平和そのもの
意外と平和だ。
俺がいろいろと言ったことはすぐさま実行してくれたようで、大きな変化はなくとも、小さな変化は見られた。
商店街に行くと、どことなくいつもより明るく活気があるように見えた。
警察署の前にある『本日の犯罪件数』も連日ゼロ件のままだった。
町内の公園でも、子ども達がやんややんやと元気に遊んでいるのを見かける機会が増えた気がする。
そして天気も良い。
散歩がてらのパトロールを終えて、町役場の入口のところに設置された意見箱の中を確認すると、中には何枚かの紙が入っていた。それを取り出して町長室に向かいながら読む。
一枚目。
『消費税を何とかしてください』
どうしろと。
二枚目。
『この間のイベントに行けませんでした。なんとかしてもう一度呼んでください』
どうしろと。
三枚目。
『あそこの道路に横断歩道か歩道橋が欲しい』
これは要検討。
というわけで、計三枚。
最初は、待ってましたと言わんばかりの勢いで、設置した直後の榊君が直接受け取るぐらいの量が来ていた。それも最初の一日だけで、『街灯が切れかかってる』とか『標識が見にくい』とか『秋原さん大好き』とか『公園の電気が少ない』とか『許すまじ八百屋』とか『あそこのポイ捨てがひどい』など、役場にいてはわからないことなんかを町民が教えてくれていた。
そのへんは徐々に解決していくということで、町役場前の掲示板に『町長からのお返事』という形で全部の質問に答えたものを張り出しておいた。
こうやって見てみると、町民とコミュニケーションが取れてる気がしてなんだか距離が縮まったような気がしてくるから困ったものだ。実際はそこまで距離は縮まってないんだろうけど、100歩だったのが70歩ぐらいになってる気がして、ちょっとだけど嬉しい。
意見用紙を見て思わずニヤけながら歩いていると、後ろから声をかけられた。
「そんなにニヤニヤしてどうしたんですか?」
「まさか榊くんとの進展を妄想していたとかっ!?」
「やめなさい」
見ると、内村さんの頭を書類でパサリと叩いている榊君がいた。
「いやぁ、意見箱っていいねぇって思ってね」
「あれですか。スーパーとかでもよくありますけど、あんなに集まるものだと思ってませんでしたよ」
「だよね。もっと1・2枚かと思ってたら、初日で結構もらったしね」
「あれすごかったですよねー。榊くんが『よかったらご意見聞かせてくださいー』って言ったそばから、そのへんにいたおばちゃんとかが集まってきて、榊くんの一世一代のモテ期到来って感じでしたもんねー」
「そんなに?」
「そんなに。でも榊くんは町長一筋だから」
「やめなさいって」
また頭を叩く榊君。
あいかわらず何の話かはわからないけど、この二人からなにも言われないってことは、平和であることだろう。住民課は町民と一番距離が近いところだし、時々たまり場みたいになってることもあるし。
二人と別れ、町長室へと向かう。
「ただいまー」
そう言って扉を開けたが、返事はなかった。
誰もいない町長室のソファに腰をかけてフーッと天井を見上げる。
いつもなら秋原さんがいることが多いのだが、いないということは秘書課のほうにいるのだろう。
秋原さんと言えば、例の告白だ。
あれ以来、そのことには一切触れず、いつも通りの敏腕秘書として猛威を振っていた。
元々あったスケジュールに今回の件関連の仕事をうまく組み込み、多少疲れるが動きやすいように組み直してくれたり、話を進めやすいようにと関連資料なんかも作ってくれていた。
いつも通りのことなのだろうが、いつも以上に量が多い職務をそつなくこなしてくれていた。きっと今回の件で一番活躍しているのは秋原さんだろう。影の功労者だ。秋原さんがいなければ、ここまでスムーズに解決しなかったかもしれない。
素直に『ありがとう』と言いたい。
そして、告白の返事もしなければいけない。
秋原さんは答えなくてもいいとは言っているが、こればかりは男として答えねばならないと俺の中の何かが言っている。でももしかしたら本当に言いたかっただけかもしれない。秋原さんって意外とサバサバしてるところあるし。
俺としては秋原さんはとても仕事が出来る人だし、冗談も通じるし、食の好みも合う。振り回されてもなんやかんやでついてくるし、付き合いも面倒見もいい。そしてなによりよく気がつく。キリッとしてるように見えて、実は情に厚くて涙もろいところがある。そーゆーところが人を引き付けるんだろうな。なんていうの? ギャップ?
とにかく。
秋原さんは仕事が出来る完璧超人の反面、人間としての弱いところもキチンと持っている。
そんな秋原さんに、俺はどう答えるのが正解なのかを考えていた。
実は8割方OKなのだが、残り2割で悩んでいる。
1割は『俺なんかでいいのだろうか?』ということ。もっといい人がいるだろうに、と言ったら怒られそうだけど、本音はそう思っている。
もう1割は『俺の黒いところを知らない』ということ。たとえば、職業上どうしても情報戦になる場合がある。一応情報屋みたいな知り合いはいたし、その関係で知り合った人からメールで細かい情報を教えてもらったりもしている。正直、この町で俺が知らないことはないと言っても過言ではない。
そーゆー一面を知った秋原さんが、俺に対してどう思うかが心配だ。
そのことを告白の返事としていつ伝えようか迷っている。
いつ言うのがいいんだろうなぁ。
コンコン。
そう考えていたところで、町長室のドアがノックされ、返事をすると秋原さんが一礼と共に入ってきた。
「お疲れ様です。戻ってたんですね」
「ただいまです。秘書課に行ってたんですか?」
「はい。次の打ち合わせの資料を取りに」
「そっか。次はどこだっけ?」
「14時からうろな北小学校の校長先生とのお約束が入ってます」
「ふむふむ」
「そして15時半から藤堂さんのところで整体です」
「えっ、そんなことも予定に入れてるの?」
「もう予約済みです。しっかりと整体されてきてください」
「うはー。秋原さんは?」
「私はその時間にお昼ご飯を食べようかと思ってます」
「そんな時間に……」
「そこしか時間が取れそうにないので」
なんとも申し訳ない。少し罪悪感を感じざるを得ない。
「そっか……そこまでしてくれてありがとう」
「いえ。仕事ですので」
「……身体には気をつけてね。無理しないように」
「ありがとうございます。これも町長のためです。町長が成功させたいなら、私はそれを応援することしかできないので……」
「秋原さん……」
これは頑張るしかないじゃないか。
「よしっ! 頑張ろう! 絶対にこの町の平和を取り戻そう!」
「もちろんです! 絶対に成功させましょう!」
「頑張るぞー! えいっえいっおー!」
……あれ? 秋原さんからの返事がない。
「……町長。それ、古いです」
「ガビーン」




