15.
どうしてこんなことになったのか――――
「――…そういう顔をしてらっしゃいますね」
「…そうか?」
ずばりと心の内を突かれても動揺しない……というか、ウラノが言うようにアケミの顔にはありありと出ている。「めんどうくさい」と。
二時間前――――
「いーやーだ! 行ーかーなーい!」
「子供か…!」
アケミがごねていると聞きつけてやってきたライラは怒るのを通り越して呆れ果てる。ただ、アケミにも言い分がある。
「白熊の使いパシリさせられて変なオヤジを見に行かされ、そもそも出かける前だって忙しくてほとんど会えなかったし、だからここに来る前に報告やら何やら済ませて家に帰らずに直行して来たのに、どうして帰ってきたその日にライラさんを目の前にしてイオンハブスの王都まで出かけなきゃならない!」
唐突に現れたウラノはアケミにイオンハブス王都への同行を要請してきた。なんでも人事交流の一貫で、王城であるフィノマニア城に勤めるらしい。その道程の警護にバレーナが自分を指名したという。いつもならOKしてもいいのだが、今日は積もり積もったものがある―――。
「あたしだってストレス溜まるときは溜まる! ライラさんとの時間は、あたしの身も心も癒してくれる必要不可欠なものなんだ!」
「……じゃあ何? アンタ、私をストレスの捌け口にして好き勝手やってたわけ?」
ライラの反論に言葉が詰まる…。そんな切り返し方をされるとは思っていなかった…!
「や……でも、そもそもさ、別にあたしじゃなくてもいいじゃない……別に危険な道中じゃないし。中央街道で追い剥ぎする奴なんかいないだろうに」
「アンタ……それはないんじゃないの? 若い女に一人旅させる気? さすがに常識を疑うわ」
ライラの視線が冗談抜きで冷たい……。
「そういうことじゃなくって、ウラノは国を代表して行くわけだろ!? どうして付き添いもなしで行くんだよ!?」
視線は未だ大きなトランクを持ったまま直立するウラノに集まる―――……ウラノは静かに口を開いた。
「護衛として十分な実力をお持ちであり、大勢で行かずとも良いので仰々しくなく、同性ですので旅の煩わしさもなく、なにより快諾してくださるとバレーナ様はお考えなのでは? もっとも、仕事よりも娼婦との情事を優先したいと言って憚らないその姿勢に私は貞操の危機を感じますが」
隙なく論破するだけでなくしっかりと毒を打ち込まれた。思った以上に効く……自分でも情けなくなってちょっと心が折れそうだ。ライラも肩を落とす。
「……行ってきなさいよ。アンタは王女さまの役に立つために頑張ってるんでしょ」
「……まあ、それは」
「それに今みたいに言われたら、私がアンタをダメにしてる女みたいじゃない。そんなのは嫌だ」
「そんな……ライラさんが気にしなくても―――」
言いかけるとライラが眉間に皺を寄せる。そこでアケミは気がついた。
今のはつまり、あたしの恥はライラさんの恥………ということ? とするとそれは、ライラさんは私ともう一蓮托生のつもりである、と……。
「……何、変な顔して」
「いいや………フフ…」
ライラが訝しがるが、アケミはニヤけ顔が収まらない。
「わかった……じゃあ行ってくる。確かに、だらしない女だと思われるのはあたしも嫌だし、ちゃんとライラさんが自慢できる人間にならないと」
「いつになるの、それ」
「すぐになる! 国中にその名が轟く女になる…!」
イコールそうなれなければライラとまともに付き合えないという、結構すごいことを宣言したのだが、
「―――すでにスキャンダルでかなりの有名人ですが」
ウラノがちゃちゃを入れてくる…。人に頼みに来ている立場のはずだが、自覚はあるんだろうか?
「では、話は纏まったということでよろしいですか?」
「ああ。じゃあ明日の朝、何時にどこで待ち合わせすればいい?」
「これから出立します」
「はあ!?」
しばらく目を瞬かせてしまった。
「いや……もう四時回ってるぞ!? 野宿する気なのか!?」
「早足で向かえば、国境を超えて一番近いマカナの町に九時ごろにはたどり着けます」
「本気で言ってるの…?」
ライラも唖然としているが、ウラノは能面のような表情を変えない。
「シロモリ様をお探しするのにすでに時間を割いています。バレーナ様のご命令は王命と同義です。よって、どのような事情であれ、遅れを甘受するわけにはまいりません。先ほどのお話ですと旅支度のままだとか。ご準備が特に必要とも思えませんが」
「ああもう、わかったわかった…! 十分で用意するから、表で待っててくれ」
「かしこまりました」
ウラノが真っ直ぐ門の外に出るのを見送って――――ライラの肩を引いて抱き寄せた。
「ちょっと…何してんの!? 準備は――」
「……キスだけ、していい…?」
「………」
首を伸ばせば触れ合える距離で、目線を外したライラは頷きはしなかったが、拒絶もしない。その表情は戸惑い……そんなところだろうか。こういう時は自分から踏み込んできっかけを作る―――二人の間で慣れたパターンだ。
―――しかし、戸惑いの理由はいつもと違った。
頬に手をあて、顔を寄せる……と、ライラの指がアケミの唇を抑えて押し止める。
「え…ライラさん?」
「……さっきはなんか誤魔化された感じになったけど、アンタ、ホントにカーチェとキスしたの?」
「あ……あ~…それは…」
「それって浮気よね」
ライラの目が鋭い……口調も硬い……圧力も強い。思ったより気にしているようだ……カーチェの言う通りなら愛情の裏返しなのかもしれないが、傷つけてしまったことに変わりはない…。
「……ごめん…」
「…カーチェが仕掛けたのは間違いないだろうけど、だからいいってわけじゃない。今はしたくない……そういう気分じゃない」
「………」
想像以上に深刻かもしれない……力なく離れようとすると、ライラの方からギュッと抱きしめてきて、驚く―――。
「アンタの気持ちはもう十分にわかったから……お金出すとかもいいから。私のために剣持って身体張ってるのかと思うといたたまれなくなる……ボロボロだったときのアンタを見てるから……だから本当にもう、無茶はしないでよ」
「あ、うん………ごめん……」
母のことがあったからだろうか………今日はライラさんの気持ちが何度も心に染みる。本当に今、キスできないのが悔しい……。
……そんな後ろ髪引かれる思いで出発したのだが、余韻に浸れる暇もなく、ウラノは先頭切って黙々と道を歩んでいく。途中で買ったミートパイを摘んで小休止をしたが時刻はすでに夜七時前、頭上には星が瞬いている。初日からこんなペースで大丈夫か不安になるが、ウラノはここまで一言も文句を言わず、歩調が乱れることもない……そこでふと気が付く。手荷物がトランク一つといってもそれなりに重いはず、しかしウラノは背筋が伸びたまま。体幹が鍛えられているのだ。変なメイドだとはずっと思っていたが、普通のメイドではないのかもしれない―――初めてそう感じた。
「…シロモリ様、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「うん? 何だ?」
「イオンハブス王家とバレーナ様はどのようなご関係なのでしょう。特に、仲がよろしくない方などいらっしゃるのでしょうか」
「仲悪いなんてない、むしろその逆だ。亡くなられたヴァルメア様とイオンハブスのガルノス王は家族か兄弟かと喩えられるくらい懇意にされていたし、その象徴がこの中央街道だ。あたしは直接会話したことは……幼い頃に一度ご挨拶したくらいだったが、おふたりは遠慮のない間柄だったと記憶している」
「ご息女の姫君はいかがでしょう。ヴァルメア様のご葬儀では一言も発せず、涙一つお流しになられなかったと聞いていますが」
そうだったのか? 確かに沈黙していたと思うが、かといって特別冷たい印象は持たなかった。それにあの時見たあの顔は……
「…シロモリ様?」
「あ……アルタナディア姫はバレーナにとって妹同然だ……自慢するほどのな」
まさかお互いに想いを秘めているかもしれないとは言えないが……
「左様ですか…」
目元を細めたウラノの唇がうっすらと歪んで見えたのは気のせいだっただろうか。凝視した時にはそれが幻であったかのように、夜の帳に溶けてしまっていた……。
また間があいてしまった上に短くて申し訳ないです。今週はずっとバタバタしててなかなかPCに向き合えてなかったです。特に一昨日は最悪で、帰りに豪雨に見舞われ、家に着いたら停電し、おいおいマジかよ…とかなり焦りました。すぐに復旧したんですが、目覚ましがわりのステレオの時計を設定し直すのを忘れてて、翌日寝過ごしかけました。まあ……最近は本当に天気が読めないですよね。もうちょっと加減して欲しいです(笑)。




