27.
オウル工房の裏のベンチに座り、のんびりと枝に留まる鳥を見ていたアケミの元に、ロナが姿を現した。
「すまないな、わざわざこんな遠くまで」
「いえ…」
「ここなら人目も気にならない。客がいなけりゃ親方とミーシャだけだからな。で、この間のことだが―――」
「―――ぬああああぁぁぁ!?」
静かな場所だからと選んだのに絶叫が聞こえてくる。珍しくミーシャだが、甚だ迷惑でしかない。しかしそんな心の声が伝わるはずもなく、ミーシャは大きな体で工房の裏口から飛び出してきた。
「おまえ、なんなんだこの刀!? 何で試し斬りっ―――……」
刀を片手に血相を変えて飛んできたミーシャが声を落としたのは、ロナがいたからだ。ロナは度胸がある方だが、大男が刃物片手に仁王立ちする光景を前にして目を丸くし、作り笑顔のまま硬直―――…辛うじて会釈した。ミーシャも反射的にぺこりと頭を下げて、ちょっと照れた。普段からして戦士ばかりに囲まれているせいか、ミーシャは知的で大人しい女に弱い。ロナが大人しいかはさておき、メガネが似合う少女は十分ミーシャのストライクゾーンに入っている。
幼馴染がきゅんと心奪われた瞬間を目の当たりにしてしまい、アケミは白けた顔をむけた。
「…で、なんだ? 今大事な話をしている。刀がどうした」
「あ、ああ………って、だからこの刀身! 何で試し斬りしたんだこれで! 岩か!? ついに岩を斬ろうとしたのか!?」
「岩か……そういえばまだ試したことないな」
「ふざけるなよ! お前、これ打つのむちゃくちゃ大変だったんだぞ……それを二日で、渡してたった二日で……」
「お…お前の打ち方が悪かったんじゃないか?」
「はああ!?」
「―――うるせぇぞ!! ミーシャ何やってやがる!!」
親方が顔を出す。ミーシャとは正反対に体格こそ小さいが剣幕は凄まじい。隣のロナが肩をびくっと震わせたのが見なくてもわかった。
「原因を聞いてこいっつたろ、ケンカしろとは言ってねぇぞ! だがアケミちゃんの言うこたぁ間違ってねぇ……よく見ろ、重ねて打った層で剥がれるように欠けてやがる。重ねた鉄が合わさる前に冷めちまってるとこうなる。要するに、打つ力と速さが足んなかったんだよ」
「えぇ!? 親父より力入れてたと思うけど…」
「バカヤロウ、何を見てやがった!! 力任せに叩こうなんてのは素人のやることだろうが!! ったく、もっぺん鍛え直してやる…!!」
親方に尻を蹴られ、ミーシャは工房の裏口に追い立てられる……その背にアケミが声をかける。
「……黒剣だ」
「え?」
「黒剣と勝負した。いけると思ったんだがな。あたしは悔しい……お前の刀はシロモリの名を賭けるにふさわしい出来だと信じていたからだ。お前は悔しくないのか?」
ミーシャはぴたりと止まり……
「黒剣か…」
一言呟いて工房へ入っていった。どうやらスイッチが入ったらしい。よかった……剣を駄目にした原因の半分は、半分以上は剣筋を見切られた自分のせいだと思うが……なかったことにしておこう……。
「………」
「ロナ? どうした?」
「あ、いえ……ちょっと迫力に押されて。これまでもいろんな職人を見てきましたけど、なかなかの厳しさだなと」
「そうか? あれで親方は優しいけどな」
と、工房の入口側から女がひょっこり顔をのぞかせてきた。
「あれ? アレインか」
怒鳴り声が聞こえてきて出るタイミングを伺っていたらしい。
「アレインも来てたのか?」
「はい、アレインに馬で送ってもらいました」
「へー、アレインがいると機動力が増すな」
手招きする前にアレインの方から近づいてきて、ベンチに座るアケミの前で止まった。
「あの……前に、お礼をするって言ってましたよね」
「ああ。すまなかったな、忘れてはいなかったんだけど……出来ることなら何でも言ってくれ」
「じゃあ……私に、剣を教えてください…!!」
アレインが頭を下げる。予想外の願いにアケミも少し戸惑った。
「どうして剣なんだ? お安い御用だが……お前とロナはバレーナを護衛する役ではないだろう?」
「確かに私はバレーナ様や皆の馬をお世話するお役目を頂きましたけど……でも、それだけじゃ駄目なんです! ジラーの悪評は未だに根強くて、それに……アンタがあっさり倒してしまったから、ライドルの名声は地に落ちたって、陰口叩かれて…。だからアンタに剣を教わって―――」
「―――アケミ様。『シロモリ隊』に入ったのだから、アケミ様とお呼びしなさい」
ロナが横から口を挟む。ちなみにシロモリ隊というのは仮称で、まだ部隊の名前はない。リーダーから名前をとってそうなったに過ぎないが、それが隊の存在感を大きくしてもいた。それだけに、隊の一員になることには大きな意味がある。注意を受けたアレインは口をへの字に曲げ……
「…アケミさま、に……剣をお教えていただいて、悪い風評を払拭したいと、思う次第でぞんじまする…」
アレインは苦々しくアケミを様付けし、無理やり丁寧に喋ろうとしておかしくなってしまった。
アレインの気持ちもよくわかる。経緯はどうあれ、アレインにとってアケミは仇のようなものだ。頭で理解していても気持ちはまだ落ち着かないのだろう。
「……シロモリ隊は出自も身分もバラバラの混成部隊だ。歳だけが近い。あたしは偉ぶるつもりもないし、どう呼ばれても構わないが、他の手前もあるし、一応な…。お前の気持ちはわかった。あたしもジラーに関わっていたし、優秀なライドル一門が地に落ちるのは忍びない。しかし親衛隊は武功を立てる場ではないぞ。わかっているな?」
アレインは頷く。アケミは倉庫の鍵を持ってくるようにミーシャを呼ぶ。やってきたミーシャは新たな少女にまた目を奪われ、イラっとしてさっき親方に蹴られていた尻をアケミも蹴った。
倉庫の中に保管してある片手剣を何本か引っ張り出し、アレインに持たせてみる。
「真っ直ぐ立ち、全身の力を抜いて、軽く横に振ってみろ。軽くだ……剣を離すなよ。重すぎても軽すぎても駄目だ。軽く引っ張られるくらいのものがいい」
何本か試し、これという一本が決まったら、今度は同じ重量の木剣をアレインに渡す。
「この木剣を上段から七分の力で連続して振り下ろせ。右と左、片手で百回ずつだ」
「ひゃ、ひゃく!?」
「ひと振りで一人倒せると思っているのか? 同じくらいの技量の相手なら十回剣を合わせても勝負がつかないことはザラだ。相手が盾を持っていたらさらに三倍打ち合うこともある。百回くらいは序の口だ。まずこれができなければ剣を教えられんな。始めろ」
「くうぅ…」
十回も振るともう腕が辛くなってくる。ありふれた光景を横目で見ながらアケミはロナに話しかける。
「で、ええと……この間の話だったな。ゲイスたちの向こうにいる人物について、何かわかったか?」
「申し訳ありません、まだ何も…。せめて看守の居所がわかればいいのですが」
「……グロニアにはいないかもな」
「なぜですか?」
「一昨日、グレイズについて行ったらクマイル卿の屋敷に入っていったんだが、その様子を観察してる奴がいた」
「あの女将、クマイル卿と繋がりがあるのですか!? 想像を超えていましたね……現役こそ退いていらっしゃいますが元最高評議院十三席の一人で、保守派の筆頭とも呼ばれる方です」
「ああ、あたしもパーティーで直接話したことがあるが、あの歳でピンと背筋を伸ばして立っていた。絡めてを使うタイプではなさそうだが一筋縄ではいかない感じだ。そのクマイル卿の屋敷を張ってた奴を追いかけると襲ってきてな、ドーベルマンをけしかけてくるあたり、それなりの工作員だったのかもしれないが、まあ犬は睨んだら逃げていったし、捕まえるのは容易かった」
「……犬も訓練されていたでしょうに」
アケミが本気で真剣を振っているところを未だに見たことのないロナは、その強さをマユラかバレーナからしか聞いたことがないが、ドーベルマンは軍でも使われる犬だ。それを「睨んで追い返した」というのであれば、やはりアケミという剣士は尋常ではない…。
「今、その工作員?は軍警察で取り調べ中だが、クマイル卿を狙っていたことがはっきりすれば、クマイル卿と話をする機会もできるだろう。貴族筋でコンタクトを取ることもできるかもしれないがな。だがさっきの話―――ロナが言っていたことだ。クマイル卿が保守派、つまり王家擁護派ということは、対立するのは当然改革派だ。今、王家の直系の血筋はバレーナしかいない。これはどうとでもできるチャンスだ……どうとでもな。改革派がチャンスを伺い、障害となりうるクマイル卿を見張るのも当然だろう。そして改革派と目される者の多くは地方領主だ。領主は一定の私兵を持っている者も多い……」
「つまりクマイル卿と対立する地方領主が一連の黒幕で、そこから派遣されたのが看守であり、工作員であると」
「そう疑うこともできる。証拠はないがな。ただ………バレーナの周りは早めに固めた方がいいだろう。シロモリ隊の現在の人員と残りの候補は何人くらいいる?」
「リストです」
さすがロナ、用意がいい。手渡された紙に目を通す……。
「マユラ、イザベラ、ハイラ、ロナ、ミストリア……ミストリアは上手くやってるか?」
「テーブルマナーを覚えるのがかなりストレスなようで…」
「フ、だろうな。アレインとあと二人……で、候補が三十人もいるのか!?」
「議会でバレーナ様が発表されて正式に隊が結成される見通しになったのをきっかけに、貴族から立候補される方が増えまして。決めつけてもいけないのですが、バレーナ様にお近づきになるのが目的のお方も多いようです」
「かといって初見で撥ね付けて禍根が残れば後が鬱陶しいか……。むー……よし、ふるいにかけよう。前倒しで戦闘訓練を開始し、候補者も参加させろ。軍隊式のプログラムを渡す。進行はマユラに任せる。ミストリアが暴れまわるのを見れば、浮ついた奴はすぐに逃げ出すだろう。それで残ったメンバーは親や親類を徹底的に調査しろ。あと、ロナも参加だ」
「私もですか…!? それは他の候補者に対しての対策ということですか?」
一人だけ訓練免除の特別枠をつくれば皆が同じように主張を始めかねないから、ロナも参加してそういう声が上がらないようにするのだ。
「それもだが……もしものとき、バレーナの隣にロナがいる可能性が高い。追手から逃れるとき、ロナが遅れればバレーナは必ず立ち止まる。そういう性格なのはわかるだろう? 剣は握らなくていいから、基礎体力をつける訓練はしておいたほうがいい。すまないな、色々やってもらっているのに無理ばかり頼んでしまうが」
「いえ…。国のためにお手伝いをしたいと申し出たのは私ですし、信用は商人にとって何よりの宝です。精一杯やらせていただきます!」
「頼む……おいアレイン、疲れたからといって両手で振ろうとするな。片手ずつだ」
話していてもアケミはきっちり見ている。アレインは早くもうんざりしていた。
「何で片腕だけで……両手持ちの方が威力だってあるじゃん…」
「ん? 手綱を持たずに馬に乗る気か?」
はたと動きを止め―――黙々と素振りを始めるアレイン。
「騎乗を想定しての訓練だとわかると一心不乱になるとは、現金なやつだ。案外、アレインは伸びるかもな……あー、あと正式な部隊名も何か考えておかないと…」
「…あの、隊長」
「ん? なんだロナ」
「隊長はいつ戻られるんですか…?」
「うん? うーん……」
―――アケミは答えなかった。
とりあえず出来た分だけ更新……ですが、今週末はちょっと無理かも…。どうでしょね?




