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丑三つ時に惡魔は嗤う  作者: Shatori
3.我が胎を満たす、朱い赫い臓物よ
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26.喪失と確信

「……はぁ」


 思わずため息が漏れる。

 いつもと同じ時間に、いつもと同じように帰路につく。

 今日も、何らおかしいところもない、いつも通りの日常だったはずだ。


 それなのに、僕の気分は落ちるとこまで落ちていた。



『吉岡悠馬。君は()()()()()()?』



 つい先程、魔使君から投げかけられた言葉が永遠と頭の中を反芻する。


 僕の世界は何処を向いても暗闇で。どれだけ藻掻いても、どれだけ足掻いても、何者かになることが出来なかった。

 そして魔術と出逢って。僕の世界に光が差して。一歩歩き出すことが出来て。

 ようやく、ようやく、僕の世界は希望に包まれた、と思っていた。



 ――それなのに。



 自分が何者なのか。

 その問いに、答えることは出来なかった。

 目を逸らすことしかできなかった。彼の眼を、真っ直ぐ見ることが出来なかった。


 何故なら、気づいてしまったからだ。

 僕は、この質問に()()()()()()と。


 ずっと、前へ進もうと手を伸ばしてきた。

 だから気づかなかった。だから今まで気づけなかった。

 僕はいつの間にか、()()()姿()()()()()()()()()()()()

 自分が見えないから、何者かなんて分からない。

 断片的なことすら答えられないから、目を逸らすしかなかった。


 自分のことも知らないで、どうして何者かになれようか。


 視界がぐにゃりと歪んで、足下が音を立てて崩れ出す。

 心にぽっかりと穴が空いたかのような喪失感をため息と共に吐き出しながら、僕は玄関のドアを開けた。



「――……ただいま」

「おかえり~! 今日もランニング行くの?」


 ここ最近、家に帰るなりすぐにランニングに行っていた。

 体力増強の目的もあるが、真の目的は『魔術の練習』。

 人通りが少ない河川敷まで走り、魔使君や委員長レベルを目標に魔術の特訓を行なっていた。


 ……けど。


「……いや、今日は行かない」

「あらそう? じゃあもうすぐご飯出来るから、呼んだら来なさいね」


 今日は魔術の練習をする気分になれなかった。


 魔術を忘れた一般人は、体内に流れる魔力すら認識出来なくなった、と魔使君は言った。

 なら何故僕は、体内に流れる魔力を感じることが出来たのか。

 そう考えると気味が悪くて、どうしても練習する気にはなれなかった。


 自分の部屋に入り、鞄と共に、ぼすんとベットに身を投げた。


「……僕は、一体何なんだろう……」


 帰宅途中にも散々考えた。

 けれども全くわからない。

 手がかりになりそうなものすら思い浮かばない。


 ……何もする気が起きない。

 倦怠感って、言うのかな。体が岩になったようで、布団に突っ伏したまま動くことが出来ない。


 ――あぁ、眠いなぁ。

 そう言えば寝不足、だったなぁ。

 このまま何も考えず、身を任せて、沈んでみるのも……いい、のかもな――……。









 ――――……何か、聞こえる?


 ぼんやりと薄目を開け、音の出所を探す。


 スマホだ。スマホがアラームを鳴らしていた。

 そう言えば、ランニングを忘れないよう、アラームをかけたんだっけ。


「……今頃は河川敷に着いてる頃かな」


 アラームを止めながら、ポツリと呟く。


 何事も無ければ今頃、GPSをつけて家を出て、河川敷まで走りきった所だろう。

 それから人が居ないところまで少し移動し、魔術の練習を――。


 ……ほんと、僕は何してるんだろう――……。







 ――……GPS。

 確か僕が四歳の頃に迷子になった事が原因だったはず。

 僕は当時の記憶が一切ない。


 記憶を遡っても、自分が何者かという問いに答えられるようなものは見つからなかった。

 ならば、活路はここしかない。


「悠馬~ご飯出来たわよ~」


 階下から母が呼んでいる。

 ちょうどいい。二人に直接聞いてみよう。


 ◇ ◇ ◇


「……聞きたいことがあるんだけどさ」


 食事を食べ終わるかといった終盤、会話が途切れたところを見計らって僕は切り出した。


「どうしたの? そんな改まって」

「昔、迷子になった事、あるんでしょ?」

「えぇ、まだ四歳の頃だったから、凄く心配して――」

「その時の話、もっと聞いても良い?」

「――……え?」


 あからさまに空気が凍る。

 母は言葉を詰まらせ、父は箸が止まった。


「僕は知りたいよ。自分の身に何が――」

「ほら悠馬、ちゃんとサラダも食べなさい」


 お母さんが僕の言葉を遮る。


「GPSが必要なほどの迷子なんてさ」

「ほらお父さん、食べたら食器片付けて」


 お母さんが僕の言葉を遮る。


「僕ももう高校生だよ。自分の――」

「食器片付けるわね」


 お母さんが僕の言葉を遮る――。


「いい加減にしてよ!」


 苛立ちをぶつけるように勢いよく立ち上がる。


「僕は真剣なんだ。ちゃんと話を聞いてよ」


 その言葉に、お母さんは俯き押し黙った。


「……そもそも外に出る度にGPSをつけるって、ホントに『迷子』なの? なにかもっと」

「悠馬!!!」


 重く響く怒声と衝撃音。

 息を荒げ、握りしめた拳を机に叩きつけたのはお父さんだった。


「あの時の事は、思い出したくないんだ。私も、お母さんも」


 息を整えるようゆっくりと、お父さんは語る。


「四歳になったばかりの息子がいなくなったんだ。どれだけ不安で怖かったか。どれだけ……心配だったか」


 そして顔を上げたお父さんの顔は、今にも泣き出しそうな弱々しいものだった。


「だからもう、その話はしないでくれ」

「……そう」


 父の言葉で、会話は打ち切られることになった――。



 ◇ ◇ ◇



 自室に戻った僕は、ドクドクと高鳴る心臓を落ち着かせようとベッドで横になっていた。

 ビックリした。

 お父さんは優しくて、大人しい人だ。

 記憶の中でも怒鳴られたことなどない。

 そんなお父さんが、あそこまで声を荒げるなんて、想像していなかった。

 結局、僕が迷子になったというあの日の出来事は聞けずに終わってしまった。




 僕が迷子になったあの日、確実に何かがあった。

 人には言えない何か。思い出したくない何か。

 本人である僕に隠しておきたい何かが――……。



『吉岡悠馬。君は()()()()()()?』


 魔使君にそう問いかけられた時、僕は答える事が出来なかった。

 何者かになろうと藻掻いた末、僕が自分の姿すら見えなくなっていた。

 自分の事が見えない人間が、どうして何者かになれようか。

 また一歩踏み出すために、光に向かって歩き続けるために、僕は自分を知らなければいけない。


 迷子になったあの日に一体何があったのか。

 

 なぜ魔術が使えるのか。なぜ体内を巡る魔力を行使できたのか。

 そして吉岡悠馬(ぼく)は一体何なのか。


 その答えはきっと――……。



「…………」


 両親に対して、少し罪悪感が生まれていた。

 父も母も、優しい人だ。僕を大切に育ててくれた。

 声を荒げてまで隠そうとするのは、きっと善意からくること。僕の為……なんだろう、と思う。


 けれど。それでも、僕は――……。


 明日から幸運にもGW(ゴールデンウイーク)が始まる。

 時間はたっぷりある。

 僕が迷子になったあの日、十二年前の六月十三日について調べてみよう。

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