十七話
前を先に歩く公竹の後ろをついていきながら、桜花は後ろに視線をたびたび向ける。誰かが、後をついてきているかなんて人間である桜花にはわかりようがない。桜花はそのことにため息をもらしながら再び億劫な足を動かし始めた。
少し前を先にあるいている公竹は桜花のため息が耳に入ったのかこちらに目を向けてくる。黙り込んだまま少しの間見つめあっていると、公竹が桜花に手を差し出してくる。
「……ここ、急だからつかまって」
急に下ったその道は樹の根や石が表面に出ていて歩きにくそうだった、桜花は素直に公竹の掌に手を重ねると桜花より少し背の低い彼の手は意外なことに桜花より大きかった。ぼこぼこと所々固くなった掌は働き者のよい手だった。桜花は意外なその掌に、まだ聞いていないことがあったことに気がついた。
「公竹君って何歳なの?」
「十五だよ」
前を向いたまま公竹が答える。桜花はその答えに驚いて目を見張った。黙り込んでしまった桜花に、公竹が視線を寄越してくる。桜花は公竹に視線を向けられて、それからウロウロと視線を外す。気まずそうな桜花の様子に、公竹は少し傷ついたようにして下を向いた。
「もっと下だと思っていたんだろう」
「……うん」
いつも言われることなのだろうか、桜花は気まずい間に頬を掻かざるをえない。
「そういう桜花は何歳なんだい?」
気まずい雰囲気を変えようとしているのか、逆に問いかけてきた公竹に桜花は口を開こうとして閉じた。拾われっこである桜花は、自分の正確な年がわからなかった。
「……前聞いたら、たぶん十三くらいなんじゃないかって言われた」
そういえば私って何歳なの?
そう雄飛に昔尋ねた時、雄飛は私を上から下まで見てそう言ったのだ。あの時から過ぎた年と足すと桜花は今年で十三になる……はずだ。
「同じ年くらいだと思っていたよ」
公竹が漏らしたその言葉に桜花は頷き返すと、公竹は少し弱ったように両眉を下げた。公竹のその様子に桜花は口を真一文字に閉じる。やってしまったという顔を隠しきれない桜花に公竹はふっと肩を落とすと、山の下に見えてきた村に指をさす。
「あれが僕の住む村だよ」
「……わぁ」
家が並んだ光景に桜花は声をあげる。幼い頃は大なり小なり村々を回ったが、公竹の村はそれなりの大きさに見えた。もう少しこじんまりしたものを思い浮かべていた桜花は久々に見た人里に目を細める。不安にか、思わず手に力を込めてしまうと公竹の手をまだ握ったままだったことを思いだす。ごめんと謝って手を離そうとすると、公竹は「まだ危ないから」と言って離そうとした手を握り返してくる。桜花は握り返してくるその手の強さに戸惑って地面に目を伏せる。
「……あなたは、私が気味悪くないの?」
少ししてから桜花は思っていたことを口に出す。握ってくる掌に迷いは窺えないが、それでも尋ねずにはいられない。人間ではないものと生活を共にし、人間ではありえない能力をもった私を、この人は本心でどう思っているのだろうか。
桜花の正面からの問いを公竹は瞳をそらさぬまま受けいれる。
「君と出会ったとき……僕は恥ずかしいことに道に迷っていた。それはわかるだろう」
公竹の言葉に桜花は頷く。確かにあの時の公竹は道に迷い、その上負傷していた。そろそろ日も沈みそうな森の奥底で、彼はじつに心細そうだった。震える肩をと頼りなさげな小さな身体を見て……とてもじゃないが年上だとは思えなかった。
「このまま日が暮れて、この森の中で夜を過ごすのかと思うと恐ろしくてたまらなかった……。そんな時に君が目の前に現れたんだ。森の中だっていうのに、どこかのお姫様みたいな桃色の着物を袖に通した君は、どこか人間離れして見えたのは確かだよ――。それでも僕を助けてくれた君だから、怖いとか気味悪いなんて思いもつかなかった。君に二度目に合った時に言ったよね、僕は君のことを森の神様だと思ったんだ」
公竹の少し熱っぽい物言いに、桜花は照れたようにはにかむ。
「神様だなんて私はそんな尊いものじゃないわ。けど、気味悪いって、恐ろしくないって言ってもらえたのはすごく嬉しい。私に向けられる言葉は、昔はそういうものばかりだったから…」
桜花が暗い目をすると、公竹が両手で桜花の手を握り締めてくる。そして過去という闇に落ちかけた桜花を救うように力を込める。
「過去のことは知らない。知りようがない。だけど今の君を見て、もう誰も昔のようなことは言わないよ。仮にもし、なんか言ってくる奴がいたとしても俺がそんなこと絶対に言わせない。だって君は、俺の命の恩人なんだから」
公竹の言葉に桜花は少し驚いたが、その優しい言葉に頷き返す。不安でつぶれそうだった胸がほんの少し軽くなる。
「この前助けてくれたお礼がしたいんだ、だから一緒に来てくれるよね…?」
人に恐怖感を示す桜花を気遣ってか、公竹が人里に下りる直前になって再び立ち止まると最後に尋ねてくる。桜花は公竹のその気づかいに感謝してぎこちなくだが頷き返した。
「おや、公竹じゃないか。隣の子は誰だい?」
村に降りてくると、家の前で恰幅のいい女性にあった。その女性は公竹の姿を見ると、親しげに話しかけてきた。桜花が公竹の袖を掴むと、公竹はわかったとでもいうように一つ頷くと親しげな笑みを浮かべながら彼女に軽く会釈する。
「隣の町の子だよ。この前行った時に親しくなって、彼女の家の人に色々とよくしてもらったから今回は僕が招待することになったんだ」
スラスラと桜花の身の上を説明してしまった公竹を疑うこともなくその女性は頬笑みながら頷いた。
「そうかい。そうかい。公竹がお世話になったみたいだね。なんにもない村だけど、ゆっくりしていってね」
公竹の背に隠れ気味な桜花を恥ずかしがっているのかと思ったのか、女性は安心させるように微笑みかけてくる。
「……それにしても、かわいい子ね~」
女性は口元に手を当てて笑みを浮かべる。それは時々芙蓉もする女特有のものだった。桜花と公竹を交互に見つめながら、女性は感慨深げに頷く。
「あんなに小さかった…って、まぁ今でも小さいんだけどね。そんな公竹がもう女の子を連れ歩いているなんてね。いい子を見つけたじゃない」
公竹の背をばしばしと叩いて、大口を開けて豪快に笑う女性に公竹がきまりが悪そうに頭を掻いた。公竹と桜花に手を振って女性が自分の家に入って行く。桜花と公竹はそれを見送ってから、ぎこちなく歩き始めた。
「……今日は、どこへ連れて行ってくれるの…?」
桜花が変な空気を壊すように口を開くと、公竹はほっと安堵した様子で胸をなでおろした。
「今日は人里を一回りしてから、僕の家で大したものじゃないけどご飯を食べていってもらう予定なんだ」
桜花は公竹のその言葉に、少し不安を覗かせた。公竹の家に行ったら家族がいるのではないだろうか、いきなり家に行って失礼ではないだろうか色々と考えこんでしまった桜花に公竹は安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫だよ。俺の家にはばあちゃんと姉ちゃんしかいないから。そんなに気を使う必要はない。それに桜花に助けてもらったという話とそっちの家でごちそうになったという話をしたら、姉ちゃんが連れてこいってうるさかったからさ……だからそう心配しないで来てくれないかな?」
姉ちゃん今日の晩飯はりきって作って待っているよ。そう言われてしまったら桜花はただ頷くことしか出来なかった。
桜花が頷くのを辛抱強く待っていた公竹は桜花が了承してくれたことに微笑むと「行こう」と立ち止まったままの桜花を促してくれた。




