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桜下奇譚  作者: 森 彩子
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十九話


公竹の家で食事を楽しんだ桜花はいっぱいになったお腹を抑えながら、公竹の祖母と姉に御礼を言った。公竹の祖母と姉は桜花の素状についてそれ以上触れてくることはなかった。帰り際に「またね」と言って手を振ってくれた二人に手を振り返しながら、少し早目の夕飯を終えた桜花と公竹は家を出て歩き出す。烏が鳴きはじめたのでそろそろ帰るものだと思っていた桜花だったが、前を行く公竹は一向に山の方へ向かおうとしない。桜花は少しあたりを見渡しながらも、公竹の背を追っていく。

「……あっ」

民家から離れた場所に少し朽ちてはいるが寺があった。立ち止まった桜花に、そこへ入っていこうとしている公竹が振り返る。躊躇する桜花に公竹が手を差し伸べてくる。その手に自分の手を重ねることができずにいる桜花に、公竹は少し乱暴に掌を掴んでくる。桜花が慌てて顔をあげると、公竹は桜花から目をそらす。

「ちょっと話があるんだ」

どうしてわざわざ場所を変える必要があるのだろうか、足を中々進めようとしない桜花の手を握り締めたまま公竹は強引に門の下をくぐるのだった。



痛い程に握られた手首を見つめながら桜花は黙り込む。

公竹に連れてこられた寺の中は、外観通りだった。穴が開いたままの障子から冷たい夜風が入ってくる。火をともさなければ互いの顔も見えなくなるくらい日が暮れたことを気にしながら桜花は俯く。芙蓉に何時に帰ってくるのかと聞かれなかったが、だからと行ってさすがにそろそろ帰らなければならない時間だろう。何度も何度も下ろした腰を持ち上げようとする桜花を見かねて、公竹の腕が伸びてきて手首を握りしめられたのはついさっきのことだ。

「すぐに終わるから。もう少し我慢して」

そういって手首を掴まれたまま懇願されると、桜花もそれ以上抵抗することができなくなってしまった。項垂れていた桜花の耳に廊下を歩く足音が入ってくる。力強いがゆったりとした足音が立ち止まると同時に、閉められたままだった障子が開かれる。

そこに立っていたのは御世辞でも綺麗とは言えない男だった。伸びた毛のせいで鼻から下がすっかりかくれてしまっている、暗い瞳でこちらを見下ろされてすっかり委縮してしまった桜花とは逆に公竹は明るい声をあげた。

「倫道さん、お約束していた時間より少し遅れてしまった申し訳ありません」

そういってばっと頭をさげた公竹に、倫道と呼ばれた男は微かに頷き返しながら障子を後ろ手で閉めてから二人の前に腰を下ろした。

「彼女が?」

低い声が桜花のことを公竹に尋ねる。その声がその風貌から想像するより若いことに桜花は少し驚きながら、公竹に視線を向けた。

どうやら公竹はこの人にも、桜花のことを相談していたらしい。公竹は桜花に見られていることに気づいているうえで、あえて桜花の視線を無視して少し固い表情で倫道の言葉に頷き返した。

倫道は桜花に顔を向けると、じっとその黒い瞳で見つめてくる。桜花はそれを不快に思って倫道から目をそらした。

「君は妖怪と生活を共にしていると公竹が言っていたのだが、それは本当かい?」

倫道はまどろっころしい世間話は抜きにして質問をしてきた。直接的なその言葉に桜花は言葉を失ってただ倫道と公竹を見返すことしかできない。問い詰めるようなものいいだった。あまりよい流れではないなと、うろたえる頭の片隅に残ったほんの少しの冷静さで考えながら桜花は下唇を噛む。

何も答えない桜花の代わりに公竹が頷くことでそれを肯定する。

「………確かに、彼女からは濃い妖怪の匂いがする。しっかりとしみついたのを見ると、相当の期間を共に過ごしてるようだな」

桜花は倫道の言葉に顔をあげる、こちらは一切何もいっていないというのにスラスラと口を開く倫道を驚いた瞳で見つめると、倫道は髭の下でわらったのだろうか、生え切った髭が揺れた。

「驚いた顔をしているな。公竹から聞いたが君だって私と同じなのだろう。私にも君にも人には見えないものが少し見えて聞こえる…ただそれだけだ」

あっさりと自分の不思議な能力について口を開いた倫道に、桜花は少しだけ警戒を解いた。完全にではないが、それでも自分と同じく他人には理解されない力を持っている人間なのだ。初めて見た同類を桜花はただただ見つめる。穴があくほど見つめてくる桜花に、倫道は喉で笑う。

「君だって自分でわかっているだろうけど、私は普通の人間だよ。……まるで化け物でも見るかのようにそう見ないでくれないかな」

倫道の化け物という言葉に桜花の肩が揺れる。

桜花は昔化け物と呼ばれていた。固い顔をした桜花に倫道は静かに口を開く。

「……私たちは難しいな。いい人間に拾われればよい道を示してもらうことも可能だろうが、多くはそうもいかない。見世物のように連れまわされるか、利用されるだけ利用されて捨てられるか――」

小刻みに震えはじめた桜花を見て、倫道は少し口を閉じてから再び口を開いた。

「私は幸いなことに師に拾われたことで今こうしてここにいることができる。そして君は―人から捨てられ、人でないものに救われたか………哀れな」

救われたという言葉の後に続いた哀れという言葉に桜花は顔をあげる。

倫道は可哀そうなものを見る瞳でこちらに視線を向けてくる。

人に捨てられた私は確かに哀れかもしれないが、雄飛に拾われた私は幸せだ。しかし彼はそれを哀れだという。桜花が公竹の方に視線を向けると公竹を可哀そうなものを見るような瞳をこちらに向けてくる。桜花は手首をずっと掴んだままの公竹の腕をとっさに振り払うと、そのままずるずると後ろに下がった。

理解されていない、理解されようともしていない。鬼に、雄飛に拾われた私は彼らにとって可哀そうな存在なのだ。

桜花はその現実に首を振りながら、胸を抑える。自分のせいで雄飛が悪者扱いされるなんて我慢できなかった。雄飛に拾われてからが、私にとっての一番の幸せで桜花のはじまりだったというのにその全てを哀れと言う彼らが理解できなくて、桜花は心底それが怖いと思った。

首を振りながら親の敵を見るような視線を向けてくる桜花に倫道は眉間に皴を寄せる。

「すっかり憑かれているようだな……」

倫道のその言葉に桜花は思わず口を開いてしまう。

「違う。違います。別に私、憑かれたりなんてしてない。私は、私の意志で雄飛と一緒にいます」

「ゆうひ……、それが君をかどわかした鬼の名か」

「違います、雄飛は山で捨てられた私を拾ってくれた、優しい人」

ぎゅっと胸元で握った手に更に力を込めながら桜花は脳裏に雄飛の姿を描く、雄飛、雄飛、雄飛、雄飛、名前を呼べば呼ぶほどどうしてこうも嬉しくて、そして泣きたくなるのだろうか。あんなに優しい彼を、知りもせずにただ人間ではないという理由だけで否定されることが許せなかった。

桜花は勇気をふりしぼって震える唇を開く。うまくなんて言えないけど、それでも黙ってはいられなかった。

「私は可哀そうではありません。雄飛がいて、みんながいてすごく幸せです。……何も知らないのに、勝手なことを言わないで!」

ぴしゃりと最後まで言い切った桜花は涙で滲んだ瞳をぐっとぬぐうと、そのまま踵を返して走りだす。止めようと声をあげた公竹を無視して、草履を履くことも忘れて転がるようにして山道を駆けあがる。息が荒くなり、足袋が土で汚れようと気にしないで桜花はただひたすらに屋敷を目指して走り続けた。人里に背を向けて。


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