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第百六十四話 「太陽と水」

「ソラリスおじさんの好きなもの?」


 フランはきょとんと首を傾げて、それに釣られて亜麻色の髪が揺れる。

 少し質問が唐突すぎたと思った僕は、すかさず補足した。


「うん。これからソラリスおじさんに会いに行くからさ、手土産にちょうどいいものとかあったら教えてくれないかな? それこそお茶菓子とか。この近くで買えたりしたらもっとありがたいんだけど……」


「あっ、それならこの通りの先にある『卵が焼きで鶏が賄い』ってお店に、すっごく美味しいシフォンケーキがあるよ」


「へぇ、ケーキか……。って、何その店の名前」


「この辺りの工房の人たちもよく行ってるお菓子屋さんで、ソラリスおじさんもよくそこでシフォンケーキを買ってるとこ見るから、手土産にぴったりなんじゃないかな」


 確かにお茶菓子にも良さそうだし、何より本人がよく買っているという安心感もある。

 無難な選択肢でいいかもしれないな。


「ありがとうフラン。参考になったよ」


「そう? ならよかった。あとソラリスおじさんのお屋敷に行くなら、この通りを突き当たりまで行っちゃって、右に曲がった方がわかりやすいと思うよ」


 そう言ってフランは通りの先を右手の指で示す。

 ありがたい情報だと思って聞いていると、その時不意にフランの右袖が僅かに捲れて、中からすすで汚れた右腕が露出した。

 その腕は前に見た時よりも若干筋肉質になっていて、よく見ると右手の指先もささくれが多かったり黒くなっているところが見受けられる。


「なんか逞しくなったな」


「えっ、何が?」


「腕とか手とか、なんか華奢で色白って印象があったのに、今はすごく職人らしくなってる気がする」


「そうかな……? いつも見てるから、自分だとよくわからないや」


 フランは改まって自分の右手に目を落とす。

 それをじっと見つめながら、心なしか感慨深そうに続けた。


「まあ、次期工房長って任命されてるからね。ここ最近は特に作業量も増やしてるし、前より逞しくなれてるみたいでよかったよ」


 そっか、フランは競売会の一件から、次期工房長に選ばれたのだった。

 それに相応しくなれるように日々を怠らず、精一杯やっている成果があらわれて嬉しそうにしている。

 するとフランは今一度右腕の袖を捲って見せて、悪戯っぽく頬を緩めた。


「今ならロゼより腕も太くて、力持ちかもしれないよ」


「なんだと~? じゃあ今度腕相撲で勝負するか」


「あっ、なんかいいねそれ。男友達同士でやる遊びっぽい感じがして」


 そう言って微笑む姿は、相変わらず女の子にしか見えなかった。

 そんな他愛のない掛け合いを終えて、フランにお礼を告げて別れると、僕は再び通りを進み始めた。

 フランに教えてもらったお菓子屋さんで手土産を買い、言われた通り突き当たりまで進んでみる。

 そして右手に折れると、確かに話に聞いていたソラリスおじさんのお屋敷らしい建物が直線上に見えた。

 右手に提げた袋からシフォンケーキの甘い香りが漂ってくる中、僕は通りを進み続けて、やがてくだんの赤屋根のお屋敷の前に辿り着く。

 実際にお宅を前にして、なんだか今さらながら強烈な緊張感に襲われてしまった。


 今からこの町の町長さんに会うわけだよな。

 僕がお世話になっているこの町で、実質的に一番偉い人。

 自ずと手の先が冷たくなっていき、額には脂汗が滲んでくる。

 しかしここまで来た以上、引き返すわけにもいかないので、僕は意を決して屋敷の鉄柵を押し開けた。

 そして玄関と思しき扉の前で立ち止まると、一度深く息を吸ってから、おもむろに右手を動かした。


 コンコンコンッ。


「は~い、今出るから待っとくれ~」


 扉をノックすると、こちらが眠たくなるような穏やかな声が中から響いてきた。

 程なくして扉が開けられて、記憶の通りの人物が僕を出迎えてくれる。

 年季の入った白髪と、白い口髭を蓄えた、腰の曲がっている小柄なおじいさん。

 この町の町長であるソラリスおじさんだ。

 てっきり使用人さんか誰かが出迎えてくれるとばかり思っていたので、つい呆気に取られて数秒固まってしまった。

 しかしすぐに気を取り直して挨拶をする。


「は、初めまして。僕はロゼと言います。この町で活動をさせてもらっている、えっと……」


 育て屋です、と名乗ろうとしたのだが……

 それより先にソラリスおじさんが、笑みを浮かべながら言葉を紡いでくれた。


「育て屋さんであろう。ギルドで話を聞いてうちへ来てくれたといったところか」


「は、はい。ギルドつてで、町長のソラリスさんから何かお話があると」


「ソラリスおじさんで構わんよ。呼び立ててしまって申し訳ないの」


 そう言ってソラリスおじさんは、頬にシワを寄せるようにくしゃっと微笑んだ。

 いつの間にか僕の胸中から緊張感が欠片もなくなっていることに気が付いて驚く。

 みんなから話は聞いていて知っていたけど、想像以上に腰が低くて気が良さそうなおじいさんだ。

 この人が、はじまりの町の町長さん。


「わざわざ来てくれてありがとう。何もないところではあるが、よければあがってってくれ」


「あっ、はい。では、お言葉に甘えて……」


 ソラリスおじさんのお屋敷にお邪魔させてもらうことになる。

 ソラリスおじさんはダボッとしたローブの裾をゆっくり引きずりながら、広々としたリビングの方まで案内してくれて、焦茶色の椅子に座るように促してくれた。

 その時、僕は手土産のシフォンケーキをおじさんに渡す。

 それを心から嬉しそうに受け取った後、キッチンと思しき方へ向かっていき、僕は葡萄の彫刻が施された高そうな椅子に腰かけた。

 一分ほど待つと、ソラリスおじさんがお盆を持ってキッチンの方から戻ってくる。

 そこには僕が持ってきたシフォンケーキとお茶がのせられてあり、一気にリビングが甘い香りで満たされた。

 どうぞ食べてくれと視線で促されたので、切り分けられたシフォンケーキを頂くことにする。


「あっ、美味しい」


 ふわふわ食感の生地に、その隙間から溢れてくる卵の風味。

 甘さも程よく、それが香ばしい紅茶に非常にマッチしていた。

 これは工房の人たちが気に入るのも納得だな。

 重すぎず甘すぎず、休憩の時にちょうどいいお菓子って感じがする。

 半分ほど夢中になって食べ進めてしまい、その姿を優しげに見守っていたソラリスおじさんに遅れて頭を下げた。


「すみません、ご馳走になってしまって」


「いやいや、呼び立ててしまったのはこちらの方じゃから、遠慮せずに召し上がってくれ。ワシも気に入っている取り合わせじゃから」


 それなら手土産にこれを選んで正解だったなと、心の中で再びフランにお礼を告げる。

 それから僕は改めて、ここへやって来た理由を果たすことにした。


「テラさん……ギルドの受付さんから聞いたんですけど、何度かうちに来ていただいていたみたいで、その際はご対応できずに申し訳ございません」


「突然押しかけたのはワシの方じゃから、ロゼさんが気にすることは何もありはせんよ」


「それで、僕に話したいことってなんでしょうか?」


 こればかりは少し緊張感が戻ってきてしまう。

 町長さんに直々に呼ばれるなんて、やっぱり自分が何か良からぬことをしでかしてしまったのではないかと、心当たりのない不安に苛まれてしまった。

 しかしそんな焦りは、杞憂に終わることになる。


「礼を、言いたくてな」


「礼?」


「この町の冒険者たちの笑顔を咲かせてくれて、ありがとうとな」


 ソラリスおじさんは再び、孫を見守る穏やかなおじいさんのように、優しげな笑みを浮かべた。

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