幕間.揺らぐ不可侵、誓う殺意
下校時間を迎え、影が校舎を染め上げていく。
しかし静寂は訪れず、コツ、コツと階段を上る靴音が反響する。
魔使恵は空き教室を後にした脚で、階段を上っていた。
その先にあるのは屋上へ続く扉。
安全上のため施錠されており、誰も踏み入れることは出来ない開かずの扉。
しかし、魔使はその扉を、まるでそこに何もないかのようにすり抜けた。
落ちても尚眩しい日の光に目を細めながら、その翠眼は先客を捉えていた。
「こんな所でコソコソしていたとは……。正面から堂々と行けば良いのに」
魔使のその言葉を受けて、先客、加茂茜はギロリと睨み返す。
「面と向かって『貴方ちょっと怪しいから監視するわ!』って? 言えるわけないでしょ。自分は監視されてるって思いながら生活するのって、気分悪いでしょ!」
「でも監視はするのだろう?」
「そ、それはする、けど――……あ! 吉岡くん出てきたわよ!」
痛いところを突かれ目を泳がせた茜は、校舎から出てきた吉岡悠馬を発見。
即座に手のひらに魔力を集中させ、魔術を展開する。
「風に乗る白き追跡華」
手のひらからポコポコと、白い綿毛を携えたタンポポが芽吹く。
それにふぅっと息を吹きかけると、幾つもの綿毛が風に乗って飛んでいく。
風に乗る白き追跡華。
魔力によって生み出した綿毛を飛ばし、対象を追跡する魔術。
追跡対象に動きがあると感知し、茜に情報が送られてくる。
綿毛自身は内包された魔術で周囲の風景に溶け込むため、追跡対象にバレる事は無い。
「とりあえずこれで、彼が何をしようが分かるようになった……けど、魔使」
「何かな」
綿毛が吉岡の追跡を開始した事を確認した茜は、フェンスにもたれかかり夕空を見上げる魔使に疑問をぶつける。
「吉岡くんにわざわざ何者か問わなくても、貴方なら彼が何者かすぐわかるんじゃないの?」
「あぁ、分かるとも。その気になればすぐにでも」
「だったら――」
「だが、それに意味などない」
茜の言葉を遮りながら、魔使は断言する。
「……意味がないって、どういう事?」
「確かに私なら、彼が何者かなどすぐにわかる。だがそれはあくまで『事実』であり、ただの『情報』だ。自分が何者かという問いに、真に解答を出せるのは本人だけ。彼が導き出した解にこそ意味が生まれるのだ」
そして魔使はふっと顔を綻ばせる。
「彼は一体どんな解へと辿り着くのだろうか……。――あぁ、楽しみだ」
その顔は、まるで遠足を楽しみに待つ子供のような。純粋で、何処までも澄んでいて、混じり気のない輝きを放つ笑みだった。
その顔に、茜は目を丸くする。
「……貴方、そんな顔できたのね」
今まで茜が見てきた魔使の笑みは、必ず思惑が隠れていた不適な笑みだった。これほど、幼さを感じさせるほどただ純粋な笑みを見たことがなかった。
「私とて笑うさ。事実、今この瞬間に心躍っている。……あぁ、やはり人は人と交わってこそだな」
その言葉に、茜は違和感を覚えた。
「――魔使恵。貴方、一体何者なの?」
達観した、高尚なこと言うと思えば、先程のような幼さを垣間見せる。
その矛盾。二面性を魔使の中にも見出していたのだ。
その問いに対し、魔使は――。
「今、それを聞くのか?」
「――え?」
顔は空を見上げたまま、目線だけが隣の茜へ向けられる。
深淵が顔を覗かせる。
踏み込んでは行けない領域だと、本能が告げる。
「もう君は私の力を頼ってしまっている。何者か分からない私の力を。それは何者であったとしても、力を手に入れなければならない理由があったからに他ならない」
一切目を逸らすことなく、茜の眼を見据えたまま魔使は語る。
「その理由がなんなのか、私は興味がないし知ろうとも思わない。私達の盟約はそういった不可侵の上に成り立っている。そうだろう?」
片や相手が何者であるのかを差し置いてでも力を欲した。
片や相手が力を求める理由を知らずとも、自らの目的のために力を貸した。
そこにはお互いが踏み込まないという不可侵があった。
それ故に蟠りを生むこともなく事が進み、それ故に七不思議壱番を祓うに至ったのだ。
「その上で、今一度問おう。私が何者であるか、と私に尋ねるのか?」
「――……さっきの発言、忘れてちょうだい」
その言葉に、その圧に、そして魔使の力を失う可能性に、茜は引き下がるしかなかった。
「賢明な判断だ。ではこれからも、よろしく頼むよ」
ニヤリと笑いながらそう言い残すと、魔使は屋上から姿を消した。
「あいつ、一体何しに来たの……?」
そんな悪態をついた、その時だった。
「――⁉」
学校からそれほど遠くない位置。
少し前に息を吹きかけた『風に乗る白き追跡華』が、全て同時に墜とされた。
音もなく、気配もなく、魔力すらも感じなかった。
放った『風に乗る白き追跡華』その全てが、何かを感知する間もなく、一斉に墜とされた。
吉岡悠馬が気づいた素振りはなかった。
それはつまり、第三者の介入に他ならない。
誰が、何の目的でやったかは分からないが、少なくとも味方ではない事は確か。
周囲を警戒し、戦闘準備を整えるが、攻撃は来ない。
どうやら危害を加えるつもりはないらしい。
「それほどまでに、吉岡悠馬について探られる事を警戒している……?」
第三者が何者かは分からないが、何故ここまで吉岡悠馬への詮索を警戒しているのか。
「吉岡くん……貴方は、一体……?」
加茂茜の懸念は『第三者の存在』だけではなかった。
それは飛樽の領域内で双頭の犬との戦闘中の事。
吉岡悠馬の目が突如虚を映し出したかと思えば、ブツブツと小さく呟き始めたのだ。
おそらく無意識に飛び出た言葉。
けれどもその言葉はどれも悪意が滲んでいた。
彼は当時何を視ていたのか。
彼のそこに眠る破滅願望が、悪意に塗れた言葉を発したのか。
『風に乗る白き追跡華』を撃ち落とした誰かと、この事は関係するのか――……。
「――……ダメね」
どれだけ思考を巡らせようとも、どれも憶測の域を出ない。
情報が足りない。
「それに今は……」
そうだ。今はこんなことに時間をかけている場合じゃない。
今はただ――……。
「今はただ、管理者のすべき事を」
今はただ、加茂茜の望みの為に――。
拳はいつの間にか硬く、固く握りしめていた。
「七不思議を祓う」
――あの日の誓いを果たす為に。




