38.【死蛇熱】と救世主
「ぐぅぐぅ……」
フロイド兄さんは異空間を漂うようにして、ぐっすりと寝ていた。
良かった、無事で……ただ今後はこうした無茶は勘弁してほしい。
気になるのは、兄さんの横に立つホムンゴーレム。
ちょっとエスメエルデに似てるけど、あまり感情などは感じない。たぶん何のカスタマイズもされてない純然たる司書型ホムンゴーレムなんだろう。
『私はこの図書館の管理を任されているLC2536号。汝──【病】の知識を収めたるここ〝アレクサンドリア大図書館 ムサファ分室”に何の用だ』
「パンチェッタ」
『おや、そこにあるは──もしや〝食″のライブラリーにいたLC1857号か』
……え、もしかして知り合い? エスメエルデもかつてはLC1857号という名前で【食】のライブラリーを守っていたんだろうか。
でも今はボクの元にいる、ということは……エスメエルデが守っていたライブラリーはもう消滅している可能性が高い。【食】のライブラリーって名前も聞いたことがないし。
古代の叡智であるライブラリーは、こうして異空間においても消滅の危機にあったりする。今回ボクが熱望していた【病】のライブラリーを無事発見できたのは、実は物凄い僥倖だったのかもしれない。
「ボクは──司書であるローゼンバルト。ここの情報の閲覧権限を得たい」
『司書ローゼンバルトよ、承知した。LC1857号の現マスターであるあなたに、ムサファ分室の情報を得るアクセス権限を与えよう』
「あともう一つお願い、そこにいるフロイド兄さんを返してもらえるかな」
『……警備モードで囚われた万引き犯候補のことか』
フロイド兄さん……勇者なのに万引き犯扱いって……。
「ごめんなさい、万引きとかの意図はないんです。ちょっと迷い込んじゃっただけで……ボクの兄なので、返してもらえますか」
『ふむ、迷子ということか』
いい歳した勇者が迷子扱いって……。
「ま、まぁそんなところで」
『親族が受け取りに来たのであれば、今回は警告の上返却しよう。以後は気をつけるように』
「はーい」
良かった、無事に解放されるみたいだ。
ホムンゴーレムLC2536号が手を差し出すと、ゆっくりとフロイド兄さんがこちらに漂ってくる。ボクは抱き抱えるようにしてキャッチした。
「グラウ、フロイド兄さんを連れて先に出てて。ボクは──ライブラリーへのアクセスパスを作るから」
「おう、気をつけろよ」
「大丈夫、エスメエルデもいるし──ここのホムンゴーレムは司書の味方だから」
「ぐぅぐぅ……ローゼン……」
ん? フロイド兄さん? 寝言かな。
「なに、フロイド兄さん?」
「お前なら……来てくれると……信じてたぞ、わが弟よ……ぐぅぐぅ」
……やっぱり寝言みたいだ。
まったく、夢でまでボクのことを見るなんてこの人は……。
「グラウ、この人をよろしく」
「ああ。任せておけ。お前も気をつけろよ」
「うん」
一足先にグラウたちを外に出したあと、アクセスパスを構築する作業に入る。だけど健全なライブラリーと比べても損傷が激しいみたいで、作業はなかなか手間取っている。
『ムサファ分室の管理状態はかなり悪化している。司書ローゼンバルトよ、何か手立てはないか』
「ああ、異空間に穴が空いてたからね。ここを出たら対処しておくよ」
ここを出たあと、ちゃんとグラウとエスメエルデの手を借りて亀裂を塞いでおかないと。
なにせ病のライブラリーにあるのは、超古代文明時代からの人たちが病と戦って来た貴重な成果だ。この情報が消失しないようにすること、ライブラリーの保全と保護も、司書であるボクの務めだからね。
◆
アクセスパスを無事構築してライブラリーを塞いだあと、ボクたちは返す刀で王都への帰路につく。
このダンジョンの異空間への道は塞いだから、スタンピードが発生することはもうないだろう。
相変わらずグラウに抱き抱えられて飛行しながら、ボクは早速【病】のライブラリーにアクセスして様々な情報を得る。
その中には──ボクにとっての憎き親の仇ともいえる【死蛇熱】の情報もあった。
ライブラリーによると【死蛇熱】は、非常に感染力の強い細菌による伝染病で、由来は蛇や竜などの爬虫類系生物から媒介されているものらしい。
本来は人間などの哺乳類には感染しないものの、突然変異により感染力を強めた結果、人にも感染するようになったこと。
龍の牙から取れる成分を用いることで薬を製作することができるものの、材料が極めて貴重で少ないこと。
しかも薬だけでの完全な治癒は困難で、黒い蛇のようなアザの場所に細菌が隠れていて、単に細菌を殺すだけでなく居場所となる「黒いアザ」部分の完全なる浄化が必要であること。
これらの情報を得ることができた。
……なるほど、【死蛇熱】はこういう特性を持った病気なのか。
ボクはついに──母さんの仇である【死蛇熱】の特性を知ることができた。だけど結果としてさらに頭を抱えることになる。
「うーん……」
「どうした? 悩ましげな声を上げて」
ボクとフロイド兄さんを抱えながら飛行しているというのに、ボクの呟きに敏感に反応するグラウ。
「実はね、思っていた以上に【死蛇熱】が危険な疫病だったんだ」
「なんだ? ライブラリーで解析できたんじゃないのか?」
「うん、できたよ。おかげで【死蛇熱】の毒性が強すぎて、完全に防ぐことが極めて難しい疫病であることが逆に判明してしまったんだよ」
まず龍の牙というのが簡単には手に入らない。
母さんが残した手記によると、10年前は熱帯の森に生息する特殊なトカゲから取れる薬効成分を用いた薬を作っていたらしい。多分龍の牙に含まれる成分と同じものを持っているんだろう。
だけど問題は「浄化」の方。体内の、しかもアザの部分を完全に浄化──すなわち殺菌消毒するというのがいかに困難なことか……。
「超古代文明時代の奴らはどうやって解決してたんだろうな」
「ライブラリーによると、当時は《浄化》というギフトがあって、その力を用いて浄化していたみたいなんだ」
「そいつはスキルのライブラリアンであるお前も知らないのか?」
「ボクが分かるのはスキルについてであって、ギフトの情報は分からないんだよね……」
【死蛇熱】と戦うためには、この世に存在するかもわからない《浄化》のギフト持ちを探すところから始めなきゃいけないのが実に厳しい。現実的には不可能だと思えるくらいだ。
代わりになるようなスキルでもあれば良いんだけど、残念ながらスキルのライブラリアンであるボクにも思い当たらない。
「せっかく【死蛇熱】の秘密がわかったっていうのに、このままじゃどうにもならないよ……」
「なるほどなぁ。しかし浄化のギフトってのはどんな力を持ってるんだ?」
浄化のギフトの持つ力、かぁ。確かにどんな力を持ってるんだろう。
「殺菌消毒する力っていうくらいだから、いろいろなものを綺麗にする力かな」
「綺麗にする力? それに似たスキルとかないのか」
「そんなスキルがあったらとっくに有名になっていると思うよ」
「ねえのかな。例えば掃除や洗濯とか──」
「掃除や洗濯──」
……そこまで話して、ボクははたと口を閉ざす。
待てよ。
今ボクは、何か重要なことに気がついた気がする。
なんだ、何が心に引っ掛かったんだ?
「おい、どうしたローゼン」
「ちょっと黙ってて」
今、何の話をしていた?
浄化のギフト。似たスキル、効果。掃除や洗濯……。
掃除や洗濯──掃除!?
『わたくし、掃除のスキル持ちですの』
『誰にも相談したことはございません』
『わたくしが掃除すると、とても綺麗になるんですの』
ワインで汚れたはずなのに綺麗になって返ってきた、ネネトの白いドレス。
妙にさっぱりと綺麗になった孤児院の子供。
古ぼけているのに、ピカピカになった教会。
どれも、通常では起こり得ないこと。
それを成した人物は──。
「──いたっ!!」
「ん? 今度はどうしたんだ!?」
「いたよ、グラウ!!」
「何がいたっていうんだよ!?」
「救世主だよ!」
「は? なんだそれ!?」
「本当の救世主がいたんだよ!!」
綺麗に掃除をするギフト──《浄化》のギフトの現代における所有者。
その名も、ザンブロッサ侯爵令嬢アフロディアーナ。
君こそが──【死蛇熱】から人々を救う救世主だっ!!




