けるように、大きく息を吐く。
「……」
目線の先にいるのは、先程眠らせた悠馬の姿。
「――……すまんな、こんな所にまでわざわざ来たのに……」
眠る悠馬の頭を、優しく撫でる。
その言葉を聞いているわけでもないのに、何故だが口から漏れ出ていく。
「それでも、背負わせるわけには行かねぇのよ。お前には、何も知らず平穏に生きて欲しいから……」
それはまるで言い訳だった。
今から行なうこと。
そして今まで目を逸らしてきた過去。
これからも逸らし続ける未来への、言い訳だった。




