23.最期の幕引き
ガラガラと、音を立てて崩れていく。
重力に従い堕ちていく瓦礫が、地下ホールの客席を押し潰していく。
その光景を、自身を満たす舞台の崩壊を、落ち行く飛樽はただ見ていることしか出来なかった。
手を伸ばしても、魔力も練れず力も入らないこの手では、瓦礫から護る事など出来はしない。
崩れゆくホールと同じように瓦礫に沈みゆく飛樽が見たのは、重力から解放されたかのように軽やかに、優雅に舞い降りる魔使の姿だった。
「――もういい」
ようやく動く体で瓦礫を押しのけながら、飛樽はそう小さく呟いた。
「ここまでコケにされたのは初めてだ」
睨む先にいるのは、階段上部から見下ろす魔使。何を言い出すかと怪訝な顔を浮かべている。
「お前の能力などもうどうでもいい。貴様はただ、俺に殺されろ」
「ほう。その言い方だと、私を殺せると?」
「あぁ、殺せるさ」
その言葉を言うや否や、魔使の両腕が切り落とされた。
魔使が何かを発しようとしたその次には、顎より上が切り飛ばされる。
一閃。胴体が両断される。
三閃。再生した側から裁断されていく。
五閃。七閃。十閃。
一瞬の後、魔使は血の海に沈む肉塊へと姿を変えていた。
「何故首を貫いても死なぬのか。何故心臓を抉っても死なぬのか。理屈は分からずとも、魔力が関わっていることに変わりない。であらば、再生した側から斬り殺す。死ぬまで殺せば良いだけだ」
もはや何も言わぬ肉塊となった魔使に向け、飛樽は敗因を口にする。
その言葉に返答が返ってくるわけでもなく、ただ静寂が残る。
――はずだった。
パチパチパチ。
静寂を破るかのように、静かなホールに拍手が響く。
「いやぁ流石流石。『魔力切れがない』という優位を生かした強攻策だね」
右の客席。そこに座り、手を叩きながら魔使は飛樽を称賛する。
反射的に刀を振るう。
ゴトリと音を立て、魔使の首が地面に転がる。
「……何だ? 一体、何が……」
「ふむ。反応速度、刀速は増し、太刀筋はより洗練されたか。どうやらようやく本気で殺しに来たようだね」
今度は背後から声がした。
振り向くと、ホールの中腹に腰掛けた奴の後ろ姿があった。
「殺した私に何もしないところを見るに、どうやら『力を奪う』能力と『奪った力を行使する』能力は併用出来んようだな」
魔使の見立て通り、相手の能力を奪う『厳罰徴収』と、奪った能力を己がモノとして行使する『接収行使』は同時に使用できない。
故に、魔使の力を我が物と画策していた飛樽は捕縛することを第一とし、力を奪うことを諦めた今、全力で殺すために力を振るう。
「もう今更貴様が生きていることに疑問も持たん。――次だ」
パチンと指を鳴らす。
すると天井の穴から、続々と、領域内に捕らわれた魂が集まり飛び降りてくる。
「こいつらは今より爆弾だ。貴様に纏わり付き爆発する」
領域内に存在するモノとして、捕らわれた魂達の性質を変えた。
この事により、彼らは標的へ向かっていく自立型の爆弾となってしまった。
「一匹一匹は取るに足らん雑魚だが、これほどの数群れれば話は変わる。物量で押し潰してくれる……!」
地下ホールを埋める程の数の魂が、軍隊のようにずらっと並ぶ。
それを一瞥だけした魔使は、呆れたように息を吐く。
「次の行動に移すのは良いが、私ばかり見ていて良いのか?」
「――何?」
魔使の指差す先、自身の後方を見上げる。
すると、暗闇の中にポツポツと、幾千もの魔力球が光り輝いていた。
それはまるで夜空を彩る星々のよう。
それが視界いっぱいに広がっている。
「『瞬きの星々』」
星のように輝く魔力球が一際強い光を放つ。
次の瞬間、爆煙を伴いながら、星々は地へ降り堕ちる。
それは降り注ぐ流星。
ある物全てを砕く天の炎。
地を均す爆煙に巻き込まれ、集結した魂達は皆黒い粒子となって消滅していく。
「――!」
もうもうと立ちこめる爆煙の中、飛樽が飛び出した。
その手には二振りの刀が握られていて、迫り来る星々をいなす事で致命傷を免れていた。
しかし全てを躱すことは出来ず、その顔には疲労が現れ、抉られた脇腹が少しずつ塞がっていく。
「ほう、アレをいなすか。余程名の知れた剣豪の力なのだろうな」
顔を上げると、刀を振り上げた魔使が立っていた。
その刀は飛樽が持つモノと同じモノ。
魔力を纏っているわけでもなく、飛樽との武器差はない。
その事を一瞬で見抜いた飛樽は、『避ける』ではなく『受けて反撃』を取った。
振り下ろされた刀を右の刀で受け止め、左の刀でガラ空きになる胴体に横薙ぎの一閃を振るう。
しかし――。
受けるはずだった右の刀が、振り下ろさせた刀に砕かれる。
そのまま胴を斬るはずだった左の刀ごと、飛樽の胴体は袈裟斬りに切り開かれた。
吹き飛ばされた飛樽は、舞台に叩きつけられ、ドズン、とピアノの上に倒れ込む。
「流石は剣豪の力。選ぶ行動、太刀筋、剣閃、その全てが最適最善の一太刀を振るう。しかし、お前の振るう剣はそれだけだ」
コツコツと、階段を降り飛樽に向かう。
「お前の目には最適な太刀筋が見えているのだろう。振るうべき場所が、軌道が見えていることだろう。お前の剣はただその軌道をなぞっているだけに過ぎん」
そうして舞台上で倒れている飛樽へ、刀を向ける。
天井にぽっかりと空いた穴から差し込む光が、陰りなき白銀の刃を撫でる。
「お前の剣には経験がない、研鑽がない。その境地へ至るための重みがない。お前の剣は羽の様に軽いぞ」
「――黙れ!」
魔力を巡らせ生み出した刀を、持てる膂力で放つ。
空気を切り裂くそれは一つの砲撃のようで、巻き起こる衝撃に周囲の瓦礫が吹き飛ばされていく。
一秒も経たず、刀は亜音速へ達する。
軌道は完璧。魔使の額めがけ、殺意そのものが急速に迫る。
その刃が魔使の皮膚に触れる――……その時だった。
放たれた刀は、魔使を貫く直前、輝く粒子となって霧散した。
「――……は?」
突然のことに飛樽は驚くが、自身の右手を見て更に目を丸くする。
指先から少しずつ、粒子となって解けていたのだ。
「……な、何だ⁉ 貴様何を――」
こうなった原因は魔使にある。
そう断定し、追求しようとしたその瞬間、飛樽の全身に激痛が走った。
内側から喰い破られたかのような痛みに、飛樽は立っていられず、その場に蹲る。
世界そのものを揺らしているかのような地鳴りに、天井が音を立てて崩れ出す。
「核が破壊されたようだね」
「何、だ……何を、した……!」
淡々と状況を把握する魔使に、声を絞り出して問う。
核は存在する限り、永続的な魔力提供とダメージの肩代わりを行なう。
それが破壊されたからといって、今まで肩代わりしてきたダメージが返ってくる事は無い。
しかしならば、何故自分はこれほどに苦しんでいるのか。
「私は何もしていないさ。むしろお前の自滅だろう」
「何、だと……⁉」
「お前は核からの魔力提供に依存し、随分と領域を広げていたな。……それこそ、自身が内包する魔力を優に超える規模になるまで」
「――⁉」
支配領域は、『核』と『支配者』の二つの柱で支えられ維持されている。
そのため核が崩れたならば、支配者の魔力が使われる。
だが魔使が言うように、飛樽の支配領域は、核に依存し拡大させてきた。
そして核が破壊された今、広げた領域が崩壊を免れようと、飛樽の魔力を吸い上げる。
しかしそれでも維持することなど出来ない。
そのため、飛樽の肉体を魔力に変換しているのだ。
「お前の体内組織一つ一つを魔力へと変換しているようだな。……まぁ、それでも領域を維持する魔力は足らないようだが」
もはやそんな言葉すら聞こえないほど、飛樽は限界に近かった。
その場に蹲り、手足を動かすことも出来ぬほど激痛が全身を駆け巡る。
そんな姿に、魔使は呆れていた。
「下らんな。己の命より見栄が大事か」
自身の魔力だけで維持できる範囲まですぐさま削る。
そうすれば苦しむことも、魔力への変換もなくなる。
しかし飛樽はそれをする気配がない。
「俺が、作り上げた、太平……貴様ら無能では為し得ない……太平を、手に……」
「それが下らんと言っているのだ」
動けない飛樽を見下ろしながら、魔使は両手を上げる。
「いずれ全て魔力へと変換され消滅するが、私は無駄な時間を過ごすつもりはない」
その姿はまるで指揮者のよう。
手を上げると同時に、飛樽の頭上に巨大な刃が現れた。
光を反射し煌めく刃が、舞台上で蹲る飛樽の首を捉えた。
「最期を否定し、醜くも藻掻く見苦しい演目を、今この瞬間で幕引きとしよう」
指揮棒を振るうかのように、手を軽く振るう。
それに呼応して、頭上の刃が堕ちる――。
「――『最期の幕引き』」
ゴトリ、という音と共に、赫き喝采が吹き荒れる。
今ココに、『飛樽』という演目の幕が下ろされた。




