二十三話
雄飛は一人葉桜の下に立っていた。
そこは雄飛が桜花を拾った場所だった。小さな、骨が浮き出た不健康な子娘だった。ここで自分が放っておけば、すぐに野たれ死んでしまったであろう子供。
子供は泣きわめくでもなく、ただじっと空虚な瞳で宙を見ていた。すでに迎えの姿でも見えているのだろうか、夜よりも濃い闇に飲み込まれそうな哀れな存在に近付いたのは、なんとなくだ。
本当にそれ以外ない、なんとなく、特に深く考えないでいつの間にか近寄っていた。初めは口が聞けないと思ったが、口を開いた娘は面白いことを言った。人では聞こえないであろうこいつらの声が聞こえるというのだ。それが原因か、と雄飛は思った。普段だったら無視するであろう下等なものたちのざわめきに娘は耳を傾け、そしてこちらに伝えてきた。
今にも死にそうだというのに、助けてという前に桜の声を代弁した娘が面白いと思った。どこか壊れてしまっている子供、恐怖心もどこかへ置いてきてしまったような哀れな、哀れな桜花。
名前を与えたのも、拾ったのも興味。そして興味では済まされないほどに、心を動かす存在に成長してしまった桜花。それがめんどくさいと思う気持ちより、嬉しいと思う気持ちの方が大きいのだから、本当に困ったものだ。人間ではない自分が、人間である娘の幸福を願う。なんとまあ、面白い構図なのだろう。
すぐに儚くなってしまう彼らに真面目に付き合うのは後で大変だと言うことはわかっていたのにな、雄飛は葉がこすれる音に混じって聞こえる囁きに目を閉じて耳を傾ける。
「……悲しい、顔をしているのか…?」
葉桜の言葉に思わず返すと、答えるようにして葉を揺らしざわめく。
雄飛はそれに自嘲気味に頬笑みながら口を開く。
「じゃあもう無理だ……」
目を閉じて静かに佇んでいる雄飛の耳に葉桜のざわめきが届く。危険だと囁くそれに、ゆっくりと瞳を開けると後ろに目を向ける。
「………来たか」
また来るとは思っていたが、まさか他に客人を連れてくるとは思わなかった。
雄飛は三度目になる公竹との会合に目を細める。お世辞でも友好的な態度とは言えなかった。固い顔をしている公竹と、公竹の後ろにいる身なりの整っていない汚らしい男。
この前桜花が逃げ帰るようにして戻ってきた時、似たような匂いがした。芙蓉の身体に雄飛が守るために張り巡らした結界に触れたのはこいつか、雄飛はわざとらしいほどのため息を漏らすと二人と顔を見合わせる。
「なんの用だ……?」
雄飛の言葉に公竹が口を開くより先に後ろにいた男が進み出てくる。
「娘を解放してもらいたい」
解放、面白いことを言う。
こちらは行けと言っているのに、一向に言うことを聞こうとしないあの我が儘娘のことか。
雄飛は口に出さずに笑いをかみ殺す。
「私は――自分で言うのもなんだが、それなりに話の通じる方だと思っていたのだがな、さすがにこういう風に強硬手段でこられると面白くない」
笑いながら最後は冷たい視線で目の前の人間を見つめると、公竹の肩が大きく震えた。
「話で解決できれば俺もそれが一番いい。だけどあれはなんだ? あの娘の周囲にはられた結界は、娘を逃がさないとばかりにからまっていた。あんなかけ方を見てしまうと、お前が尋常じゃないくらいあの娘に執着しているのがよくわかる。……あの娘の心を奪うような呪術を施したのか? 俺にはあの娘にそれほどの価値があるとは思えないがな」
そう言って目の前の男は一歩こちらに足を踏み出してきた。
雄飛は男の言葉が面白いと思った。
こちらは何一つ術なんてつかってない。いたって丁重に、彼女の考えを尊重してこれまで扱ってきたつもりだったがーーー。
心配するあまりに術をかけすぎたか、自分の過保護っぷりを他の者に改めて指摘されると笑ってしまう。
そうだ、悲しいことに、もう無理なのかもしれない。もう手遅れなのかもしれない。
手放すのも、手放されるのも――。
前に立つ桜花を自分の元から奪わんとする果敢な少年の瞳を見つめながら、雄飛は冷静な頭の奥底でいっそこの少年を男共々殺してやろうかと思った。
雄飛の隠しきれない殺意に気がついたのか、目の前に立った男の腕が動いた。男は数珠を伸ばすとこちらに掌を差し出してくる。そこには少し古ぼけた符があった。符に朱色で書かれていたのは魔を滅すものだった。
雄飛は古いそれに目を見開くと、素早く近付いてきた男のその掌が自分の目前に迫るのを黙って受け入れた。




