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桜下奇譚  作者: 森 彩子
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十五話

芙蓉も雄飛も、桜花自身も公竹のことについて何も言わなくなっていた。

静かな時間が流れる。今までと同じで、でも少し違う。橘の存在も大きいが、それよりもなによりも自分がここでも異質であるということが一番だった。どこへいっても孤独である自分。橘は意地悪で桜花の一番触れられたくない部分に遠慮なく触れてくる。

「桜花様……」

桜花が一人で部屋にいると芙蓉がやってきた。昼ごはんというにはまだ少し時間が早かった。桜花は読んでいた書物から顔をあげて、芙蓉に目を向けると、芙蓉は視線をウロウロとさせながら両手を前でぎゅっと握りしめていた。中々口を開こうとしない芙蓉を促すと、芙蓉は一度唾を飲んでからやっと口を開いた。

「……公竹様が、おいでです」

桜花は久しぶりに聞いた、皆が意図的に口にしなかった名前に目を見張る。もう二度と会うことはないと思った。自分が直接的に何かしたわけではないが、彼は十分この妖怪屋敷で恐ろしい思いをしたはずだ。恐ろしい体験をした場所になぜわざわざ戻ってきたのだろう。

芙蓉に言われるがままノロノロと立ちあがった桜花の脳裏に嫌な予感がよぎる。まさかこの場所を危険視して退治にやってきたのでは―。雄飛が負けるとは思えないが、それでもやはり辛い。知り合い同士が戦うのは、はじめて話せた同じ年頃の者が敵になるということは。しかも雄飛が桜花に気遣って呼んでくれたのが公竹なのだから。桜花が原因でこの屋敷に、雄飛たちに何か災いがもたらされるというなら、それこそ橘が言った通り私と雄飛が一緒にいることはよくないことだということになってしまう。

どうして再び戻ってきたの、桜花はその想いで胸がいっぱいにさせながら重い足をなんとか前へ前へと動かすのだった。



桜花が通されたのは雄飛がいつも座っている縁側だった。桜花の目に雄飛と……公竹の姿が入る。桜花は喉をごくりと鳴らしながら、止まりそうになった足を動かす。橘の姿は幸運なことにまだなかった。

「……公竹君…」

「……桜花…」

見つめあって互いに名を呼ぶと、雄飛が手だけでこちらへくるようにと示してきた。桜花はそれに素直に従って雄飛の隣に腰を下ろした。

「桜花。彼がお前に話があるらしい」

「なんでしょう」

雄飛の言葉に、固い声が自然と出てくる。背筋をぴっと伸ばした桜花を雄飛は横目でちらりと見つめてから公竹の方を見ると顎をしゃくって喋るようにと促した。

「桜花、君を僕の村に招待したいと思う」

公竹の口からでたのは意外な言葉だった。もっと最悪なものを予想していたのに、村への招待を口にする公竹の顔からこわばったものがすとんと抜け落ちる。その突然の言葉に桜花が答えられずに雄飛を見つめると、雄飛はただ頷いた。桜花はそれを見て下唇を噛むと下に顔を向ける。

「ものは試しだ。行ってみろ」

「出ていけって言ってるの……?」

「まだそうは言ってないだろう」

雄飛のその言葉に桜花は顔をあげる。雄飛は「まだ」と言った。この人は最初に言った通り、本当に残酷なまでに正直だ。桜花は泣きたくなりそうになりながら声を絞り出す。

「雄飛が、行けって命令するのなら行くわ」

桜花のその言葉に雄飛は片眉をあげる。雄飛はなんだかんだ言って、桜花に何かを強いることは滅多にしなかった。桜花が何かしでかした時に怒るのはいつも芙蓉で、雄飛はそれを慰める役目だった。だから雄飛が時折言う強い言葉は絶対だった。促される程度では腰をあげられない桜花に、雄飛は少し考えてから口を開いた。

「社会勉強だと思って行って来い。……これは命令だ」

雄飛の細められた瞳を見つめながら桜花は黙って頷き返すことしかできなかった。

自分で抜け出すことはよくて、雄飛に出ろと言われることがこんなにも辛いなんて。桜花が泣きそうになりながら公竹を見つめるその肩が微かに揺れた。



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