表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜下奇譚  作者: 森 彩子
24/27

二十四話

「いやあああああああ!!!」

ここまで全速力で走ってきた為にすでに胸ははりさけそうで息も絶え絶えだったが、桜花は絶叫した。切り裂くようなその声に公竹が、倫道が振り向く。しかし桜花の瞳に二人はうつっていなかった。桜花が、ただ一途に見つめるのは雄飛ただ一人。

止めようと近付いてきた公竹を無視して、桜花は雄飛に走りよる。そして倫道に無防備に背をむけて、そのまま雄飛の胸に飛びついて押し倒す。

古ぼけた朱色の呪文が書かれた符が光を放っているのを見つけると、それをはがそうとする。しかしそれは雄飛から離れることはなく、更に朱色の呪文が生きている蛇のように動いている。桜花は直感的に、この動きが終ってしまうと全てが終ってしまうということに気がついた。しかし無力な桜花には、それをどうすることもできない。ただ泣きわめきながら、雄飛の名を呼ぶことしかできない。

「雄飛! 雄飛!!」

絶叫する桜花に公竹も倫道も近付くことができない。壊れたように雄飛、ただ一人の名を叫び続ける桜花が、泣き崩れるようにして動かない雄飛の胸に額をこすりつける。

桜花はこのままでは死んでしまうと思った。雄飛と離れたら、彼がいなくなってしまったら自分は死んでしまうと。

「雄飛!! ねぇ、雄飛!!」

何度名を呼んでも返ってこない返事に、桜花は項垂れるようにして更に雄飛に体重をかける。雄飛が動かないというなら、自分もここからもう一歩たりとも動かない。動けない。

ぐしゃぐしゃになって絶望の淵に沈みかけた桜花の頭に大きな掌が重ねられる。

走ったためにか、それとも今こうして雄飛の上で泣いているからか乱れた髪を撫でる優しい掌。

桜花は悪夢から覚めるようにして、ゆっくりと顔をあげようとすると、それを抑えるようにして掌に力がはいる。

「……うるさい」

 静かな落ちついた声は雄飛のものだった。

桜花は雄飛の掌をはねのけて顔をあげると、目の前でこちらを見上げる雄飛と顔を合わせる。涙と鼻水でぐちゃぐちゃな桜花を見て、雄飛は吹きだした。

「汚い」

……ひどい言葉だ。こっちは絶望のあまり死ぬかと思っていたのに、笑う雄飛をひどく詰ってやりたくなったが、今はそれ以上に彼の無事を確かめたかった。猫がすり寄るようにして、雄飛の頬に自分の頬を重ねると、雄飛が宥めるようにして桜花の背に手を回す。暫くそうして雄飛の無事を確認してから二人は抱き合ったまま起きあがる。上体を起こした二人の前に、倫道と公竹が立ちすくんでいた。

「………」

四人の間に無言が拡がる。誰も口を開かずに数分たってから、雄飛はため息まじりにめんどうくさげに口を開いた。

「もう少しやると思ったが………期待はずれだな。お前もぐりか?」

雄飛が尋ねたのは倫道だった。倫道はもぐりという言葉にかっとなって口を開く。

「師匠の悪口をいうな!」

「それじゃあその師がもぐりだな。……残念だが、ちょっと身体が痺れたぐらいだ」

滅する勢いできたのにな、間延びした口調の雄飛に倫道は身体をブルブルと震わせる。師を馬鹿にされたことが効いたのか、怒りにか恐怖にかわからないが、肩を揺らす倫道を見つめながら雄飛は口を開く。

「人間。力を見誤ると寿命を縮めるぞ」

雄飛はそう冷たく忠告すると、疲れたと言いながらどっと肩から力を抜く。桜花が心配して雄飛の胸に手を重ねて見上げると、安心させるように雄飛は頬笑み返す。

すっかり二人っきりの時間を楽しみはじめた桜花と雄飛に、それまでずっと空気だった公竹が口をやっと開いた。

「桜花! 君はそこにいても幸せになれないよ」

公竹のその言葉に、雄飛の頬に手を伸ばしていた桜花は公竹に視線を向ける。視線が合うと、公竹の肩が小さく震えた。桜花は怒りより、ただ悲しいと思った。桜花の瞳に公竹は動揺を隠しきれない様子で手を握り締める。

「私が幸福かどうかを決めるのは他の誰でもない。私自身だわ」

桜花の澄んだ言葉に、公竹も雄飛もそれ以上何も言えなくなってしまう。

雄飛は桜花の言葉と、どこか決心を宿した強い瞳を見つめながらその乱れた前髪を抑えた。そうして頬を自ら一度摺り寄せてから、桜花を抱きあげると立ちすくんだままの公竹と倫道に視線を向ける。

「……去れ」

雄飛の一言に、公竹も倫道も頷きはしなかったが雷に打たれたようにして項垂れた。静かな、落ちついた響きだったが、従わずにはいられない確かな力がそこにはあった。

桜花を抱きあげたまま歩きはじめた雄飛の背に倫道が叫ぶ。

「のちのち後悔することになるぞ」

倫道の呪いじみた穏やかではないその言葉に、怯えるようにして桜花が雄飛の首に手を回すと。雄飛はわかったと安心させるように一つ頷きかけた。桜花の不安を覗いた後に、雄飛は意地悪げな笑みを浮かべると後ろに捨て台詞を吐く。

「お前ももっとちゃんと修業をつまないとのちのち後悔するぞ。……なんなら、いいところに紹介状でもつけて紹介してやろうか?」

小馬鹿にした様子で吐き捨てた雄飛のその言葉に、倫道は怒りにか恥ずかしさにか髭で見えない顔を真っ赤にしたらしく唯一見えている耳が真っ赤に染まった。

桜花は少し晴れた様子で笑う雄飛から視線をそらすと、遠くなっていく公竹に目を向ける。

もしかしたら自分は自分の人生における重要な二つの道を今ここで選んでしまったのかもしれない。それは公竹と生きる道と、雄飛とこのまま生きる道――。

桜花にはまだ深いことはわからないが、それでも雄飛が死んでしまうと思った瞬間の、諦めにも似た確かな決意。一緒にいられないなら死んでしまうという自分の激しい気持ちを知ってしまった。これが自分の本心だというなら、きっと桜花は雄飛と離れては生きてはいけない。そうならば私の選ぶ道はこれしかないのだ。桜花は幼い胸でそう思いながら、公竹から目をそらすと雄飛の首に顔を埋めるのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ