帝国記(終 話) 始まりの都(下)
木陰で休憩をとっていると、旅装の母娘が僕の前を通りすぎ、その先で足を止める。
「ねえ、お母さん。この木はなあに?」
「これはグリードルの木よ。帝都ができた時からあるの」
「私達の国の名前と一緒だね!」
「ええ。そうね」
そんなふうに楽しげに話しながら、再びどこかへと歩いてゆく。そういえばグリードルの名前の由来は、皇帝の出身地にある巨木だったっけ。何かの書物で読んだ気がする。
……そろそろ新しい本が読みたいな。
いやいや、それどころではなかった。まずは仕事を見つけないと。書物どころか今日のご飯も食べられやしない。
話に聞いた通り、帝都はまだまだ拡張している。僕みたいな流れ者でもすぐに雇ってもらえそうではある。
「さて、と」
あんまりのんびりしてはいられない。僕はゆっくりと立ち上がり、流れ者の集まりそうな場所を探して歩き出した。
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「スキット様」
そのように呼ばれたスキットは、顔を顰めて苦言を呈する。
「様はやめろって言ってんだろ、ルービス。せめて旦那と呼べ」
「お断りいたします。私にとってスキット様はスキット様です」
何十年も日々の挨拶のように交わされる会話。隣で聞いていたミトワが穏やかに口を挟む。
「よくもまあ、毎日毎日同じやり取りをして飽きないものですな」
「うるせえ」
「ミトワには関係ありません」
両者から睨まれたミトワは肩をすくめると、話題を転じた。
「ところで、ルービスは何か報告があったのでは?」
「あ、そうでした。最近、いくつかの酒場の帳簿が合わないらしくて。くすねているやつがいるみたいです」
「ああん? なら締め上げりゃあいい」
「そうしたいところですが、いつから金額があっていないかわからなくて。もう、盗んだ当人はどこかに逃げたのかもしれません」
スキットは小さく舌打ちして、首をぐるりと回す。金勘定は、秘書をしていたピピアノットの仕事だった。かつてどこかの国の大きな商会で、似たような事をしていたらしい。
だがピピアノットは老境を迎え、己の最期を故郷で過ごすと決め、すでに帝都にはいない。
金の動きが雑になったから、少しくらい懐に入れてもバレないと思うやつが出てきたのか。
「とにかくそりゃあ、俺たちが舐められてるってことだな。この裏町を誰が仕切ってんのか、一度再認識させねえとダメか」
「かもしれません。帝都には日々新顔が入ってきますから」
「これもあのドラクのばかが、考えなしに帝都を拡張するからだ」
スキットの言葉に、ルービスが少しだけ目を見開いた。
「なんだ?」
「いえ、スキット様の口から、ドラクの名前が出るのは珍しいなと思ったので」
「ちっ。うるせえ。おい、ザモス、すぐに人を集めろ。一度、裏町の飲食街の巡回に行くぞ」
「了解です! ボス!」
ザモスが先に部屋を出てゆくと、スキットはやおら腰をあげ、額の傷を隠すように、山高帽を深く被った。
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「スキット様」
「様はやめろって言ってんだろ、ルービス。せめて旦那と呼べ」
「お断りいたします。私にとってはスキット様はスキット様です」
飽きもせずに同じ会話から始まった、ルービスの報告。
「クルサドから報告です。金勘定のできそうな流れ者が来たと」
「あん? 却下だ。新顔に任せられる仕事じゃねえ」
「そうですか。元文官らしいですが、確かにおっしゃる通りですね。では、何か適当な力仕事に回しましょう」
「元文官? それで流れ者? また妙な経歴だな。何をやらかしたのか聞いているか?」
「……いえ。何も」
「何も聞いてねえのか?」
「ではなく、本人は何も問題は起こしておりません」
「どういう意味だ?」
「……元、ルデクトラドの宮仕えです」
滅亡した、あの国の王都。
「……城内はほぼ全滅だったと聞いた。生き残りがいたのか」
「嘘ではないようでした」
「……会う。そいつを連れてこい」
「わかりました」
立ち去ろうとするルービスを、スキットは呼び止める。
「待て、そいつの名は?」
「ロア、と名乗っています」
運命の歯車が、小さく動いた。
ーTo Be Continuedー




