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桜下奇譚  作者: 森 彩子
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十八話


 公竹に連れられてやってきた人里は穏やかな農村だった。大きい村ほど騒がしくないが、それでも活気には満ち溢れている。人々は田を作り、畑を耕し、山から木や山菜、動物などを時折頂いては日々の生活を営んでいた。

桜花と公竹が二人で並んで歩いていると、人々は親しげに笑みを浮かべながら話しかけてくれた。その話の内容はもっぱら桜花の招待で、公竹は軽い言葉で最初にあった女性にした説明を繰り返す。それを納得した人々は、公竹を少しからかってから再び自分の仕事へと戻っていく。

この規模の村だと、全体が親戚のようなものらしい。年の割に背の小さな公竹は可愛がられている様子だった。桜花はからかわれて真っ赤になる公竹を見て、そっとほほ笑んだ。

暖かい村だった。人々はのどかに暮らしている。家族が、皆が幸せならそれでいいと言わんばかりに。

桜花は穏やかに村の人々を見て、静かに一つ息をついた。

「ねえ。お姉ちゃん」

公竹が再び人につかまっている。今度は若い男の人で、公竹と肩を寄せ合わせながら親密に話をしている。一人取り残されてしまいポツンとしていた桜花に、目の前で同じく取り残されてしまった幼い女の子が話しかけてくる。前髪をちょんと赤い紐で結んだ女の子は子供らしい笑みを浮かべ、少し恥ずかしがりながら桜花に近寄り話しかけてきた。

「お姉ちゃんって公竹しゃんのお嫁さん?」

子供は子供の内から女らしい。うまく回らない口で尋ねてきたことは、その口調とは違ってませたものだった。桜花は質問内容に驚くと同時に、その可愛さに笑みを浮かべて目線を同じ高さにする。

「ううん。違うよ」

「まだってこと? 今日おばちゃんから、公竹がお嫁さん連れてきたって聞いたんだけど?」

そう言って首を傾げた娘に、桜花は同じく首を傾げる。

「お父しゃんも言ってたよ。公竹がべっぴんさん連れてきたって。悔しがってたから、私お母しゃんに言いつけてやるの!」

そう言ってプンプンと怒り始めて娘に、桜花は手を伸ばしてそっと頭に触れる。

幼い子は無条件で可愛らしいものなのだと言うことが、桜花はこの村にきてから知ることができた。無邪気に微笑まれると、思わずこっちまで笑いたくない気分でも頬笑み返してしまう。雄飛が自分を拾ってしまった時、こんな気持ちだったのだろうか。

桜花は結局雄飛のことを考えてしまう自分の思考に呆れてしまう。離れてみて、他の人と関わって余計に考えてしまう。あの優しい鬼のことを。

「お名前、なんて言うの?」

幼女がにぱっと頬笑みかてくると、生えかけの不揃いの歯が顔を見せる。桜花はその間抜けとも言える愛しい姿に自然と笑みを浮かべながら答えた。

「桜花って言うの。あなたの名前はなんて言うの?」

「おーか? 綺麗な名前ね! 私の名前はフミって言うの!」

桜花は自分の名前を綺麗と言って褒めてくれたフミの頭を撫でながら目を細めた。

ここが僕の家だよ。そう言って公竹が連れてきたのはこの村では一般的な大きさの一軒家だった。桜花の背を押しながら公竹は「ただいま」と大きな声をあげる。その声に顔をのぞかせたのは、勝気な目つきをしたはつらつとした女性だった。女性は公竹に「おかえり」と笑顔で返すと桜花に視線を向ける。

「いらっしゃい。桜花さん……でしたっけ? この前弟がお世話になったみたいで、私は姉のエンです。あんまりいいものは出せないけどゆっくりして言って頂戴ね」

そう言いながら引き戸を大きく開くと、桜花を家の中に招き入れてくれる。桜花は「お世話になります」と頭を下げながら恐る恐る室内に入ると、囲炉裏の前に小さな老婆が座っているのが目に入った。あの人が公竹の祖母なのだろう。客人に気がついた老婆は公竹と桜花にこっちにこいと手を振ってくる。桜花は公竹に再び背を押されて草履を脱いだ。

「……わざわざ呼んですみませんね。家の孫がずいぶんとお世話になったみたいで…足腰を少し前に痛めたから座ったままで失礼するけど……ありがとうございます」

公竹の祖母が頭を軽く下げながらそう言ってきたので、思わず桜花も三つ指をついて頭を下げる。

「いいえ。こちらこそ、今日はお招きいただいてとても嬉しいです。ご迷惑おかけします」

桜花はこれでいいのだろうかと不安に思いながらぎこちなく招かれたことに対する礼を述べた。

「公竹~ちょっと手伝って頂戴」

姉の声に公竹が下ろしかけていた腰をあげると、足早に去っていく。公竹の祖母と二人で残されてしまった桜花は、正座をしたまま無言で揺れる火を見つめる。

実に、気まずい。

「……桜花さん、と言いましたっけ?」

暫くして口を開いた公竹の祖母の言葉に、桜花はこくんと首を縦に振った。

「公竹とは森の奥で迷っていた時に助けていただいたんですよね。桜花さんはあの森に住んでいると聞いたんですが……?」

「……」

公竹は自分の家族にだけは真実を話していたらしい。人里離れた山奥に住むという少女を前に祖母は長年の月日が積み重ねられた皴を刻んだ顔をくしゃりと歪める。

「山の奥に誰と住んでいるんだい?」

人里を離れ、山の奥に入るものには大概理由がある。里にいられなくなったものや、自らの足で進んで入って行く者たち―。その理由はその人によって様々だが、誰が進んで獣と人ならざるものが住む場所に入っていくだろうか、彼らにはそうせざる得ない理由があるのだ。人が住む場所ではない所からやってきた綺麗な着物を身にまとった少女を見て祖母は何度が頷いた。

「公竹は素直な子でね、私たちには正直に言ってくれたんだよ。だからね、私はそれを私たち家族以外には言ったら駄目だよとちゃんと言っておいたんだ」

公竹はどこまで言ったのだろうか、祖母のその言葉に肩をびくりと揺らした桜花を安心させるように祖母は口を開く。

「私たちは別に何も言いませんよ。あなたは怪我をして迷って泣いていた公竹を助けてくれた人なんですからね」

そういってほほ笑んだ祖母に、桜花は強張っていた肩から力をふっと抜く。明らかにはっとした様子の桜花に祖母は少し剝脱した瞳を細めながら静かに囲炉裏の灰をかき混ぜるのだった。



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