七話
翌朝目覚めたら桜花の隣に雄飛の姿はすでになかった。
桜花が眠るまで背中を叩いていた手と、雄飛がたきつめている香の香りを感じながら眠ったはずなのに。離れないようにとしっかり掴んだはずだった雄飛の紺色の羽織だけが、抜け殻みたいに隣に残されている。
桜花は羽織を胸元まで引きよせ顔を埋めた。
芙蓉に閉じ込められた一件で、過去のことを思い出してしまっていた桜花は自分が確かにここにいるということを知るために雄飛の羽織にしがみつく。
幼いころの記憶はここでの暖かい記憶でだいぶ塗りつぶされたが、それでも時折記憶の淵からゆらりと上がってきては桜花を惑わす。
桜花は人間の間で異端児だった。
桜花は物心ついたころから人ではない者の声が聞こえていたので、周囲の人間にはその声が聞こえない。自分だけが特別であるということも判断がつかなかった。
幼いころから人々には聞こえないものと話す桜花は気味悪がられていたのだろう。桜花の記憶にある限り、人間によくされた思い出はない。
知らない大人に手を引かれて村々を渡り歩き、場合によってはその年の凶作を占うためにと引きずりだされて―――本当のことを告げては殴られた。だからと言って嘘をいっても、今度は桜花を連れ歩く者たちが暫くして「はずれた」と怒って殴ってくるのだから、どちらにしても結局桜花を待っているのはひどい暴力の嵐だった。
桜花は身体に残るひきつった傷跡が痛むのを感じて身体を縮ませる。幼い桜花が自分の身を守るためには、そうするしかなかったのだ。
ここは違う。ここにいると安心できる。そう解っていても、でも急に不安になる瞬間がある。それは雄飛が最近になって時折口にするようになった、こちらを突き放すような態度だ。
雄飛に拾われてからずっと一緒にいたのに、なのに何故今になって変わる必要があるのだろうか。一緒に寝るのも別にかまわないではないか。
雄飛は雄飛で、桜花は桜花なのだから。たとえ身体がいくら伸びようと、この魂だけは変わらない。
桜花は痛む身体に必死で耐えながら、布団の中で身体を捩らす。
桜花は今、幼い心と花がほころぶように変わりゆく身体の狭間で迷っていた。
桜花が痛む身体を抑えて中々布団から出られずにいたら、心配した芙蓉が顔を出してきた。
「桜花様、どこか体調でも悪いのですか?」
芙蓉の心配げな声に、桜花は身体を丸めたままくぐもった声をあげる。
「ちょっとだけ」
桜花の掠れた声に芙蓉が近寄ってくる。芙蓉は桜花の頬に手をあてると、乱れた髪を撫であげながら声をあげる。
「少し熱っぽいですね」
「うそ」
「嘘ではありません」
桜花が間延びした声で言うと、芙蓉がきっぱりと否定した。
「どこか痛いところはありますか?」
桜花は腹を抑えたまま小さく声をあげる。そういえば朝起きた時からだるかった。気分がすぐれないのは、自分が過去のことを思い出して不安定になっているからだと思ったのだが、実際のところ本当に身体の調子がおかしいらしい。
桜花は痛むお腹を抑えながら、芙蓉に痛い所を告げる。
芙蓉はちょっと鼻に手を当てながら思案すると「失礼します」と断りを入れて桜花の布団に手をかける。
突然めくりあげられたことに、桜花が慌てた声をあげるより早く芙蓉が声をあげた。
「桜花さま―――、なんといいますか、おめでとうござい……ます」
芙蓉は奇妙な顔をしながら、どこか困惑した様子で桜花に頭を下げる。芙蓉からの突然のおめでとう発言に、桜花も困惑して首をかしげる。
全く解ってない様子の桜花に、芙蓉はそっと桜花の耳元に唇を近付けて、桜花の身に起こった大きな変化について伝えるのだった。




