第三十一話 「バケモノ」
背中にコスモスの熱を感じながら、僕はヒューマスの路地を全力で駆ける。
一時は驚いて固まっていたオルキデも、すぐに馬を走らせて追いかけて来た。
「き、貴様! 私の妹を連れ去るつもりか!?」
いったいどの口が“私の妹”とか言ってんだと思いながら、僕は惚けた顔で振り返る。
「いやいや、別に連れ去るつもりなんてまったくありませんよ」
「ではなぜコスモスを連れて私から離れていく! これはれっきとした誘拐だぞ!」
「誘拐なんて人聞きの悪い。僕は急に走り出したい気分になっただけです。後ろにいる女の子は、知り合いでもなんでもないまったくの赤の他人で、勝手に背中に張り付いてるだけです」
「そ、そんな屁理屈が通用するとでも思っているのか!」
オルキデはお綺麗な顔をしかめて憤りを見せている。
別にこれは屁理屈でもなんでもない。
僕はただ町を走り回りたくなっただけなのだから。
そしてたまたま近くにいた女の子が背中に張り付いて来ただけで、連れ去るつもりなんかは微塵もない。
という作戦で言い逃れしようとしているのだが、実際これってどうなんだろう?
「連れ去るつもりがないのなら立ち止まればいいだろ!」
「立ち止まるなんてもったいない。一秒でも長く走っていたい気分なんです」
「へ、減らず口を叩くな!」
舌を打ったオルキデは腰裏に吊るしていた鞭を取り出した。
それを高々と振り上げて構える。
「後悔するなよ平民!」
瞬間、奴は鞭を振り下ろしてバシッと黒馬の体を叩いた。
その衝撃で黒馬は叫び声を上げて、目覚ましいほどの速度で疾走してくる。
「――っ!?」
僕は咄嗟に横に飛び、黒馬の突進を間一髪のところで回避した。
そのまま横の路地へと折れて、再びすかさず走り出す。
事前に奴が使えるスキルを把握していなければ、避けられていなかったかもしれない。
一時的に召喚獣の黒馬を加速させるスキル――『鞭打』。
まさかここまで速度が上昇するとは思わなかった。
「ハハッ、よく避けたじゃないか! コスモスの師匠だという話、あながち嘘でもなさそうだね」
奴はすぐに追いついて来て、再び僕たちの後ろにピタリとついてきた。
このまま人が多そうな西区に逃げ込めば、なんとかなるかもと思っていたけど。
そこまで逃げ切れるかどうか怪しくなってきたな。
その不安の通り、オルキデはまたも鞭を振り上げた。
仕方なく僕は自分の胸に手を当てる。
「【敏捷強化】」
瞬間、黒馬の体が叩かれるのと同時に、僕の全身に緑色の光が宿った。
ほぼ同じタイミングで両者が加速する。
まるで縮まらない距離に怪訝そうにしているオルキデは、すぐに得心したように笑みを浮かべた。
「なるほど、それが貴様の能力というわけか」
さすがに目の前で魔法を使えばバレるか。
まあ別に、能力が割れたとしても支障はない。
僕はただこのまま、コスモスを背中に張りつけながら西区まで逃げ切ればいいのだから。
そして東区と西区を繋ぐ赤糸橋まであと少しというところで、オルキデが問いかけてきた。
「私から逃げたところも見るに、やはり貴様……“外れ天職”だな?」
「……」
外れ天職。
それが何を意味しているのか、言われずともわかった。
別に応対する必要はなかったのだが、僕は我知らず返答してしまう。
「……別に戦闘能力が高い天職が、“つまり当たり”ってことにはならないと思いますけど」
「だが事実、貴様は今逃げることしかできていない。単独で戦える力を持っていれば、そんな無様な格好をせずとも済んだのだぞ。その時点で私たち高貴な血族にとっては外れの天職だと言い切れる」
オルキデはバッと両腕を広げて、自信満々な様子で言った。
「たった一人で脅威になるような、戦況を大きく一変させるような存在。それこそが力の象徴である私たち貴族に求められる素質なのだ!」
力強い演説に、拍手でも送ればいいのだろうかと呆れながら思った。
そんな考える傍らで、密かに耳が痛い思いをする。
確かに僕は戦闘能力が低い育成師の天職を持っている。
誰かの手助けしかできない能力のせいで、所属しているパーティーを追い出された身だ。
僕に力があったなら……と考えたことは何度もある。
だから人知れず心を痛めていると、オルキデは不気味な視線を僕の背中に向けた。
「ゆえに『星屑師』などという哀れな天職を授かったコスモスも、同様に外れの人間だ」
「……」
コスモスの体が僅かに揺れる。
僕の肩を掴む手には僅かに力が入り、気持ちが動揺しているのが伝わって来た。
「石を飛ばすことしかできない無能が、父様に期待されて調子付いていた結果がこれだ! 本当に笑わせてくれる!」
オルキデは心の底から喜ぶように、笑い声を響かせた。
「所詮は珍しいだけで何の力も持たない弱小天職が! 力なき者はエトワール家には不要な存在! せいぜいいいように扱ってやるから覚悟しておけよ!」
背中に、コスモスが震えている感覚が伝わってくる。
悔しいのか怯えているのか、はたまたその両方か。
とにかく、オルキデの言葉に気持ちを惑わされていることだけはわかった。
『父様は私に期待してたわ。二つ歳が上の兄様もそれなりに優秀な天職を授かったけど、それ以上に父様は私の天職に夢中になって、色々と手を尽くして私を育ててくれたの』
そういえばコスモスはそんなことを言っていたなと思い出す。
期待の思いを寄せられる妹の陰で、目も向けられなかった兄のオルキデ。
その憎しみが彼を動かす原動力となり、妹のコスモスを苦しめるために家に連れ戻そうとしているわけか。
……外れの天職、か。
確かに力がすべての貴族様たちから見たら、コスモスの星屑師は外れもいいところなんだろう。
僕の育成師の天職も補助的な力しか使えないのでそう見えても仕方がない。
でも……
「愚かな平民に教えてやる。これが血統の差だとな!」
外れには外れなりに、その力には使いようってものがあるんだよ。
ちょっとだけ頭に来たので、貴族様には少し痛い目に遭ってもらうとしよう。
オルキデは三度鞭を構えて、それを高々と振り上げた。
「地面のシミになれ! 外れ天職がァ!」
バシッと黒馬の体を鞭で叩く。
夜騎士のスキルである『鞭打』が発動して、黒馬に加速効果が付与された。
刹那、僕は密かに右手を開いて黒馬に向ける。
「【敏捷強化】」
敏捷性を高める支援魔法――『敏捷強化』。
それを今度は自分にではなく、オルキデが跨る黒馬に掛けた。
たった今、鞭を打たれて“加速したばかり”の黒馬に。
瞬間、二種の加速効果を付与された黒馬は、とんでもない速度で発進した。
「――っ!?」
騎手であるオルキデはおろか、黒馬自身も制御できないほどの疾走力。
それを予期していた僕は、あらかじめ横に飛んでおいた。
凄まじい勢いで黒馬が真横を横切っていくと、オルキデもろとも道の先にあるゴミ山に突っ込んでいった。
激しい衝撃によってゴミが四散して、あちこちにガラクタが散らばる。
「何が……起き……!?」
オルキデは汚れた状態で、ガラクタの山の中から這い出てきた。
どうやら黒馬は今の一撃で消滅したらしく、影も形も無くなっている。
かなりの勢いでゴミ山に衝突していたので無理もない。
「……まだ意識あるのか」
その中でも意識を保ったままなのは、さすがと言わざるを得ない。
戸惑いと怒りを滲ませた顔でこちらを睨むオルキデ。
親切にネタ明かししてもよかったが、そんな義理もないのでやめておくことにした。
それにわざわざ得意げになって話すことでもない。
今のはただ、黒馬が加速力を見誤って、ゴミ山に突っ込んでいっただけなのだから。
オルキデの『鞭打』と僕の『支援魔法』による、加速効果の二重付与。
過剰な素早さを手に入れた黒馬は、それを知らずに全力で駆け出して制御が効かなくなった。
オルキデがバカにした支援魔法も、使い方によってはこうして戦闘的に役立つこともあるということだ。
「このまま大人しく引き下がってくれませんかね?」
「――っ!」
這いつくばるオルキデを見下ろしながら提案すると、奴は歯を食いしばりながら立ち上がった。
漆黒の長剣を右手に握り締めながら、鋭い視線と共に切っ先をこちらに向けてくる。
「調子に乗るなよ平民がァ! たまたま一撃入れられたくらいで勝った気になるな! 私が手ずから貴様を斬り刻んでやる!」
綺麗なお顔はどこへやら。
オルキデはすっかり美顔を歪めて、憎しみの表情を僕に向けていた。
僕から一矢を受けて頭に血が上っているらしい。
上手くいけば大人しく話し合いに応じてくれるかもと思ったけれど、まったくの逆効果になってしまったみたいだ。
素直に逃げておけばよかった。
なんとか隙を見てこの場から逃げ出そうと考えていると、それよりも先にオルキデが動き出した。
「まずは貴様のその腕から――!」
漆黒の長剣を振り上げて斬りかかろうとしてくる。
僕は咄嗟に懐のナイフに手を掛けて応対しようとするが、幸いにもそれには及ばなかった。
まるで予想していなかった、“第三者”の手が、長剣を振り上げるオルキデの腕を掴んだ。
ハッとしてそちらを振り向くと、そこには“赤髪”を靡かせる一人の少女が立っていた。
「何……してるんですか?」
「…………」
刹那、この場の空気が一気に重くなる。
全身に鉛を括り付けられたかのような重圧感に襲われて、全員がその場で立ち尽くしてしまった。
動けない。足に根が張ったかのように身動きが取れない。
同時に迸る凄まじい寒気と緊張感。
まるで高山の山頂にでもいるような息苦しささえ感じて、僕たちは息の仕方を思い出すように浅い呼吸を繰り返した。
「街中でこんなもの振っちゃ、ダメじゃないですか」
「――っ!」
オルキデは天敵を前にした兎のように、閃く速さで飛び退る。
しかしそれも無理はない。
勇者に匹敵する力を秘めた、可能性の原石である『戦乙女ローズ』。
間近で彼女の威圧を受けてしまったら、誰だって尻尾を巻いて逃げ出してしまうだろう。
なまじ力を付けた者だからこそ、感じ取れてしまうローズの恐ろしさ。
才能が違う。性能が違う。生物としての格が違う。
だからこそ心底思う。彼女が味方でよかったと。
ていうかローズ、何かすごく怒っているような……
オルキデは大量の脂汗を滲ませながら、震えた声でローズに問いかけた。
「な、なんだ、貴様は…………! 貴様は本当に、人間なのか…………?」
「しょ、初対面で失礼な方ですね。どこからどう見ても人間じゃないですか」
ほんの少し威圧しただけでこの怯えよう。
傍から見ているだけでも冷や汗が流れてくるほどなので当然ではあるが。
僕もようやくローズの登場による緊張感から解放されて、胸を撫で下ろしていると、彼女は遅まきながら自己紹介をした。
「私はローズ・ベルミヨンと言います。そこにいるロゼさんの知人です。何やらロゼさんに危害を加えそうな気配がしましたので、止めさせていただきました」
彼女の突然の登場により、状況が大きく一変した。




