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桜下奇譚  作者: 森 彩子
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二十六話

拭く物をもらって再び戻ってきた桜花の手から布巾をとろうとしたが、桜花はそれを無視して自分で拭き始める。桜花は床におちた酒と、雄飛の手をつたってこぼれ落ちた酒も綺麗に拭いとった。

「…ありがとう」

「どういたしまして」

二人の間に沈黙が訪れる。黙ったまま座りこんでしまっていた桜花に、雄飛は再び酒を煽り始める。全て飲み終わった雄飛が手酌で酒を注ごうとすると、桜花それより先に調子をとって注いできた。注ぎ終り雄飛が全て飲み干すのを見てから桜花が一気に口を開いた。

「私昔より雄飛の役に立てていると思うわ。だから私をここから離そうだなんて思わないで」

雄飛は黙ったまま杯をおくと桜花に目を向ける。桜花は雄飛の言いたいことがわかったのか先に口を開いた。まるで雄飛が口を開くことを恐れているかのように。

「前からなんとなく気がついていたわ。雄飛が、私は人間だから人間と一緒に暮らした方がいいと思っているって」

「……よく気がついていたな」

桜花は雄飛のその間抜けな言葉に笑いたくなる。雄飛は桜花がまだ何も知らない、拾われた頃のままの何も知らない子供だとでも思っていたのだろうか。

桜花は雄飛の庇護のもと、学んでちゃんと成長したのだ。大人として、女性として。隠す気もあまりなかったであろう雄飛をひどく詰りたい気分で桜花は雄飛を見つめる。どんなに腹立たしくても詰らないのは、彼が彼なりに私のことを精一杯考えてくれていたからだ。

「だって私、雄飛をずっと見ていたんですもの。ずっと、ずっと、あなたに会った時から。だからわかるわ。いつもぼうっとしているあなたが、こちらを向いて思案しているなんてそれ以外考えられないもの。それに雄飛って嘘がへたくそ。というか全くつけていないんだよ。長生きしているっていうのに、雄飛ったらすっごくわかりやすいんだもの! まさに駄々漏れよ」

そういって桜花は顔をくしゃくしゃにしてほほ笑む。泣くのを堪えるようにして。

雄飛が思わず伸ばした手を、桜花は自分に触れるより先にとって頬に重ねる。

「雄飛。あなたが私を拾って飼うって言ったのよ。……拾ったからには最後までちゃんと責任をとって」

桜花はそう言いながら、堪え切れずに涙をこぼし始めた。大きく声をあげるでもなく静かに声もなく泣く桜花に、雄飛はどうしようもなくなって自分の前髪をくしゃりと混ぜると、そのまま声もなく泣き続ける桜花の頬に唇で触れた。

「俺は、お前のためを思って考えていたんだぞ」

「お前のためとか言っているけどそれは雄飛の勝手な意見だから。私に何も聞かないで、勝手に全てを決めないで……」





桜花の切々とした願いを聞きながら雄飛はこぼれ落ちる雫を舌で受け止める。

……女の涙が甘いと思ったのは雄飛にとって後にも先にもこれが初めてだった。

「お前以外のこの屋敷のものは全て妖怪なのだぞ。そんな場所でお前をこのまま育てていいものか……」

「雄飛は雄飛、芙蓉は芙蓉。妖怪とか人間とかそんなの私にはわからないよ。雄飛は妖怪は人間にとって危ない存在だって笑いながら言うけど、私にとって危ないのは同族の人間だった。雄飛はそこから私をすくいあげてくれた。お願いだから、私をいらないって言わないで」

ブルブルと後半は震えた声に、雄飛は軽く瞠目するとまるで初めて会った時のように震える桜花に目を細める。あの時桜花は人から捨てられていた。

そして今―、雄飛が桜花を再び捨てようとしている。捨てるのも同然のことをしているということにようやく気がついた雄飛は謝るようにして桜花を抱き寄せた。泣き方の知らなかったあの頃とは違い肩を震わせ嗚咽を漏らす桜花の背を撫でながら、雄飛は弱り切った様子で桜花の耳に唇を寄せる。

「お前のためだと思ったのにな」

「そんなのいい~」

ぶんぶんと首を横に振り、幼子のようにいつもの調子で泣き始めた桜花は、鼻先が触れ合う距離で雄飛と見つめあって止まった。

「お前は、お前の人間の女としての人生を謳歌したらいいと思っていたのに」

「いや! 私は雄飛がいい! 雄飛と一緒じゃなきゃ………」

声を荒げ始めた桜花に雄飛は五月蠅いと柔らかく囁きながら唇を無理やり閉じさせた。

しばらくそうして桜花が落ち着くのを待ってから雄飛が唇を離すと、桜花は顔を赤くしてこてんと雄飛の肩にもたれて「やっぱり、雄飛って変態」と憎まれ口を洩らした。

そうしてしばらくすると、泣きつかれたのか眠り始めてしまった。

雄飛は意識を失うようにして眠ってしまった桜花に、まさかあの程度の酒量で酔ってしまったのかと少し心配になって顔を覗きこんでみた。すると実に幸せそうな顔で桜花は眠っていたので、安心すると抱きあげて桜花の寝室へと向かうのだった。







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